以下、基本的に、2012年の11月の前半に行った投稿の再掲で(投稿文は、2012年の11月の前半の投稿を前提としています)、2012年の6月の下旬に、私の今の彼女と、東京の北西部近郊(埼玉(saitama)県)の、秩父(chichibu)areaに、一泊の、小旅行に行って来た時の物です。
当時、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)と付き合い始めの頃で、彼女は、まだ10代の大学生で、私も、まだ、30代の半ばの終わり頃でしたが、私は、20代の初めまでは、実年齢よりも上に見られ、20代の後半頃からは、実年齢よりも、下に見られるようになり、それが、今も続いている事もあって、当時から、傍から見て、特に違和感のあるcoupleに見られませんでした。ちなみに、その事に関して、彼女は、内面は、少女的な面も多いのですがw、ルックスは可愛い系・幼く見える系の女性ではないと言う事もあると思います。ちなみに、私は、当時から、特に遠慮はしないで(自然体で)、彼女に、大人の世界を見せて来ました。
以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「適度に可愛くて男性達に身近な存在として気軽にチヤホヤされて来た・チヤホヤされている女性・女の子よりも、美人でスタイルが良い美人型の女性・女の子の方が、相対的に、真面目で純粋で性格が良いなんて事もありますが、私の今の彼女の場合、後者です。私の今の彼女は、一般的に見て、所謂、高嶺の花的な女性に該当しますが、話すと穏やかで、又、私と同じで、天然で、細かい事は気にしない、大雑把な面がありますw」
以下、「以下、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。」と言う文までは、前回の投稿と重複します。
6月の下旬に、彼女と、東京の北西部近郊の、秩父(chichibu)areaに、一泊の、小旅行に行って来た時の物です。秩父(chichibu)市(下の補足説明を参照)を中心とする秩父(chichibu)areaは、古くから仏教の巡礼地として人気の場所であると共に、豊かな自然を有し、観光地となっています。
秩父(chichibu)市:東京の北西部近郊(東京圏の北部に位置する埼玉(saitama)県の西部)に位置する、人口6万5,000人程の小都市で、埼玉(saitama)県西部の中心都市。埼玉(saitama)県は、東京中心部(東京23区)の北部等に隣接し、基本的には、東京都心部に通勤する人々が多く暮らす、東京の北部郊外の住宅地域となっていますが、西部地域は、豊かな自然を有しています。秩父(chichibu)市は、秩父(chichibu)area(ほぼ、埼玉(saitama)県西部と一致)の中心都市となっていますが、秩父(chichibu)市自体、豊かな自然を有しています(ちなみに、Singaporeの国土面積は、秩父(chichibu)市の面積(600平方m近く)の、約1.2倍に過ぎませんが、人口は、約518万人で、秩父(chichibu)市の約80倍あります)。秩父(chichibu)市の中心部にある、とても歴史が古い(創建は、紀元前87年頃と伝えられています)、神道(Shinto)の神社(shrine)、秩父(chichibu)神社(shrine)の、お祭りである、秩父(chichibu)夜祭りは、東京圏(東京area)で、最大級の祭りの一つとなっています。秩父(chichibu)夜祭りの歴史は、とても古い様ですが、現在の様な形式になったのは、18世紀初め頃の様です。
秩父(chichibu)は、古くから(15世紀頃から)、仏教の巡礼地として人気の場所であり(特に、秩父(chichibu)への巡礼が盛んとなったのは、17世紀頃から)、秩父(chichibu)areaにある、仏教の寺・お堂(礼拝所)の内、34ヶ所(ほとんどが、寺)が、「秩父(chichibu)34ヶ所」と言う、(秩父(chichibu)areaの34ヶ所の)巡礼地として指定されています(全て、狭義の秩父(chichibu)area内にあると言った感じで、25ヶ所が、秩父(chichibu)市内にあり、残りは、何れも、秩父(chichibu)市に隣接する町にある)。私は、一時期、秩父(chichibu)にはまっていて(秩父(chichibu)が気に入り、秩父(chichibu)に、盛んに、小旅行に行っていた時期があって)、「秩父(chichibu)34ヶ所」に指定されている、全ての、寺・お堂を、訪れた事があります(一度に、全部、訪れた訳ではありません)。
この時、秩父(chichibu)では、柴原(shibahara)鉱泉に、二つある鉱泉(温泉)旅館の内の一つに宿泊しました。
柴原(shibahara)鉱泉は、この時、初めて訪れました。柴原(shibahara)鉱泉は、前から、ちょっと気になっていて、一度、宿泊して、鉱泉(温泉)に入ってみたいなと思っていた場所です。この時、秩父(chichibu)を訪れた目的は、柴原(shibahara)鉱泉の、温泉(鉱泉)旅館に宿泊する事にありました。
柴原(shibahara)鉱泉は、秩父(chichibu)の南西部近郊の山の中の谷間に位置する、隠れ家的な、鉱泉(温泉)保養地です。ちなみに、鉱泉とは、温泉と同じ成分を含む湧水で、温泉と同じ療養効果(美容、健康、病気等の治療への効果)がありますが、温泉よりも温度の低い物を言います。逆に、鉱泉の内、温度の高い物が温泉であるとも言えます。したがって、温泉と鉱泉は、実質的に同じ様な物です。鉱泉は、そのままでは、冷たくて、入浴して暖まるのに、適した温度ではない為、温泉として(温泉の様に)入浴するには、沸かして、人工的に温める必要があります。また、温泉であっても、比較的温度の低い物は、入浴に利用する場合は、やはり、入浴に適した温度に、沸かして、温める必要がありますし、また、逆に、温度が高過ぎる物は、入浴に利用する場合は、冷ますか、水を加えて、人工的に、温度を低くする必要があります。
