参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、女性に、結構合わせているようでいて、その一方において、実は、女性に結構、自分の趣味に付き合って貰って来てもいます。今の彼女も含み、相手の女性は、それはそれで、私色に染まって、私の影響を受けて、私と共に、楽しんで来てくれました(楽しんでくれてます)。ちなみに、私の今の彼女は、元々、好奇心が強い性格です。」
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
「前述の通り、実は、私の気が多い性格から、私の今までの、恋愛の結末のほとんどが、交際相手の女性にとっては、GO
BANG‘Sの曲の、「BYE-BYE-BYE」の歌詞のような結末で終わらせてしまったのですが(本当に、ごめんなさい)、私が当時、交際していた女性(私の元カノ)と別れた原因も、私が当時、交際していた女性(私の元カノ)には、本当に、申し訳なかったのですが、私が、私の今の彼女の事を、とても好きになってしまった事です(ちなみに、その時、私の今の彼女は、とても若かったのですが、その時、私は、別に、私の今の彼女の、その点に、惚れた訳では全くありませんw)。
私は、私の元カノと、親しい友人として、現在まで、ずっと交流が続いています。ちなみに、私の元カノは、私と別れた後、今、夫となっている男性(結婚した男性)とは違う男性達との交際やデートの経験を経て(ちなみに、私は、その事に関して、よく、その元カノの相談に乗る等していました)、比較的、最近の話なのですが、優しく頼りがいのある素敵な男性(彼女の事を、十分に幸せにしてくれるであろう男性。ちなみに、その男性は、長身でイケメンですw)を見つけて結婚をし、今は、主婦として幸せに暮らしています。
また、私の今の彼女と、私の元カノは、元々、面識はあり、知り合い同士であったのですが、今は、親しい友人同士となっていて、私の今の彼女と、私が当時、交際していた女性(私の元カノ)は、二人きりで遊びに出掛けたりもしています。二人とも、趣味や価値観があって、とても仲が良いようです。それは、もしかしたら、前述の通り、私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになったのですが、その事も、関係しているのかもしれませんw」
「ちなみに、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)とは、私が今までに交際して来た女性の中で、交際期間最長記録を更新中ですが、私が彼女に振られない限り、私は、彼女の事を、これからも、ずっと大切にして行きたいと思っています。」
以下、基本的に、2011年の5月の後半に行った投稿の再掲で(投稿文は、2011年の5月の後半の投稿を前提としています)、当時、交際していた、私の元カノ(以下、彼女と書きます)と、大井町(oimachi)線の沿線を散歩して来た時の物です。
ゴールデンウィーク(Golden Week)(下の補足説明参照)の真ん中辺り、5月の第1週の水曜日(以下、この日と書きます)に、大井町(oimachi)線の沿線を散歩して来た時の物です。
ゴールデンウィーク(Golden Week):4月の末から5月の初めまでは、日本では、祝日(国民の休日)が続き、期間が長い祝日連休となる事から、ゴールデンウィーク(Golden Week)と呼ばれています。
大井町(oimachi)線は、東京圏の9つの、大手(大規模)私営鉄道会社(ちなみに、これには、JR東日本(元、日本国有鉄道)は、含まれていません)の一つ、東急(tokyu)電鉄(dentetsu)の路線の一つです。
東急(tokyu)電鉄(dentetsu)(1923年に最初の路線が開業)(東急(tokyu)は、「東京急行(東京express)」、電鉄(dentetsu)は、「電気鉄道」を意味します)は、7つ(路線距離の総合計99.9km)の通勤電車(電車)路線と、1つの路面電車(tram)路線(路線距離5km)を有する私営鉄道会社で、東京圏の9つの大手(大規模)私営鉄道会社(路線距離の総合計は、1,400km以上)の中で、6番目の、路線規模を持つ私営鉄道会社です(wikiを参考にしました)(ちなみに、東京圏の9つの大手(大規模)私営鉄道会社には、東京圏に、長大な、通勤電車網(通勤電車の路線網)を有する、1987年に民営化された、JR(元(かつての)、日本の国有鉄道)は、含まれていません)。
写真以下6枚、東急(tokyu)電鉄(dentetsu)で、過去に使われていた車両の中から幾つか。。。これ等の車両は、何れも、過去に、大井町(oimachi)線でも、使われていました。写真は、日本の旅、鉄道見聞録と言うsite→http://www.uraken.net/railから借りて来ました。

