以下、「以下、以下の投稿の続きです。」と言う文までは、前回までの投稿と重複します。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、女性に、結構合わせているようでいて、その一方において、実は、女性に結構、自分の趣味に付き合って貰って来てもいます。今の彼女も含み、相手の女性は、それはそれで、私色に染まって、私の影響を受けて、私と共に、楽しんで来てくれました(楽しんでくれてます)。ちなみに、私の今の彼女は、元々、好奇心が強い性格です。」
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
以下、「以下、基本的に、2013年の2月の後半に行った投稿の再掲です。」と言う文からは、基本的に、2013年の2月の後半に行った投稿の再掲で、2012年の12月の下旬に、私の今の彼女と、上野(ueno)を散歩して来た時の事等です。
当時、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)と付き合い始めの頃で、彼女は、まだ10代の大学生で、私は、30代でした。私は、20代の初めまでは、実年齢よりも上に見られ、20代の後半頃からは、実年齢よりも、下に見られるようになり、それが、今も続いている事もあって、当時から、傍から見て、特に違和感のあるcoupleに見られませんでした。ちなみに、その事に関して、彼女は、内面は、少女的な面も多いのですがw、ルックスは可愛い系・幼く見える系の女性ではないと言う事もあると思います。ちなみに、私は、当時から、特に遠慮はしないで(自然体で)、彼女に、大人の世界を見せて来ました。
以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「適度に可愛くて男性達に身近な存在として気軽にチヤホヤされて来た・チヤホヤされている女性・女の子よりも、美人でスタイルが良い美人型の女性・女の子の方が、相対的に、真面目で純粋で性格が良いなんて事もありますが、私の今の彼女の場合、後者です。私の今の彼女は、一般的に見て、所謂、高嶺の花的な女性に該当しますが、話すと穏やかで、又、私と同じで、天然で、細かい事は気にしない、大雑把な面がありますw」
以下、基本的に、2013年の2月の後半に行った投稿の再掲です(投稿文は、2013年の2月の後半の投稿を前提としています)。
去年の12月の下旬に、彼女と、上野(ueno)を散歩して来た時の物です(以下、この、上野(ueno)を散歩して来た日の事を、この日と書きます)。この日は、2人共(私も彼女も)、歩き易い靴で出掛けました。この日の、流れは、以下の通りでした(投稿文は、便宜上、必ずしも、この日の流れに沿っている訳ではありません)。東京都美術館で、展覧会(exhibition)を見る(午前中)→国立科学博物館を訪れる(昼食は、国立科学博物館のレストランで食べました)→アメ横(ameyoko)を散歩→上野(ueno)駅に入っている店舗で、少し買い物→上野(ueno)駅に入っている、「Afternoon
Tea」で、おやつを食べる→上野(ueno)駅に入っている、「Brasserie L’ecrin」で夕食を食べる→我が家に帰る。
上野(ueno)は、東京都心部の北東部に位置する、浅草(asakusa)と並ぶ、東京の下町(東京都心部東部。旧市街)最大級の繁華街です。
上野(ueno)には、上野(ueno)公園があります。上野(ueno)公園は、東京中心部にある公園の中では、最大級の公園の内の一つであり、また、美術館・博物館等の文化施設が集まっています。
東京都美術館で、展覧会(exhibition)を見た後は、国立科学博物館を訪れ、午後は、国立科学博物館で過ごしました(なお、この投稿の、国立科学博物館に関する写真は、前に、kjで、アップ(upload)した写真の、再利用も、含みます)。
国立科学博物館(1877年設立)は、日本の、国立の(厳密には微妙に違いますが、ここでは説明は、省略します)、科学博物館です。科学に関する、非常に多くの資料を収蔵する博物館で、規模が大きく、見応えのある博物館です。
私は、子供の頃、博物館が好きで、この国立科学博物館や、交通博物館、科学技術館に、よく行きました(幼い時は、親に連れて行ってもらいましたが、小学校4年生頃からは、同じ興味を持つ友達(達)と、小学生だけで、行く様になりました。中学生になってからは、ほとんど行かなくなりましたが。。。)。私は、幼い頃、恐竜に、とても興味があったので(私は、幼稚園当時、恐竜に、とても興味があり、幼稚園児基準で、恐竜に、とても詳しかったので、男子達からは恐竜博士とも呼ばれていましたw)、取り分け、国立科学博物館の、恐竜に関する展示は、印象に残っています(ちなみに、かつては、本館(honkan)(現在の日本館)の1階の、かつての玄関を入って右側が、恐竜に関する展示室となっていました)。
今回、国立科学博物館を訪れたのは、一昨年、とても久しぶりに(15年ぶり位に)訪れて以来で、国立科学博物館が、大規模な改装がなされてからは(現在の地球館の建物が建てられてからは)、2回目でした。
国立科学博物館の現在の建物は、1931年に建てられた、重厚な近代建築の本館(honkan)(日本館)の建物と、(本館(honkan)(日本館)に接する)現代建築の地球館の建物から成ります(現在の地球館の建物が建てられる前にも、国立科学博物館には、展示の為の建物として、本館(honkan)(現在の日本館)に加えて、本館(honkan)(現在の日本館)に隣接した現代建築の建物がありましたが、現在の地球館の建物が建てられる際に、取り壊されました)。
以下、以下の投稿の続きです。国立科学博物館に関しては、以下の(すぐ下でリンクを付けた)3つの投稿も合わせて、ご覧下さい。
国立科学博物館他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3871040?&sfl=membername&stx=nnemon2
国立科学博物館他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3871039?&sfl=membername&stx=nnemon2
国立科学博物館他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3871037?&sfl=membername&stx=nnemon2
国立科学博物館の地球館は、地球の生物と、地球の生物の発展(恐竜を含む)、近代以降の、日本の技術の発展の歴史等が、展示の中心となっています。
写真以下10枚。国立科学博物館の地球館の展示例の続きです。国立科学博物館の地球館の展示例に関しては、すぐ上でリンクを付けた、前回の投稿も参照して下さい。


