南京大虐殺否定の証拠にならない中国人の寛大さ
南京大虐殺否定の証拠にならない中国人の寛大さ。 事実、日本が無条件降伏した当時、日本の捕虜は確かに中国人から手厚い待遇を受けている。しかし、「報復を受けない=悪い事をしていない」という河村式ロジックは荒唐無稽と言わざるを得ない。彼にとっては、虐待、殺戮、報復こそ、悪事の限りを尽くした日本人に対する中国人の「正確な態度」なのであろう。しかし、中国人がその仇を同情と援助で返したことは河村氏の想像を遥かに超えており、そこに「南京に虐殺事実なし」の荒唐無稽な推理が生じたのである。
発信時間: 2012-02-25 14:07:23 | チャイナネット |20日、河村隆之名古屋市長が南京訪日代表団を接待した際、「南京大虐殺は存在しなかった」と発言した。河村市長は彼の父親がかつて8年間南京に駐在した日本兵で、「南京市民の深い尊敬を受け」、もし南京大虐殺が存在するのならば、「南京の人々がそこまで日本の軍人に親切にするはずがない」とした。河村氏は「発言撤回も謝罪もしない」し、彼の「社会的責任と政治使命」にかけて、「この間違った(南京大虐殺という)歴史を正す」としている。
事実、日本が無条件降伏した当時、日本の捕虜は確かに中国人から手厚い待遇を受けている。しかし、「報復を受けない=悪い事をしていない」という河村式ロジックは荒唐無稽と言わざるを得ない。彼にとっては、虐待、殺戮、報復こそ、悪事の限りを尽くした日本人に対する中国人の「正確な態度」なのであろう。しかし、中国人がその仇を同情と援助で返したことは河村氏の想像を遥かに超えており、そこに「南京に虐殺事実なし」の荒唐無稽な推理が生じたのである。
実際には、日本が投降した1945年8月15日、当時の蒋介石中国戦区最高指揮官が、公開ラジオを通じて、「過去の悪は忘れて」「人と善意で付き合う」という「民族伝統で最も気高い美徳」を以って「報復など考えず」、「敵国の無辜の人々を侮辱することのないよう」、「くれぐれも気をつける」よう広く呼びかけていたのである。当時の中国人たちには状況的にも、心情的にも報復の条件が整っており、更にはその正当な理由さえあった。それは恐らく河村派の諸君も認めるところであろう。しかし、中国人は仇を徳で返したのである。これは完全に河村派の理解を超えたものである。
歴史の詳細は、中国人の寛大さを更に浮き彫りにする。敗戦前に「中国派遣軍総司令官」だった岡村寧次によれば、日本軍投降後の南京で、日本兵が某映画館の前の広場を清掃しているのを見た一人の女の子が、映画を見終わって立ち去ろうとする人々に、「日本には勝ったけれど、日本兵が雑用をさせられているのを見ると、やっぱりかわいそう」と言ったので、その場で募金を行い、そのお金で煙草等を買って日本兵に贈ったことがあったという。(岡村寧次『徒手官兵』、何応欽『八年抗戦与台湾光復』、文海出版社1980年版、第174~175頁)南京少女の日本兵への同情は、投降した日本人に対する当時のほとんどの中国人の気持ちを映し出すものだった。それは、河村氏が当然と考えた陵辱や報復ではなく、同情であり、恩恵であった。
「悪いことをすれば、必ず報いを受ける。」この河村ロジックは間違ってはいない。実際、日本軍の犯した暴行に対する恨みから、戦後日本人に報復することは理解を得られないことではない。当時の日本軍も中国人からの報復を恐れていた。しかし、その心配は杞憂だったと事実が証明した。
日本が全面降伏し、中国軍がベトナムへ北緯16度以北の日本軍の投降を受け入れに行くとの情報が入った際、彼らは「中国での大虐殺は、必ず中国軍の報復を受ける」と考え、ベトナム北部の飛行機や大砲、部隊及び物資を前もって北緯16度以南に移動させ、これによりイギリスの投降受け入れ側の「同情」や「恩恵」を得ようとしたが、そう上手くはいかなかった。