旧3450系車両。1931年にデビュー(debut)した通勤電車(電車)車両で、東急(tokyu)電鉄(dentetsu)の、ほとんどの路線で使われた車両です。

旧3500系車両。1939年にデビュー(debut)した通勤電車(電車)車両です。
写真以下2枚。旧5000系車両。1954年にデビュー(debut)した通勤電車(電車)車両です。東急(tokyu)電鉄(dentetsu)の、新高性能(近代的な技術から、第二次世界大戦後の現代的な技術へと移行した)、通勤電車(電車)の車両で、日本の、新高性能、通勤電車(電車)の車両の先駆けとなった車両の一つです。航空機の技術を応用した超軽量構造と、アメリカからの技術導入による当時世界最先端の電装機器(電気関係の機械・部品)を兼ね備え、日本で初めて本格的に直角カルダン駆動方式を採用しました(wikiより。。。)。

旧5000系車両は、カエル(蛙)を連想させるデザイン(design)から、利用者からは、青(緑)カエル(蛙)(日本では、緑色の事を青と言う場合があります)等と呼ばれ、親しまれていました。

現在、渋谷(shibuya)駅前に、旧5000系車両の車体の一部が保存されています。なお、東急(tokyu)電鉄(dentetsu)は、渋谷(shibuya)駅を拠点としている鉄道会社であり、東急(tokyu)東横(toyoko)線(下の補足説明参照)と、東急(tokyu)田園都市(denentoshi)線(下の補足説明参照)と言う、二つの通勤電車(電車)の路線を核とした鉄道会社です。
東急(tokyu)東横(toyoko)線:渋谷(shibuya。東京都心部の西部に位置する。銀座(ginza)・有楽町(yurakucho)、新宿と並ぶ、東京最大級の繁華街の一つ)と横浜の都心部を結ぶ通勤電車(電車)路線。1926年に開業。路線距離28.3km(東急(tokyu)電鉄(dentetsu)とは、別の会社の経営だが、直通して乗り入れている路線、みなとみらい(minatomirai)線(横浜の都心部の海沿いの地下を走り、横浜の都心部の主要繁華街・ビジネス(business)街間を結ぶ地下鉄路線。4.1km)を含む)。
東急(tokyu)田園都市(denentoshi)線:渋谷(shibuya)と、東京の南西部郊外(横浜の北西部郊外)の、静かで、落ち着いた、郊外住宅地域を結ぶ、通勤電車(電車)路線。1927年に開業。路線距離31.5km。なお、東急(tokyu)田園都市(denentoshi)線は、渋谷(shibuya)から、東京都心部、さらには、東京の、北部郊外・近郊へと、他社の地下鉄・通勤電車(電車)路線に乗り入れていますが、ここでは、その説明は、省略します。

旧6000系車両。1960年にデビュー(debut)した通勤電車(電車)車両です。旧5000系に代わる、高性能、通勤電車(電車)車両として開発された車両で、東急(tokyu)電鉄(dentetsu)において、その後の、旧7000系車両等に続く、現代的なデザイン(design)の通勤電車(電車)車両の先駆けとなった車両です。台枠以外をステンレス鋼(stainless steel)とした、セミステンレス構造となっています(wikiより)。