オートモ号(1925年製)。オートモ号は、日本の自動車産業の最初期の頃の量産乗用車の一つで(日本車の量産乗用車の、先駆けとなった自動車の一つで)、1924年より、市販され、約300台製造されました。日本の自動車(日本車)の歴史は、蒸気自動車は、1904年から、ガソリン(gasoline engine)自動車は、1907年から、量産乗用車は、1919年からありますが、日本の自動車技術が、ようやく、徐々に、世界水準に達し始めるのは、1960年代後期から1970年代初め頃(1960年代後期から1970年代初め頃において、既に、日本は、特定分野の、自動車技術においては、世界最先端の物を持っていた)、総合的に世界水準に達するのは(日本が、西ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、スウェーデンと並ぶ、総合的な自動車技術先進国となるのは)、1980年代を待たなければなりませんでした(ちなみに、日本は、おそらく、自動化を取り入れた、自動車の生産技術に関しては、既に、1970年代において、世界の先端を走っていたと思います)。
日本の飛行機の技術は、第一次世界大戦と、第二次世界大戦の、戦間期の後期(1930年代後半)には、世界水準に達しました。
写真以下2枚。三菱(mitsubishi)零(0)式艦上戦闘機。1939年に登場した、日本海軍の戦闘機です。第二次世界大戦中の、優れた戦闘機の一つとして、アメリカの、North
American P-51 Mustang、イギリスの、Supermarine Spitfire 、ドイツの、Messerschmitt Bf
109、Focke-Wulf Fw
190等と共に、世界的に名が知られている戦闘機です。第二次世界大戦中の、日本海軍の主力戦闘機であり(日本海軍の、後継の、主力戦闘機の開発が、遅れた為、結局、第二次世界大戦を通じて、多く使用された)、第二次世界大戦における、日本の戦闘機の中で、最も多く生産されました。三菱(mitsubishi)零(0)式艦上戦闘機は、第二次世界大戦の初期においては、世界最高水準の性能を持つ戦闘機でした(世界で、最も強いclassの戦闘機の一つでした)。三菱(mitsubishi)零(0)式艦上戦闘機が、登場した当時(第二次世界大戦初期において)、おそらく、一対一(一機対一機)の格闘戦において、三菱(mitsubishi)零(0)式艦上戦闘機に、敵う戦闘機は、世界に存在しなかったと思います。三菱(mitsubishi)零(0)式艦上戦闘機は、徐々に、アメリカの、新しい、高性能な戦闘機に押される様になり、第二次世界大戦後半には、アメリカの、新しい、高性能な戦闘機に圧倒される様になってしまいました。