当時、投降受け入れのためベトナム入りした第一方面軍参謀長だった馬瑛氏によれば、「ベトナムでの受け入れは、日本軍国主義者の想像とは真逆のものだった。第一方面軍はベトナム入り後、陸軍本部の電令により、規定に従って粛々と手続きを行うだけで、報復や惨殺等は一切なかった。一方、ベトナム北緯16度以南の地区では、イギリス軍がまず日本軍の収容所から解放されたフランス軍に装備させ、日本軍受け入れ作業に協力するよう許可を出した。フランス軍は1945年3月に日本軍から武器を取り上げられベトナムを追い出されていたので、その恨みを晴らすため日本軍の惨殺や虐待を行った。そのため、中国側に受け入れられた日本軍がそれを有り難く感じる一方で、北緯16度以南の日本軍は名状しがたい悔しさを味わうことになった。」(馬瑛『第一方面軍入越接受日軍投降紀実』、王楚英、陳遠湘等『受降内幕』、中国文史出版社2010年版、第195頁)敗戦日本軍の「小人の心を以て君子を量る(自分の卑しい心を標準として、君子もそのようであろうと推しはかる)」やり方は、結局のところ、事態を悪化させ、自らをも辱めることとなった。
戦後の日本人捕虜や移民の帰還においても、中国の対応は手厚いものだった。捕虜も移民も、布団以外に30キロの荷物の携帯を許可され、「軍人」は1人当たり現金500元、移民は1000元の持ち出しを許可されていた。「この待遇は他国からの帰還者と比べても相当手厚いものだったと言える。」1951年1月16日、岡村寧次は何応欽氏訪日の歓迎会の席でこのように述べた。「海外に派遣された日本軍民500万名のうち、中国にいた200万名は1年という短い期間の中でみなほとんど無事に、更には私物や布団まで持って帰国できたのは誰のおかげだろうとよく考えます。その一方で、南太平洋各国からの帰還状況や、現在もシベリヤ……に残されている数十万の同胞のことを思うと、我々日本国民は当時の中国の指導者、特に何将軍のご対応には深く感謝しています。」(岡村寧次『何応欽将軍感謝会致詞』、何応欽『八年抗戦与台湾光復』、文海出版社1980年版、第176~177頁)投降後の日本人と移民に対する中国人の寛大さと善意に、疑いの余地は全くない。
ならば、これを河村氏のロジックに当てはめると、中国人の善意はつまり、日本が侵略戦争など行っていないことを意味するというのだろうか。「河村ロジック」派の日本人も、「南京大虐殺」を否定する日本人も少なくない。1986年5月27日、日本の文部省で高校の歴史の教科書『新編日本史』が審査を通過した。この教科書では日本軍国主義の醜い罪状が故意に粉飾され、南京大虐殺を「現在調査中」とし、その意図するところは誰の目にも明らかである。(「日本政府史実を改ざん、「南京大虐殺」罪状を粉飾」、『中華雑誌』第276期1986年7月、第25頁)
しかし、全ての日本人がみな河村氏と同様に恩知らずで口からでまかせを言うわけではない。当時の中国人の手厚い対応と善意を心に刻み、感謝の心を忘れない日本人も少なからず存在するのだ。「河村ロジック」には市場も未来も有り得ない。
「無報復」は中国人の善意と人徳の現れであり、日本人はその有り難さと感謝の気持ちを忘れるべきでないところである。国交正常化40周年を迎えた今、河村派の「無報復」を「無悪行」の証拠とするような考え方は、全くの荒唐無稽としか言いようがない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年2月25日
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2012-02/25/content_24729002.htm
アメリカ兵の教官が気に食わないと
最新型戦闘機に乗って、投降してきた中国兵もいたんだが。。
大虐殺をする恐ろしい軍隊に進んで投稿するか