旧7000系車両。1962年にデビュー(debut)した通勤電車(電車)車両で、日本初の、オールステンレス車両(車体外板、構体、台枠を、ほぼ全てステンレス鋼(stainless
steel)で製造した鉄道車両)(アメリカのBudd Company(下の補足説明参照)との技術提携(Budd
Companyからの技術供与)により製造された)です。写真は、現在、青森(aomori)県(日本の東北地方に位置する県の一つで、日本の東北地方の北端に位置する県)の、中都市(中規模程度の人口を有する都市)の小規模鉄道会社の車両として活躍する、旧7000系車両。
Budd
Company:アメリカの、金属加工・自動車の車体製造会社(及び、かつての、鉄道車両製造会社)。1912年創業。鉄道車両業界においては、1930年代から1970年代頃まで、世界における、ステンレス鋼(stainless
steel)を使った鉄道車体技術をリード(lead)する会社として君臨。1960年に、世界初の、オールステンレス車両(車体外板、構体、台枠を、ほぼ全てステンレス鋼(stainless
steel)で製造した鉄道車両)の地下鉄車両を、アメリカのフィラデルフィア(Philadelphia)の地下鉄に納入。現在は、ThyssenKrupp
(ドイツを代表する会社の一つである、大規模、多国籍、鉄鋼・工業製品会社)の一員となっている。また、鉄道車両部門は、Bombardier
Transportation(カナダのBombardier
Inc.の鉄道部門。本社は、ドイツ。鉄道車両の製造会社としては、1970年代に設立された、比較的後発の会社であったが、相次ぐ買収により規模を一気に拡大させ、世界最大級の鉄道車両製造会社の一つにまで成長してきた)に売却されている。説明は、wikiを参考にしました。
大井町(oimachi)線は、(前述の通り)東急(tokyu)電鉄(dentetsu)の路線の一つで、品川(shinagawa)区(東京中心部(東京23区)の南部に位置する区)の中部と、世田谷(setagaya)区(東京中心部(東京23区)の西端に位置する区)の南端areaを、東西に横切る様な形の(途中、少し、大田(ota)区及び、目黒(meguro)区を通る)、路線距離10.4km(厳密には、これよりも、やや長いが、ここでは、面倒なので、説明を省略)の、やや、のどかな雰囲気を持つ、小規模な(短い路線ですが、今は、停車駅の少ない急行(express)も走っています)、通勤電車(電車)路線(1927年開業)です。
写真以下3枚。大井町(oimachi)線で、現在使われている、通勤電車(電車)車両の中から。。。写真は、日本の旅、鉄道見聞録と言うsite→http://www.uraken.net/railから借りて来ました。

8090系・8590系車両。現在、大井町(oimachi)線で、最も多く使われている、大井町(oimachi)線の主力車両です(2010年4月1日時点で、大井町(oimachi)の全車両の内の、約45.8%を占める。wikiより。。。)。1980年にデビュー(debut)した車両で、現在、大井町(oimachi)線で使われている車両の中で、2番目に、古い型の車両です。ちなみに、この車両は、日本初の軽量ステンレス(stainless steel)構体を採用した、量産鉄道車両だそうです(有限要素法(finite element method)を用いたコンピュータ(computer)解析による車体設計(当時においては、世界最先端の、鉄道の車体の設計方法)がなされ、必要な強度と剛性を保ったまま、従来のオールステンレス車両(車体外板、構体、台枠をほぼ全てステンレス鋼(stainless steel)で製造した鉄道車両)より、車体で約24%(約2t)、編成全体で約8%の重量を軽減することに成功した。wikiより。。。)。東急(tokyu)電鉄(dentetsu)は、日本における、オールステンレス車両の導入の先駆者と言える会社で、1962年に、日本初のオールステンレス車両である、通勤電車(電車)車両、旧7000系車両をデビュー(debut)させています(投稿文、上の方、参照)。なお、東急(tokyu)電鉄(dentetsu)は、自社の車両に、様々な先進技術を積極的に導入し、日本の鉄道界の模範となってきた鉄道会社の一つですが、(技術的には、世界的にも、かなり高い水準にあるものの)、車両のデザイン(design)に関しては、面白くない(先進的ではない)と思われている会社の様です(wikiを参考にしました)。