柴原(shibahara)鉱泉は、鉱泉(温泉)保養地(湯治場)としての歴史は、古く、400年以上の歴史がある様です(柴原(shibahara)鉱泉の源泉の井戸(現在も、柴原(shibahara)鉱泉で営業している、二軒の温泉(鉱泉)旅館で使用している様です)の歴史は、鉱泉(温泉)保養地(湯治場)としての柴原(shibahara)鉱泉の歴史よりも、さらに古く、10世紀から14世紀初め頃に掘られたと言われています)。歴史的に、世帯数は、少なく、常時、鉱泉(温泉)施設・鉱泉(温泉)宿泊施設を含めて、7世帯以下位だった様です。柴原(shibahara)鉱泉は、(特に、現在は)交通の便は、あまり不便ではありませんが、山奥にあると言った感じで、隠れ家的な、鉱泉(温泉)保養地と言った雰囲気は、十分です。
この時、私達が、柴原(shibahara)鉱泉で宿泊した、温泉(鉱泉)旅館(以下、この温泉(鉱泉)旅館と書きます)は、開業は、1954年と、おそらく、柴原(shibahara)鉱泉で、最も新しく開業した温泉(鉱泉)宿泊施設です(建物は、時代に合わせて建て替えられています)。この温泉(鉱泉)旅館は、日本秘湯(hitou)を守る会に加盟している鉱泉(温泉)旅館です。秘湯(hitou)とは(説明は、wiki等を参考にしました)、主に山奥等の交通の便が悪い、辺鄙な場所に存在する、ひっそりとした、人に知られていない(または、常連客が、他人に知らせたくない)、素朴で、鄙びた温泉旅館・温泉民宿等の温泉宿泊施設(又は温泉地)の事を言います。日本には、もちろん、普通の温泉旅館が、非常に多いですが、秘湯(hitou)と呼ばれる、又は、秘湯(hitou)と呼べる、温泉(又は鉱泉)宿泊施設も、結構たくさんあります。もっとも、この温泉旅館は、秘湯(hitou)と呼ぶには、少し洗練され過ぎている様に思いました(ちなみに、個人的には、この温泉旅館に関しては、その事が、悪い評価に繋がる事は、全くありません。。。)。秘湯(hitou)と言えば、むしろ、柴原(shibahara)鉱泉で、現在営業している、もう一つの温泉(鉱泉)旅館の方が、どちらかと言えば、日本秘湯(hitou)を守る会に加盟するのに、ふさわしい宿泊施設の様な気がします(その温泉(鉱泉)旅館は、日本秘湯(hitou)を守る会に加盟していません)。
この温泉(鉱泉)旅館は、中級classの温泉旅館であり、中級classの温泉旅館の中では、比較的安い温泉旅館です。客室数は、10室程度と少なく、静かで、落ち着いた温泉旅館です。この温泉旅館は、個人的に、温泉(鉱泉)風呂、食事を中心とした、総合的な、満足度は、かなり高かったです。個人的に、お気に入りの温泉旅館と、十分なり得る温泉旅館なのですが、秩父(chichibu)は、少し飽きていて、今は、頻繁に訪れる程の魅力を感じる場所ではないので、今後、お気に入りの旅館になるかについては、微妙と言った感じです。
この温泉(鉱泉)旅館の食事は、夕食も、朝食も、部屋出し(食堂(dining room)で食べるのでは無く、ホテルのroom serviceの様に、部屋まで料理が運ばれて来て、部屋で料理を食べる形式)でした。
この温泉(鉱泉)旅館の食事は、夕食、朝食共に、地元で採れた食材を、最大限に活かした食事でした。全般的に、美味しく、満足感の高い食事でした(唯一の、ちょっとした不満は、朝食の、おかずの量と内容が、少し寂しかった事かな。。。)。
以下、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。この温泉(鉱泉)旅館についての概要、及び、この温泉旅館の夕食に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿を参照)して下さい。
柴原鉱泉(歴史の古い鉱泉)他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3866739?&sfl=membername&stx=nnemon2
この温泉(鉱泉)旅館の、温泉(鉱泉)風呂(おそらく、源泉かけ流しです)は、男女別の共同風呂で、二つの共同温泉(鉱泉)風呂があって、時間によって、男用共同温泉風呂と女用共同温泉風呂が入れ替わります。仮に、この投稿において、この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂の一つを共同温泉(鉱泉)風呂A、もう一つの、共同温泉(鉱泉)風呂を、共同温泉(鉱泉)風呂Bとしますが、私達が宿泊した時は、チェックイン(check-in)時間から、夜の比較的遅い時間までは(確か、夜10時までだったかな。。。)、共同温泉(鉱泉)風呂Aが、男用の共同温泉(鉱泉)風呂、共同温泉(鉱泉)風呂Bが、女用の共同温泉(鉱泉)風呂、夜10時(確か。。。)に、男用の共同温泉(鉱泉)風呂と女用の共同温泉(鉱泉)風呂が入れ替わり、それ以降、チェックアウト(check-out)時間までは、共同温泉(鉱泉)風呂Aが、女用の共同温泉(鉱泉)風呂、共同温泉(鉱泉)風呂Bが、男用の共同温泉(鉱泉)風呂となりました。
この温泉(鉱泉)旅館の、温泉(鉱泉)風呂は、雰囲気も良く、湯は、優しい感じで、入浴していて、気持ちが、とても安らぐ温泉(鉱泉)風呂でした。
この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂Aに関しては、上でリンクを付けた、前回の投稿を参照して下さい。
以下、翌日(二日目。以下、この日と書きます。。。)からです。
写真以下9枚。翌朝は、早起きして(寝不足でしたが、まあ、自動車の運転もないし、いいかと言う事で。。。(東京都心部への帰りの電車で寝て行けるし。。。))、まず、朝の心地良い光に包まれた、温泉(鉱泉)風呂に入りに行きました。
写真以下9枚。この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂B。この温泉(鉱泉)旅館の、温泉(鉱泉)風呂は、榧の木で作られている事が特徴で(この温泉(鉱泉)旅館は、ロビー(lobby)や廊下、温泉風呂等、建物と施設に、ふんだんに、榧の木が使われている事が特徴となっています)、良い香りがして、心地良かったです。
写真以下4枚。この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂Bの、屋内(室内)温泉(鉱泉)風呂。





