
傭兵産業国家~スイスを支えた金融と産業の歴史
アルプス観光、時計など精密機械工業が盛んになる以前のスイスは、険峻なアルプスの谷間の狭い土地に頼る耕作面積の少ない粗放農業と牧畜に生きる貧しい国だった。出稼ぎに出るしかない男たちにとって、険しい山岳で鍛えた強靭な体力を活かす格好な働き口は、外国での戦争に傭兵として参加することだった。
中世ヨーロッパでは、領土拡張をねらう国家間の戦乱が絶えなかった。自分の国の犠牲をなるべく少なくして、外国からの傭兵による戦争という風潮が強くなり、とくに屈強で評判の高いスイス兵への需要が高くなった。それに目をつけて、スイスの各州は、同盟契約を結んで大量のスイス兵を「同盟兵」として輸出した。これがスイス傭兵のはじまりとなって各州がこぞって派兵し貧しい経済を潤おした。
農耕面積が少なく、農産物は輸入にたよるしかなかったスイスの各州は、多額の関税をかけられた塩取引は無税にされ、さらに農産物の自由販売という条件をだされると、外国からの傭兵派遣要求に有無をいわずに応じてしまう。とくに、外交に巧みなフランスのルイ王朝は言葉たくみにスイス側に働きかけた。
そして、1354年と1478年に、当時、ヨーロッパ最強とされた職業軍人騎士団のハプスブルク家やブルゴニューの軍勢を、スイス傭兵軍が壊滅させた。その頃からスイス兵の評判が高まり、各国からの引き合いが殺到したという。
険しい山岳地帯の貧しい暮らしに耐え抜く強い意志、雪の絶壁や氷の断崖の危険も恐れぬ胆力、粗食、欠乏、寒気に馴れた生活態度。1本の鋼鉄の棒で動物をしとめる能力、十数時間も休まずに山登りする体力、苦痛に対しての忍耐力、どれひとつとっても、戦士としての要件を満たしているのがスイス兵である。

ハプスブルク家とスイス盟約者団
「ロスチャイルドのボス達」オルタナティブ通信より
古代ローマ帝国と、その末裔であるハプスブルク帝国の皇帝の絶大な権力による支配は、その部下である貴族達に大きな不満をもたらした。
人間、誰しも他人に 支配等されたくはなかったのである。しかし、そこにはローマ・カトリックに対する、異端・キリスト教原理主義(その原型であるドルイド教)の教義、「人類 絶滅を至上目的とする」が深く関与していた。
この異端を信奉する貴族達は軍事力を持ち、また領地で農民を働かせ、農産物を農民から暴力で奪い、その富を蓄積していた。金と軍隊を持ち、皇帝など居なく ても「自分で独立できる」と考えたのである。
そこで、各地で皇帝に対する闘争・戦争を引き起こし、時には異民族であるトルコ軍を招き入れ、皇帝と戦争を行わせる。
この絶え間無い戦争は「人類絶滅」の目的に沿って実行された。
皇帝は戦争の費用で借金だらけになる。この金を皇帝に貸し付けたのがロスチャイルドである。
皇帝は担保として土地を差し出し、やがては借金が返済出来なくなり、担保の土地をロスチャイルドに取られてしまう。
そして、この銀行家ロスチャイルドの資金をロスチャイルドに与えていた預金者が、皇帝からの独立を狙う騎士・貴族達であった。
エッシェンバッハ一族、レーゲンスベルク一族、サヴォイ一族(ダイアナ元皇太子妃の暗殺犯)、キーブルク一族、フローブルク一族、ラッパースヴィル一族、 トッゲンブルク一族と言った貴族達が、ロスチャイルドに資金を貸し、ロスチャイルドがその資金を皇帝に貸し付けていた。 ロスチャイルドは、こうした貴族の「使い走り」でしかなかった。
借金が払えなくなった皇帝からロスチャイルドが担保の土地を取り上げると、当然、その土地は、資金提供者であった貴族の所有物となる。
こうして皇帝の権限の届かない土地が貴族・騎士達によって、都市として独立する。
産業革命が起こる以前、農業以外の産業としては綿織物等の手工業が主流であった時代は、河の水流を使った水車が動力であった。この動力が得られる、スイ
スのような山間部が産業地帯となり、さらにスイスでは、現代の時計につながる鉄砲、刀等の精密機械業、金属加工業が発達し、山間部で火薬原料も採掘され
た。 産業と兵器が、スイスにあった。
綿花はインド製の物等がヴェネチアから荷揚げされスイスに届き、スイスとヴェネチアは姉妹都市であった。
やがて貿易で富を作ったヴェネチアの貿易業者=金融業者がスイスに移住する。
皇帝に反逆した貴族達は、兵器と富と産業を求め、スイスに結集した。これが、やがて現代の金融国家スイス、マネーロンダリング天国スイスを形成する。
こうして、西暦1200年以前に成立した、原初形態のスイスの都市国家は、わずかに35都市、その中で人口が2000人を上回るのは11都市に過ぎなかった。しかし、この都市が連合し、やがて国家を形成して行く。