新6000系車両。2007年にデビュー(debut)した車両で、現在、大井町(oimachi)線で使われている車両の中で、最も、新しい型の車両です。現在、大井町(oimachi)線で、2番目に、多く使われている車両で(2010年4月1日時点で、大井町(oimachi)の全車両の内の、約27.5%を占める。wikiより。。。)、8090系・8590系車両と共に、大井町(oimachi)線の主力車両となっています。これから、古い型の車両に替わり、増えて行くと思われます。

8500系車両。1969年にデビュー(debut)した8000系車両を改良した車両で、1975年にデビュー(debut)した車両です。8000系車両(既に引退)(機器類については、1969年のデビュー(debut)当時としては、極めて先進的で、回生制動(regenerative brake)が可能な他励界磁チョッパ制御方式を、世界で初めて実用化し、また、運転台操作系には、量産鉄道車両としては日本初となる、マスコンハンドルとブレーキレバーを一体化した「ワンハンドルマスコン」が採用されている。wikiより)と、外観も含めて、ほとんど変わらない車両です。現在、大井町(oimachi)線で使われている車両の中で、最も、古い型の車両で、現在、大井町(oimachi)線で、3番目に、多く使われている車両です(2010年4月1日時点で、大井町(oimachi)の全車両の内の、約15.3%を占める。wikiより。。。)。
大井町(oimachi)線では、この他、1986年にデビュー(debut)した、9000系と言う車両が使われています(2010年4月1日時点で、大井町(oimachi)の全車両の内の、約11.5%を占める。wikiより。。。)。
以上、鉄道の車両の技術に関しては、wikiの文を、引用したり、参考にしたりしましたが、正直に言って、私は、鉄道の車両技術に関する、専門用語の意味は、ほとんど分かりませんw(私は、鉄道を含む乗り物全般に興味がありますが、あくまで、広く浅く興味があると言った感じなので。。。)。
この日は、大井町(oimachi)線の、西半分(世田谷(setagaya)区(下の補足説明参照)の南端areaを、東西に横切る部分)の、二子玉川(futagotamagawa)駅から自由が丘(jiyugaoka)駅までの間の沿線を散歩してきました。
世田谷(setagaya)区:東京中心部(東京23区)の西端に位置する区。東京の中心部(東京23区)を構成する23の区の中で、最大級の面積を有すると共に、最大の人口を有している。基本的に、東京の都心部に通勤する人々が暮らす静かで落ち着いた住宅地となっている。
大井町(oimachi)線の、二子玉川(futagotamagawa)、自由が丘(jiyugaoka)間は、上野毛(kaminoge)、等々力(todoroki)、尾山台(oyamadai)、九品仏(kuhonbutsu)と、高級住宅地と言われるエリア(area)が続きます。もっとも、これ等のエリア(area)は、(高級住宅地と言われる事もあり、金持ちが多く暮らしているものの)、中流層・中上流(upper-middle)層の人々も多く暮らしており(どちらかと言えば、住人の中心は、中流層・中上流(upper-middle)層の人々と言った感じ。。。)、普通の、静かで、落ち着いた住宅地の雰囲気も、多く有しており、実質的には、高級住宅地的な雰囲気を持つ、静かで落ち着いた住宅地と言った感じです。。。また、東京中心部(東京23区)の外れ(西南部の外れ)である事から、何となく、のどかな、のんびりとした雰囲気を漂わせています(東京都心部に比べて、時間が経つのが、ゆっくりとしている感じ。。。)。
散歩のスタート(手始め)は、二子玉川(futagotamagawa)で、ウインドウショッピング(window
shopping)&ちょっとした(小物の)買い物から。。。(彼女に、彼女が選んだ物を買ってあげる等しました)。大井町(oimachi)線の、西半分(二子玉川(futagotamagawa)駅、自由が丘(jiyugaoka)駅間)は、二子玉川(futagotamagawa)駅からは、東方面に、上野毛(kaminoge)駅→等々力(todoroki)駅→尾山台(oyamadai)駅→九品仏(kuhonbutsu)駅→自由が丘(jiyugaoka)駅となっています(丁度、世田谷(setagaya)区(東京中心部(東京23区)の西端に位置する区)の南端areaを、西から東に横切る様な形)。等々力(todoroki)、尾山台(oyamadai)、九品仏(kuhonbutsu)、自由が丘(jiyugaoka)に関しては、この投稿の一番下でリンクを付けた、次回の投稿を参照して下さい。
二子玉川(futagotamagawa)areaは、世田谷(setagaya)区(東京中心部(東京23区)の西端に位置する区)の南端areaにある、静かで落ち着いた住宅地です(東京中心部(東京23区内)ですが、東京中心部(東京23区)の外れ(東京中心部(東京23区)の西南端)に位置する事から、どちらかと言えば、郊外住宅地(東京都心に近い郊外住宅地)に分類されるのかな。。。)。暮らし易い街と言うイメージを持たれている街であり、住宅地として、比較的、人気が高い街となっています。なお、二子玉川(futagotamagawa)駅は、東急(tokyu)田園都市(denentoshi)線と大井町(oimachi)線の駅となっています。
写真以下2枚。二子玉川(futagotamagawa)駅前にある、玉川(tamagawa)高島屋(takashimaya)ショッピングセンター(shopping
center)。日本初の、本格的な、郊外型ショッピングモール(shoppinng
mall)として、1969年にオープン(open)した、ショッピングモール(shoppinng mall)です。