この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂Bの、屋内(室内)温泉(鉱泉)風呂から、温泉(鉱泉)露天(野外)風呂へ行く廊下。
写真以下4枚。この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂Bの、温泉(鉱泉)露天(野外)風呂。




写真以下23枚。温泉(鉱泉)に入浴後、朝食前に、柴原(shibahara)鉱泉を、少し散歩しました。前述の通り、柴原(shibahara)鉱泉は、歴史的に、世帯数は、少なく、常時、鉱泉(温泉)施設・鉱泉(温泉)宿泊施設を含めて、7世帯以下位だった様です。現在も、全世帯数は、5、6世帯位と言った感じで、温泉(鉱泉)旅館を除けば、農家等が数軒ある程度と言った感じです。
写真以下7枚。柴原(shibahara)鉱泉では、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館を含めて、現在、二つの、温泉(鉱泉)旅館が営業していますが、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館の隣にある、柴原(shibahara)鉱泉の、もう一つの温泉(鉱泉)旅館(以下、この温泉(鉱泉)旅館と書きます)の建物の一部。この温泉(鉱泉)旅館は、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館よりも、歴史が古く、19世紀半ばに創業した温泉(鉱泉)旅館です。この旅館は、手打ち蕎麦が有名な様です。また、料理は、この時、私達が宿泊した温泉旅館同様、地元で採れた食材を、最大限に活かした物の様です。前述の通り、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館と、この温泉(鉱泉)旅館、どちらに宿泊するのか、迷いましたが、個人的に、総合的な魅力は、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館が勝る感じだったので、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館の方を選びました。この温泉(鉱泉)旅館は、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館よりも、すこし大衆的で、大衆classと中級classの間と言った感じの、温泉(鉱泉)旅館の様です。また、いつか、この温泉旅館も、泊まってみたいと思っています。

