去年の9月の下旬に行った投稿の再掲です。
桂(katsura)離宮(rikyu)は、宮家(miyake)(下の補足説明を参照)の一つであった、桂宮(katsuranomiya)家(当時は、八条宮(hachijyonomiya)と呼ばれていた)の、17世紀初期に造られた、京都(kyoto)(日本の西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった都市であり、日本の、伝統文化の中心都市)にある、別荘です。
宮家(miyake):宮家(miyake)とは、皇族(天皇の一族(親族))の内、天皇家から独立した生計を営み、且つ、天皇から称号(宮号)を賜り、代々、皇族(天皇の一族)の身分の保持を許された家(家族)で(wiki等を参考にしました)、現在は、宮家(miyake)は、4つしか存在しませんが(2014年に、当主が独身であった宮家(miyake)の当主が、亡くなられた為、それまで、5つであった宮家(miyake)が、4つとなった)、第2次世界大戦が終った直後には、日本には、14の宮家(miyake)が存在していました。
以下、参考の投稿。
旧朝香宮(asakanomiya)邸(東京都庭園美術館)前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3735149/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2
旧朝香宮(asakanomiya)邸(東京都庭園美術館)後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3735148/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2
桂宮(katsuranomiya)家は、1881年に、断絶しました。桂(katsura)離宮(rikyu)は、19世紀後期以降、宮内(kunai)庁(cho)(第二次世界大戦以前は、宮内(kunai)省(sho)。天皇・皇族(天皇の一族(親族))を担当する、日本の国家機関)の所有となりました。
桂(katsura)離宮(rikyu)は、日本の伝統建築の、要素・美学を凝縮した様な建物であると共に、日本の伝統建築の、要素・美学を代表する、歴史的な建造物の一つです。
桂(katsura)離宮(rikyu)は、予約制で、見学(観覧)出来る様になっており、職員のガイド(案内・解説)により1時間かけて見学(観覧)する形式となっています(見学(観覧)料金は、1,000円(約9万won)で、1日当たり、多くの、見学(観覧)開始時間が設けられていますが、人気の為、予約は、割と、すぐに、一杯になってしまいます)。
桂(katsura)離宮(rikyu)→
https://kyoto-gosho.kunaicho.go.jp/katsura-rikyu
桂(katsura)離宮(rikyu)は、敷地面積は、約6万9千平方m(約2万1千坪)あります。
以下、桂(katsura)離宮(rikyu)に関する補足説明は、wikiを参考にしました。
桂(katsura)離宮(rikyu):桂(katsura)離宮(rikyu)は、建物は、一時に建てられたものではなく、17世紀初期から17世紀中期にかけて(1615年頃から1662年頃にかけて)、順次、建立されたものである。
創建以来、火災に遭うこともなく、ほぼ完全に創建当時の姿を、現在に、伝えている。
17世紀初期から17世紀中期の造営当初の庭園と建築物を遺しており、当時の、日本の朝廷文化(天皇・皇族(天皇の一族(親族))・貴族の文化)の粋を、今に伝えている。
ブルーノ・タウト(Bruno
Taut)(下の補足説明を参照)、ヴァルター・グロピウス(Walter
Gropius)(1883年生まれ。1969年に亡くなる。ドイツの、有名な、建築家。ル・コルビュジエ(Le
Corbusier)やフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd
Wright)と共に、歴史上、世界的に最も有名な建築家の一人。バウハウス(Bauhaus)の創設者)と言った、日本国外の建築家も、桂(katsura)離宮(rikyu)を、簡素さの中に美と深い精神性を表した建築及び庭園として高く評価した。
ブルーノ・タウト(Bruno
Taut):ドイツの、有名な建築家・都市計画家。ナチス(Nazi Party)政権下のドイツにおいて、親ソ連(Soviet
Union)派の烙印を押され、職と地位を失い、1933年から1936年にかけて、日本に亡命。1936年に、近代化を目指していたトルコの、イスタンブール(Istanbul)芸術アカデミー(Academy)からの招請により、教授としてイスタンブール(Istanbul)に移住。1938年に、長年患っていた気管支喘息の為に、同地で亡くなる。
桂(katsura)離宮(rikyu)を見学した、ブルーノ・タウト(Bruno
Taut)は、「ここに、繰り広げられている、美しさは、理解を絶する美しさ、即ち、偉大な芸術の持つ美しさである。優れた芸術品に接するとき、涙は、おのずから(自然と)眼に溢れる」と表現しました。

写真は、借り物(写真の作者:Fraxinus2)。桂(katsura)離宮(rikyu)の建物の配置図。
写真以下(写真は、借り物)。桂(katsura)離宮(rikyu)の風景例。

写真の作者:Cyril Bèle

写真の作者:KimonBerlin



写真の作者:alonfloc




写真の作者:KimonBerlin


写真の作者:KimonBerlin

写真の作者:KimonBerlin

写真の作者:KimonBerlin


ちなみに、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)で紹介している、日本の伝統建築・伝統文化と現代建築の、融合・統合を図った、日本の、現代、建築家、堀口
捨己(horiguchi
sutemi)(1895年生まれ。1984年に亡くなる。主として、1920年代から1960年代にかけて活躍)は、桂(katsura)離宮(rikyu)の建築の、熱心な研究者の一人でもありました。
堀口 捨己(horiguchi sutemi)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3858253?&sfl=membername&stx=nnemon2