日本では、1970年代半ば以降、この、二子玉川(futagotamagawa)のショッピングモール(shoppinng mall)を参考にした、自動車社会に対応した、郊外型、ショッピングモール(shoppinng mall)が、爆発的に増え始め、また、1980年代以降は、田舎や、都市の近郊地域において、農地を埋め立てて、広い敷地を確保した、(どちらかと言えばアメリカ郊外・田舎型の)、ショッピングモール(shoppinng mall)の出店が盛んになりました(wikiを参考にしました)。なお、二子玉川(futagotamagawa)駅の周りでは、この他、最近、二子玉川(futagotamagawa)ライズ(rise)ショッピングセンター(shopping center)と言う、ショッピングモール(shoppinng mall)が、オープン(open)しています。
二子玉川(futagotamagawa)で、ウインドウショッピング(window
shopping)&ちょっとした(小物の)買い物を終えた(彼女に、彼女が選んだ物を買ってあげる等した)後、大井町(oimachi)線に乗車し、一駅目の、上野毛(kaminoge)駅で下車。上野毛(kaminoge)駅で下車した(上野毛(kaminoge)areaを訪れた)のは、今回が初めてでした。韓国で、見られるか分かりませんが、日本で、非常に人気の高い、大衆コメディ(comedy)映画、「釣りバカ日誌」で、主人公の浜崎
伝助(hamasaki densuke)(通称ハマちゃん)が勤める建設会社の社長であり、また、浜崎 伝助(hamasaki
densuke)の釣りの弟子でもある、鈴木 一之助(suzuki
ichinosuke)(通称スーさん)の邸宅は、上野毛(kaminoge)にあると言う設定です(まあ、こんな事は、どうでも良いのですが。。。)。
上野毛(kaminoge)には、五島(gotou)美術館があります。五島(gotou)美術館は、五島
慶太(gotou keita)(下の補足説明参照)の上野毛(kaminoge)の邸宅の敷地の一部を利用して、五島 慶太(gotou
keita)が、個人の趣味で集めた美術品を保存・展示する為に、五島 慶太(gotou
keita)が亡くなった翌年の、1960年に開館した、私営の美術館です(敷地面積約6,000坪(約19,800平方m))。収蔵品(collection)(国宝5件、重要文化財50件を含む約4000件の美術品から成る)の中心は、日本と、日本以外の東洋の古美術(古い、美術作品・工芸作品等)です。
五島
慶太(gotou
keita):会社の買収の強引さで(どちらかと言えば、悪い意味で)有名であった一方、日本の鉄道史上、最も優れた経営者の一人としても知られる。東急(tokyu)電鉄(dentetsu)の経営者として活躍。1882年、長野(nagano)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の山の合間の小さな村、青木(aoki)村の、農家(農民の家)に生まれる。五島