この温泉(鉱泉)旅館の玄関となっている建物(おそらく。。。)。
写真以下6枚。この三階建ての建物は、150年以上前(1850年代末位。この温泉(鉱泉)旅館の創業時)に建てられた建物の様です。現在は、使われていません。









柴原(shibahara)鉱泉の農家の一つ。

柴原(shibahara)鉱泉では、近年まで、4つの、温泉(鉱泉)旅館が営業していた様ですが、二つが閉館し(後継者不足(旅館を継ぐ者がいない)、建物の老朽化(建物が、古くて、営業用の建物としての維持費等に限界が来ていた)等の理由がある様です)、現在は、前述の通り、二つの温泉(鉱泉)旅館しか営業をしていません。
写真以下2枚。近年閉館(営業を停止)した、柴原(shibahara)鉱泉の温泉(鉱泉)旅館の一つの建物。この温泉(鉱泉)旅館は、閉館した時点において、約300年もの歴史を有し、建物(写真以下2枚)も、(部分的に改装がなされているものの)、この旅館の開業時からの物で、閉館した時点において、建てられてから、約300年が経っていた様です。



ホタルブクロ(蛍袋)。ホタルブクロ(蛍袋)は、前日、(この時、私達が宿泊した)温泉(鉱泉)旅館の夕食で、山菜(山や、森、野原で採れる食用植物)の天麩羅の一つとして、天麩羅で出て来ました。






写真以下3枚。写真正面の、昔の、日本の城(castle)の一部の様な建物は、この時、私達が宿泊した、温泉(鉱泉)旅館の、オーナー(owner)が暮らす家です(おそらく。。。)。



写真以下6枚。この時、私達が宿泊した、温泉(鉱泉)旅館の朝食(この時、私達が、この温泉旅館で、食べた朝食)。全て一人一皿ずつです(写真は、一人分)。これと、あと、ご飯(rice)が、朝食の内容です。






この時は、電車を利用して、秩父(chichibu)を訪れました。その事に関しての詳細は、上でリンクを付けた、前回の投稿を参照して下さい。
この日は、長瀞(nagatoro)を散歩し、長瀞(nagatoro)を散歩した後、西武(seibu)秩父(chichibu)駅(秩父(chichibu)市の中心部にある電車駅の一つ)の駅前の、蕎麦食堂で、昼食を食べてから、東京都心部へ帰りました。