これが現在の国家の出発点であり、国家とはローマ皇帝の「質流れ品の寄せ集め」であった。国家制度の起源は、ここにある。
西暦1200年という、現代から800年以上、時代を遡る事で、ロスチャイルドを支配し、その背後にいる一族達の姿が浮かび上がって来る。
傭兵の給与管理で財を成す。
スイスでは15世紀の末頃から人口が増加(それ以前はペストが流行していたため人口減少期であった)しだし、食い扶持を養いきれなくなってきた。もともと スイスという土地は山がちで可耕地が少なかったし、農業よりも牧畜業(利用する土地面積とくらべると労働人口が少なくてすむ)が主流であった(牧畜がもた らす食肉やチーズは穀物よりも銭になる)ため、食い物(穀物)が足りない(豊作の年でも需要を満たせなかった)のに男手(アルプスの山岳地帯で生活してい るので足腰が強い)が余ってしまったのである。という訳でスイスの男たちは周辺諸国へと出稼ぎにいくのだが、これが具体的には………ブルゴーニュ戦争の時 にも出てきたが……傭兵であった。
スイス人の強さは既に全ヨーロッパに知れ渡っているので派遣先にはことかかない。ただ、一般的なイメージでは傭兵というのは民間人がやる事業なのだ が、スイスにおいては国家(各邦の政府)がこれを管理・運営した。各邦の政府がおのおの諸外国の政府と協定を結んで傭兵の募集と派遣を許可し、その見返り として年金と穀物を得たのである。
傭兵業は「血の輸出」と呼ばれ、たちまちスイス最大の産業となった。全ヨーロッパに展開する傭兵ネットワークのもたらす人脈・情報網と金はその後のスイス
の金融や商工業の発展を促すことになる。いわゆる「スイス銀行」の中には、傭兵の給料の管理運用から業務を発展させたものがかなりあるという。
高級時計のセールスは傭兵のネットワークでやる。
傭兵たちが、各国の王朝などに派遣された最盛期は、ヨーロッパが宗教革命で信仰、思想、宗教の相違から政治、軍事、信仰でも大きくゆれた流血の時代でも あった。スイス国内では、信仰の違いはあっても、妥協と中立が守られて争うことがなかったが、傭兵として派遣された先の国では、そんな自由は許されなかっ た。
とくに律儀なスイス人は、派遣された国の意思に忠実で、スイス兵同士が戦う場合もあった。一家の兄弟で、兄はプロテスタント・オランダの兵として、弟はハプスブル家のカトリックの兵士として殺しあうといった悲劇も珍しくはなかった。
やがて、こうした悲劇がスイス国内の傭兵反対世論となって、派兵をやめるきっかけとなった。フランスの外人部隊も、はじめは国籍、信仰を問わずに戦闘を義務づけられたが、最近は出身国を相手に戦う場合は、拒否できるように改められたという。
スイスには国語がない。
スイスにはきまった国語がない。スイス語が存在しないから、ドイツ語、フランス語、イタリア語をおもに地方によって語学圏が違う。これが、意外にもスイス傭兵にとっては目に見えぬプラスとなって、派遣先の言葉にはすぐ即応できる便利さからも重宝された。
傭兵が派遣先からもらう金は、フランス王朝では兵士が月に10ポンド、現在の20万円に相当した。衣食住はあてがわれるから、給料はそっくり国の家族に 送金できる。これがアルプスの山間の貧しい暮らしに役立ったのはいうまでもない。派遣した州も、その余沢にあずかって、ベルンなどは債務解消にあて財政再 建か゛できたという。
契約期間がすぎて帰国した傭兵たちは、派遣先でできた人間関係を足がかりにしてネットワークづくりに成功、こんどはセールスマンとして五人に一人は、ヨーロッパじゅうを飛び回って、時計などを売りさばいていた。
皇帝から独立した貴族は、スイス都市国家を作り武器・傭兵・金融で資産を拡大し、金融家を使って闇の支配勢力へと拡大して行ったのです。
スイスの名だたる観光地、ルツッエルン市には傭兵問題を考えさせる「ライオン記念碑」がある。中心部から離れた氷河公園のなかに瀕死のライオンが横たわっ ている石碑で、フランス革命で1799年2月10日、パリのチュイルリー宮殿でルイ14世一家を革命軍から守ろうとして全滅したスイス傭兵786人の慰霊 碑になっている。
苦しげな表情で横たわるライオンの傍らには、折れた矢とルイ家の紋章である百合の花を描いた盾がある。断末魔の苦しみのなかで、力を振り絞って前足をさ しだして紋章入りの盾を抱こうとする図は、盟約と栄誉に徹するスイス傭兵の忠誠心と勇猛さを讃えて、「傭兵哀史」の一端を物語っている。
スイスの傭兵 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E5%82%AD%E5%85%B5
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