慶太(gotou keita)の父は、製糸業等に手を出し失敗していた為、家計は楽な状況ではなかったが、(五島 慶太(gotou
keita)は)、志は、高く、金銭面等で苦労しながら、1911年、29歳で、東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業。高等文官試験(1894年から1948年まで実施されていた、高級官僚の採用試験)に合格し、(主として鉄道関連の)高級官僚を9年勤めた後に、現在の東急(tokyu)東横(toyoko)線の前身の会社の経営陣に加わる(同社の社長が、鉄道路線建設の資金集めに難航し、鉄道建設に専門の知識を持った経営者を求めて鉄道院(当時、日本の鉄道行政を管轄した国家行政機関)の次官(官僚の最高位の地位にある者)に相談した所、同次官は、部下の五島
慶太(gotou keita)を紹介し、五島 慶太(gotou
keita)は、同社の、社長を補佐して会社の業務執行にあたる取締役(executive)に就任)。五島 慶太(gotou
keita)は、同会社の実質的な経営権を獲得し、数々の競合企業を乗っ取る形で次々と買収、現在の東急(tokyu)電鉄(dentetsu)(東京圏の9つの、大手(大規模)私営鉄道会社の一つ)の原型を造りあげた。1934年、渋谷(shibuya)に、東京圏で、初めての、鉄道会社系のデパートである、東急(tokyu)デパートを開業。第二次世界大戦中の、1943年、内閣顧問に任ぜられ、青森(aomori)から関西(kansai)areaの造船所を視察して回った(視察の後、箱根(hakone)のホテルで報告書を仕上げているところに、次男の戦死を耳にした)。1944年には、東條
英機(tojo
hideki)内閣の運輸通信大臣に就任し、名古屋(nagoya)駅の交通緩和や船員の待遇改善などに貢献する。第二次世界大戦後の、1947年、東條
英機(tojo
hideki)内閣の閣僚だったと言う事で、連合国軍最高司令官総司令部によって公職追放者指定を受け、政府の要職や民間企業の要職に就く事を禁止させられた。1951年に、公職追放が解除され、1952年に、東急(tokyu)電鉄(dentetsu)の会長(社長よりも上の役職)に就任。第二次世界大戦後も、鉄道事業だけでなく、東急(tokyu)電鉄(dentetsu)の路線の沿線の住宅地開発等でも活躍した。1959年に亡くなる。説明は、wikiを参考にしました。
五島(gotou)美術館は、現在、残念ながら、改装工事の為、休館中(2012年の秋頃まで休館予定)です(来る前から、五島(gotou)美術館が現在休館中であると言う事を知っていたので、来てみて、現在休館中と言う事が分かり、がっかりと言う事はありませんでした)。