秩父(chichibu)鉄道(秩父(chichibu)本線を運営する、中小規模の鉄道会社)の、秩父(chichibu)本線(下の補足説明参照)の武州日野(bushu
hino)駅(秩父(chichibu)市中心部から、南西に約8km)。趣のある駅の建物(上の写真)は、1930年に建てられた物の様です。武州日野(bushu
hino)駅は、私達が、この時宿泊した、柴原(shibahara)鉱泉の、最寄り駅です。柴原(shibahara)鉱泉は、武州日野(bushu
hino)駅(秩父(chichibu)の中心部から、電車で約15分)から、3km位、山の中の細い道を入った所にあります。武州日野(bushu
hino)駅と柴原(shibahara)鉱泉の、行き帰りは、この時、私達が、柴原(shibahara)鉱泉で宿泊した、温泉(鉱泉)旅館の自動車に送迎して貰いました(駅から、旅館までは、送迎自動車で10分程でした)。
秩父(chichibu)本線:1901年開業。秩父(chichibu)areaと、埼玉(saitama)県(東京圏の北部に位置する県)の北端部を結ぶ、近郊電車路線。全長約72km。地元の高校生の通学路線・観光路線・鉱物(秩父(chichibu)で産出される良質な石灰石)を運ぶ貨物路線(もちろん、貨物輸送には、貨物用車両が使われます)等の役割を果たしている。
武州日野(bushu
hino)駅から、秩父(chichibu)本線を利用し、長瀞(nagatoro)まで行きました。長瀞(nagatoro)は、東京の北西の近郊(埼玉(saitama)県北西部)に位置する町です。長瀞(nagatoro)は、広義の秩父(chichibu)area(ほぼ、埼玉(saitama)県西部と一致)に含まれ、狭義の秩父(chichibu)areaの北部に隣接しています。
ちなみに、私は、昔から(子供の頃から)、鉄道を含めた、乗り物全般に、広く浅く興味があります。
写真以下2枚。これは、「日本の旅 鉄道見聞録」と言うsite→
http://www.uraken.net/rail/ から借りて来た写真ですが、現在の、秩父(chichibu)本線の主力車両である、秩父(chichibu)鉄道1000系車両。主力車両とは言っても、さすがに、老朽化が進み、比較的新しい形式の車両に、徐々に、取って替わられて行っている様です。秩父(chichibu)鉄道1000系車両は、元、日本国有鉄道(現在のJR)の、1957年にデビュー(debut)した通勤電車(電車)車両(日本国有鉄道101系車両)で、秩父(chichibu)鉄道が、日本国有鉄道で引退した、日本国有鉄道101系車両の一部を譲り受け、秩父(chichibu)本線の車両として導入した物です。日本国有鉄道101系車両(現在の、秩父(chichibu)鉄道1000系車両)は、第2次世界大戦後の、日本の通勤電車(電車)車両の基礎となった車両の一つで、鉄道博物館(東京の北部郊外(埼玉(saitama)県)に位置する、日本最大級の、鉄道の博物館)に展示される程の、歴史的な電車車両となっています。秩父(chichibu)本線は、その様な歴史的な車両が、現役で活躍する貴重な路線となっています。
写真以下2枚(写真は、「日本の旅 鉄道見聞録」と言うsite→
http://www.uraken.net/rail/
から借りて来た物)。秩父(chichibu)本線では、現在、秩父(chichibu)鉄道1000系車両(元、日本国有鉄道101系車両)は、様々な色の物が運行されています。日本国有鉄道時代に、東京都心部を走る通勤電車(電車)及び、東京都心部と郊外を結ぶ、通勤電車(電車)車両として活躍していた頃は、長大な編成で運行されていたと思いますが、(東京都心部を走る路線や東京都心部と郊外を結ぶ路線に比べれば、利用者数が、圧倒的に少ない)秩父(chichibu)本線においては、写真の様に、短い編成(通常三両編成)で運行されています。

これは、日本国有鉄道(現在のJR東日本)の総武(sobu)線(正式名称。中央(chuo)・総武(sobu)緩行線。東京都心部と、東京の東部郊外を結ぶ、通勤電車(電車)路線)を象徴する色である、黄色(canary yellow)の塗装がなされた、秩父(chichibu)鉄道1000系車両(元、日本国有鉄道101系車両)。