写真以下4枚。記録に挑戦した、日本の飛行機(国立科学博物館の展示より。。。)。説明文は、展示の解説文やwikiを参考にしました。。。

三菱(mitsubishi)97式司令部偵察機、神風(kamikaze)号(1936年)。朝日(asahi)新聞社(日本の、大規模新聞会社の一つ)が、所有する、神風(kamikaze)号と名付けられた、三菱(mitsubishi)97式司令部偵察機は、1937年に、朝日(asahi)新聞社の主催により、イギリスの国王、George6世の、戴冠を祝う為に、東京とロンドンの間の、100時間飛行に挑戦し、東京とロンドンの間を、94時間17分56秒で飛行し、成功しました(経由地のパリ(Paris)や、ゴールのロンドンでは、大きな歓迎を受けました。ロンドンに着いた後は、ヨーロッパ各地を、親善訪問した後、George6世の、戴冠式の、記録映画を積んで、東京に戻って来ました)。当時、日本とヨーロッパを結ぶ定期航空路はなく、パリ(Paris)と東京の間の、100時間飛行への、フランスの挑戦も失敗を繰り返していた(東京からロンドンへの飛行は、さらに不利な、逆風であった)中での快挙でした。

航研機(koukenki)(1937年)。東京帝国大学(現在の東京大学)の、航空研究所が設計した飛行機です。1937年に、周回飛行コースを62時間22分49秒で29周し、周回航続距離10,651.011kmと、1万kmコース平均速度、時速186.192kmの2つの世界記録を樹立しました(それまでの周回長距離飛行の記録は、フランス、Bleriot 110が、1932年に樹立した10601kmでした)。

ニッポン(Nippon)号。毎日(mainichi)新聞社(日本の大規模新聞会社の一つ)の企画により、国際親善を目的として、1939年8月26日に、東京の羽田(haneda)空港を出発、北海道(hokkaido)の札幌(sapporo)、アラスカ、北米、南米と、東回りのコース(route)をとり、第二次世界大戦勃発直後の、ヨーロッパをかすめて、10月20日に帰国しました。これにより、日本の国産機で、初めて、世界一周飛行を果たした飛行機となると共に、4大陸と2大洋を連続周航した、世界初の飛行機となりました。

A26。1944年7月、満州(Manchuria)で、周回飛行を実施。周回飛行の飛行距離(長距離飛行)と、周回長距離飛行の平均速度の世界記録を、大きく更新したものの、戦争中であった為、公認されませんでした。
第二次世界大戦において、敗戦国となった(連合軍に対して、無条件降伏した)日本は、連合国軍(実質的には、アメリカ)の機関により、第二次世界大戦後、しばらくの間、飛行機の開発・生産が禁止されてしまいました(大学の授業から航空力学の科目を取り除かれもしました)。これにより、日本の飛行機の技術の、発展は、しばらくの間、空白となって(途絶えて)しまいました。しかしながら、行き場を失った、日本の飛行機の開発者・技師(engineer)達の多くは、自動車産業へと移り(自動車の開発者・技師(engineer)へと転職し)、(もちろん、飛行機の技術と、自動車の技術は、似ている部分もあるが、異なる部分も多いので、それにより、日本の自動車技術が、直ちに、世界水準に達した訳ではなく、日本の自動車技術が、世界水準に達するには、時間がかかりましたが)、第二次世界大戦後の、日本の自動車技術及び自動車産業の発展の基礎を築くのに、少なからぬ貢献をしました。