写真左側、五島(gotou)美術館周辺の、とても広い敷地を持つ、一戸建て住宅。

多摩(tama)美術大学(東京にある私立の美術大学で、日本の、名門、美術大学の一つ)の上野毛(kaminoge)のキャンパス(campus)。多摩(tama)美術大学は、上野毛(kaminoge)のキャンパス(campus)と、東京の西部郊外のキャンパス(campus)(東京都心部から遠い、東京の西部郊外にある)、二つキャンパス(campus)を有しており(上野毛(kaminoge)のキャンパス(campus)よりも、西部郊外のキャンパス(campus)方が、ずっと広い様です)、本部は、上野毛(kaminoge)のキャンパス(campus)に入っています。多摩(tama)美術大学は、1935年創立の、私立の美術大学です(1935年に、帝国美術学校(現在の武蔵野(musashino)美術大学(東京の西部郊外にある、私立の美術大学で、日本の、名門、美術大学の一つ)より、多摩(tama)帝国美術学校として分離独立したのが、始まり。。wikiより。。。)。初代校長は、杉浦 非水(sugiura hisui)(下の補足説明参照)であることから、デザイン(design)に対し先駆的な試みや教育が行われており、卒業生の多くは、デザイン(design)の現場や実務に携わるとされています(wikiより)。
杉浦
非水(sugiura hisui):1876年生まれ。1965年に亡くなる。日本の、日本伝統画家、グラフィックデザイナー(graphic
designer)。近代日本における、グラフィックデザイン(graphic
design)をリード(lead)し、現代の日本のグラフィックデザイン(graphic
design)の基礎を築いたグラフィックデザイナー(graphic
designer)の一人。1900年代からグラフィックデザイナー(graphic
designer)として活躍し、特に、1910年代頃からグラフィックデザイナー(graphic designer)として有名になる。
この時、多摩(tama)美術大学付属の、多摩(tama)美術大学美術館を訪れようかと思っていたのですが(多摩(tama)美術大学美術館は、訪れた事がありませんでした)、何処が入り口か分からず、尋ねるにも、人が見当たらず、何だか、やっている様な雰囲気もなかったので、もう、いいやと言った感じで、訪れるのを、諦めました(この時、上野毛(kaminoge)で電車を下車した(上野毛(kaminoge)を訪れた)主目的は、多摩(tama)美術大学美術館を訪れる事にあったのですが、意外と、すぐに、諦めてしまいました)。後日調べた所、多摩(tama)美術大学美術館は、何と、上野毛(kaminoge)のキャンパス(campus)でも、西部郊外のキャンパス(campus)でもなく、東京の西部郊外の、全く別の場所(東京都心部から、比較的遠い、東京の(やや西南部気味の)西部郊外)にありました。私は、てっきり、多摩(tama)美術大学美術館は、上野毛(kaminoge)のキャンパス(campus)の敷地内にあると思っていました(と言うか、そもそも、多摩(tama)美術大学のキャンパス(campus)は、上野毛(kaminoge)にしかないと思っていましたorz)。
写真以下5枚。この日は、朝寝坊をし、遅い朝食兼早目の昼食を食べてから、我が家を出たのですが、二人共、ちょっと腹が減り、適当に目についた、多摩(tama)美術大学の上野毛(kaminoge)のキャンパス(campus)の近くのcafeで、軽食を食べました(実際は、軽食を食べてから、上野毛(kaminoge)areaを、ぶらぶらと散歩したのですが、投稿の便宜上、こちらの写真を、後に持ってきました)。このcafeは、多摩(tama)美術大学の学生が、よく利用しているのかな。。。美味しかったです。
写真以下3枚。私が、この時食べた物。

牛肉のビール(Guinness)煮。

牛肉のビール煮の付け合せ(side dish)のパン。

牛肉のビール煮の付け合せ(side dish)のサラダ(salad)。
写真以下2枚、彼女が、この時食べた物。

スモークサーモン(smoked salmon)とクリームチーズ(cream cheese)のサンドイッチ(sandwich)。

サンドイッチ(sandwich)の付け合せ(side dish)のスープ(soup)。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
尾山台・九品仏・等々力渓谷他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3940626?&sfl=membername&stx=nnemon2