これは、秩父(chichibu)鉄道の旧標準色の塗装がなされた、秩父(chichibu)鉄道1000系車両(元、日本国有鉄道101系車両)。

これは、前にアップ(upload)した写真の再利用ですが、鉄道博物館に展示されている、日本国有鉄道101系車両。1957年にデビュー(debut)した、日本国有鉄道の、新高性能(近代的な技術から、第二次世界大戦後の現代的な技術へと移行した)、通勤電車(電車)車両で、日本の、新高性能(近代的な技術から、第二次世界大戦後の現代的な技術へと移行した)通勤電車(電車)車両の、先駆けとなった車両の一つであると共に、第2次世界大戦後の、日本の通勤電車(電車)車両の基礎となった車両の一つでもあります。ちなみに、この車両がデビュー(debut)した、翌年(1958年)に、東京towerが完成しました。東京tower(高さ約333m。1958年に完成した当時は、パリのEiffel
tower(約324m)を抜かし、世界一高い、(観光用の展望台を有する)塔でした)は、来るべきTVの大衆化時代(日本では、TV放送は、1953年に始まり、当初は、TVは、庶民にとっては、中々手が届かない贅沢品であったが、1950年代末には、テレビ(TV)が、庶民の家庭にも普及する様になった)に備えて、東京areaにTV電波を大量に送信する為に建てられたTV電波塔です。日本は、1950年代から1960年代にかけて、(第二次世界大戦後間も無くの荒廃からの)急速な経済復興と急速な経済成長を果たしましたが、この車両がデビュー(debut)したのは、丁度、日本が、戦後の大量生産・大量消費社会(大衆を中心とした消費社会)の夜明けを迎える頃でした。

秩父(chichibu)鉄道1000系車両(元、日本国有鉄道101系車両)の天井。秩父(chichibu)鉄道1000系車両(元、日本国有鉄道101系車両)は、冷房(air
conditioner)装置が付いている車両と、冷房装置(air
conditioner)が付いていない車両がありますが(暑過ぎる時は、冷房装置(air
conditioner)の付いている車両に移動すれば良い。秩父(chichibu)鉄道1000系車両は、通常、三両編成で運行されるが、その場合、中間の車両のみ、冷房装置(air
conditioner)が付いていない車両で運行される。確か。。。)、これは、冷房装置が付いていない車両(ちなみに、現在、秩父(chichibu)本線で使用されている車両は、秩父(chichibu)鉄道1000系車両以外は、全て、冷房装置(air
conditioner)が付いています。たぶん。。。)。天井に扇風機が付いています。秩父(chichibu)鉄道1000系車両(元、日本国有鉄道101系車両)は、現代の基準からすれば、設計自体が、既に古いのか(1957年にデビュー(debut)した車両)、それとも、車両が製造されてから長い年月が経過した事による車両自体の老朽化による物なのか分かりませんが、何れにしても、現在の、東京都心部で走っている地下鉄の車両や、東京都心部と東京郊外を結ぶ通勤電車(電車)の車両と比べて、とても、よく揺れますしw、乗り心地も、遥かに悪いです。もっとも、鉄道を含めた、乗り物全般に、広く浅く興味のある私としては、この様な、(ちょっと大袈裟かも知れませんが)走る博物館的な電車に乗るのも、楽しいです。
話が、脱線してしまいましたが、写真以下3枚。秩父(chichibu)本線の、長瀞(nagatoro)駅(長瀞(nagatoro)の中心鉄道駅。秩父(chichibu)市中心部から、北に約13km)の建物。この、趣のある駅の建物は、1910年代前半に建てられた様です。長瀞(nagatoro)駅周辺は、長瀞(nagatoro)及び長瀞(nagatoro)渓谷(次回の投稿を参照)の観光の、拠点及び中心地となっています。長瀞(nagatoro)は、長瀞(nagatoro)渓谷を中心とした、東京近郊の、気軽な観光地・保養地となっています。



駅の建物の天井。

長瀞(nagatoro)駅と、長瀞(nagatoro)渓谷の間の、規模の小さな商店街にある、豆屋店の看板。

上の、豆屋店で買った、空豆と、きな粉(大豆を粉末にした食品)を使った、素朴な、甘い豆菓子。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
川合玉堂・長瀞渓谷他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3866737?&sfl=membername&stx=nnemon2