真空菅式計数型電子計算機FUJIC(1956年)。日本初の電子計算機です。


写真以下6枚。国立科学博物館の売店の、ガチャガチャ(下の補足説明参照)で買った、カプセル(capsule)入りの、模型。様々な種類の物があります。
ガチャガチャ:カプセル(capsule)入りの、おもちゃの自動販売機。小型の自動販売機の一種で、硬貨を入れレバー(lever)を回すとカプセル(capsule)入りの玩具が出てくる(どの、種類の物が出て来るかは、分からない)。説明は、wikiを参考にしました。
写真以下3枚は、前回、国立科学博物館を訪れた際、ガチャガチャで出て来た物。

お金を入れると出てくる、カプセル(capsule)。この中に小さな模型が入っています。様々な模型がありますが、どの模型が入ったカプセル(capsule)が出てくるのかは、出てくるまで分かりません。
写真以下2枚は、トキ(Crested
Ibis)の模型です。トキ(Crested Ibis)は、「Nipponia
nippon」と言う、日本に因んだ、学名を持つ鳥です。以下、トキ(Crested
Ibis)に関する説明は、wikiを参考にしました。トキ(Crested
Ibis)は、19世紀までは、ロシア(Russia)極東、東アジアに広く分布しており、珍しくない鳥であったが、20世紀前半には激減した。2010年12月上旬の時点で、中国・日本・韓国を合わせた個体数は1,814羽。何れの国でも、乱獲や開発によって19世紀から20世紀にかけて激減し、朝鮮半島では1978年の板門店、ロシア(Russia)では1981年のウスリー川を最後に観察されておらず、日本でも、2003年に、最後の日本産トキ(Crested
Ibis)が死亡したことにより、生き残っているのは中国産の子孫のみとなった。野生では中国に997羽(2010年12月現在)
が生息しているほか、日本の新潟(niigata)県の佐渡(sadoga)島において、2008年秋から2012年春までに人工繁殖のトキ(Crested
Ibis)、91羽が放鳥されている。飼育下では中国に620羽(2010年12月現在)、日本に182羽(2012年11月現在)、韓国に19羽(2012年5月現在)がおり、人工繁殖が進められている。



今回、国立科学博物館を訪れた際にも、売店で、ガチャガチャをやったのですが、様々な種類があるのに、また、トキ(Crested Ibis)の模型が出て来てしまいましたw。トキ(Crested Ibis)の模型は、国立科学博物館の売店の、ガチャガチャで出て来る可能性のある模型の中で、個人的に、一番魅力がないのに.。。。w
写真以下2枚。今回、もう一度、ガチャガチャをしてみたら、国立科学博物館の売店の、ガチャガチャで出て来る可能性のある模型の中で、個人的に、トキ(Crested
Ibis)の模型に次いで、魅力がない、ヤンバルテナガコガネ(yanbaru tenaga
kogane)の模型が出て来ましたw。トキ(Crested
Ibis)の模型と同様、模型を飾る為の台が入っていましたが、省略。あまり、欲しい物ではなかったので、いい加減に、袋から出したら、脚が折れてしまいましたw ヤンバルテナガコガネ(yanbaru
tenaga
kogane)は、世界で、沖縄(okinawa)本島(沖縄(okinawa)県の中心となっている、沖縄(okinawa)県、最大の島)の北部の森にのみに生息する昆虫です。体長は、5cmから6cm程になります。


国立科学博物館を訪れた後は、アメ横(ameyoko)を、ぶらぶらと散歩した後(この投稿、1番上でリンクを付けた投稿、「国立科学博物館他1」を参照)、上野(ueno)駅に入っている店舗で、少し買い物をしました。
写真以下2枚。前に、kjでアップ(upload)した写真の再利用ですが、上野(ueno)駅の駅舎(駅の建物)。


上野(ueno)駅の駅舎(駅の建物)の天井。
現在の上野(ueno)駅の建物は、1932年に完成したもので、80年以上の歴史を刻んだものですが、時代に合わせて改装が施され、古い建物が上手に活用されています。上野(ueno)駅の構内には、レストラン、食堂、cafe、bar、パン屋、服店、靴店、バッグ(bag)店、アクセサリー(jewelry)店等が入っています。
鉄道(中距離列車・長距離列車と通勤電車)の上野(ueno)駅(1883年開業)は、東京の下町(旧市街)(東京中心部(東京23区)の東部(特に東北部))最大級の駅であり(おそらく)、私が勝手に東京の6大主要駅(東京駅、新宿駅、渋谷(shibuya)駅、池袋(ikebukuro)駅、上野(ueno)駅、品川(shinagawa)駅。この内、下町(旧市街)に位置するのは、上野(ueno)駅のみ)と呼ぶ駅の内の一つです。現在の上野(ueno)駅の建物は、1932年に完成したもので、80年以上の歴史を刻んだものです。6大主要駅の中では、1914年に完成した建物を持つ東京駅(東京を代表する鉄道駅。東京都心部の中でも中心的な地域に位置する)に次いで、2番目に古い建物を持つ駅です。上野(ueno)駅は、第二次世界大戦前から、日本の東北地方からの長距離列車の東京での終着駅として知られ、また、まだ飛行機の旅が一般的で無く、北海道(hokkaido)(日本の最北端の地方)と本州(honsyu)を結ぶ海底トンネル(tunnel)も、まだ完成していなかった時代には、東京から北海道(hokkaido)へ行くには、まず、上野(ueno)から長距離列車で東北地方の最北端の青森(aomori)へ行き、そこからフェリー(ferry)で北海道(hokkaido)へ渡りました(東京と、北海道(hokkaido)の札幌(sapporo)を結ぶ、定期旅客航空路線は、1937年に開設されましたが、当時は、飛行機での旅は、一部の金持ちに限られていました)。したがって、今では、それ程言われないと思いますが、昔は、上野(ueno)駅は、東京の北の玄関口(gateway)と呼ばれていました。今は、東京と東北地方を結ぶ新幹線(shinkansen)(東京と東北地方を結ぶ長距離列車の核となっている)の東京での終着駅が、東京駅となっている事から、上野(ueno)駅は、東京の北の玄関口(gateway)と言えるのかどうかは微妙だと思いますが、東北地方から来る大部分の新幹線(shinkansen)が、東京中心部に入って最初に停車する駅が上野(ueno)駅である事から、まあ、そう言う意味では、依然として、上野(ueno)駅は、東京の北の玄関口(gateway)と呼んでも良い様な気がします。ちなみに、東京と北海道(hokkaido)を結ぶ寝台列車(night
train)の、東京での終着駅は、上野(ueno)駅となっています。飛行機(での移動)の大衆化によって、東京と北海道(hokkaido)を結ぶ交通手段として、速くて所要時間が短い飛行機が圧倒的に優位な立場にある現在においては(例えば、東京の羽田(haneda)空港と札幌(sapporo。北海道(hokkaido)最大の人口を有する都市)の新千歳(shinchitose)空港を結ぶ航空路線は、世界最大級の巨大航空幹線となっています)、東京と北海道(hokkaido)を結ぶJRの寝台列車(北斗星(hokutosei)とカシオペア(cassiopeia))は、何れも、速さで勝負する訳ではなく、かと言って、値段(安さ)で勝負する訳でもなく、高級戦略を採り、列車での、ゆとりの有る旅を楽しむ人々の為の、高級な特急列車(express)となっています。
上野(ueno)駅に入っている店舗で、少し買い物をした後は、上野(ueno)駅に入っている、「Afternoon
Tea」(のカフェ(cafe))で、おやつを食べました(飲み物を飲みながら、ケーキ(cake)を食べました)。「Afternoon
Tea」は、女性好みの雑貨店(生活用品を中心とした様々な物を売る店)とカフェ(cafe)の複合店舗のチェーン(chain)です(雑貨店のみの店舗と、カフェ(cafe)のみの店舗もあり)。

この時、「Afternoon Tea」(のカフェ(cafe))で食べた、おやつ。クリスマス時期限定の、ショートケーキ(日本式shortcake)。一人一個ずつ(二人共、同じ物を食べました。写真は、一人分)。
「Afternoon Tea」(のカフェ(cafe))で、おやつを食べ、飲み物を飲みながら、ちょっと、のんびりした後は、上野(ueno)駅に入っている、「Brasserie L’ecrin」で夕食を食べてから、我が家に帰りました。
「Brasserie
L’ecrin」は、上野(ueno)駅に入っている、フランス料理レストランで、銀座(ginza)(下の、補足説明参照)にある、高級フランス料理レストラン、「L’ecrin」(銀座(ginza)のフランス料理レストランの名店の一つ。私は、利用した事がありません)が経営する、フランス料理レストランです。銀座(ginza)の「L’ecrin」は、高級フランス料理レストランと言った感じですが、「Brasserie
L’ecrin」は、割りと手頃な値段で、気軽に利用出来る店となっています。
銀座(ginza):東京都心部の中でも中心的な地域に位置する。隣接する有楽町(yurakucho)と共に、新宿、渋谷(shibuya)等と並ぶ、東京最大級の繁華街を形成。東京を代表する高級繁華街であると共に、東京を代表する繁華街となっている。
写真以下2枚、「Brasserie
L’ecrin」の内装は、こんな感じになっています。「Brasserie
L’ecrin」は、割と気軽に利用出来るレストランですが、上野(ueno)駅の貴賓室(下の補足説明参照)として使われていた部屋を改装したレストランで、(おそらく)上野(ueno)駅に入っているレストラン中では、一番高級感のあるレストランとなっています。
貴賓室:主要な駅や、保養地に近い鉄道駅等に設けられている、天皇家や皇族(天皇の一族)、政府の要人と言った国家のV.I.P.が、鉄道を利用する際に、待合室等として利用する部屋。第2次世界大戦前に比べて、貴賓室のある鉄道駅は、遥かに少なくなっています。例えば、上野(ueno)駅は、現在も、東京の主要駅の一つですが、貴賓室は、もう存在せず、かつての貴賓室は、改装されて、現在は、フランス料理店(「Brasserie
L’ecrin」)となっています。


この日の夕食は、「Brasserie L’ecrin」で、クリスマス時期の、特別料理を食べました(落ち着いて食べたかったので、写真は、撮りませんでした)。「Brasserie L’ecrin」で、クリスマス時期の、特別料理を食べたのは、今回が初めてでした。クリスマス時期の、特別料理と言う事で、絶対的には、まあまあの値段(ちょっと高い値段)でしたが、店の雰囲気からしたら、クリスマス時期の、特別料理としては、手頃な値段で、良かったです。以下が、この日、「Brasserie L’ecrin」で食べた、夕食の内容です。全て、一人一皿ずつで、これにパンが付きます。
小さな前菜。人参のムース(mousse)。
前菜。蝦夷(北海道(hokkaido))鮑、天然平目、自家製スモークサーモン(smoked salmon)の、ミルフィーユ(mille-feuille)仕立て。
シーフード(seafood)の、メイン(main)料理。厳冬の海より、帆立貝(帆立)と、カリフラワー(cauliflower)のグラチネ(gratine)、エピス(epice)風味。
肉の、メイン(main)料理。イベリコ(Iberico)ベジョータ(de Bellota)豚肉のグリエ(焼き物)、シェリー(Sherry)ビネガー(vinegar)ソース(sauce)。
デザート(dessert)。林檎(茜りんご)とピーカンナッツ(pecan)のキャラメルパイ(caramel pie)、アイスクリーム(ice cream)添え。
お茶菓子の、チョコレート(chocolate)。