韓国・公州市に武寧(ムニョン)王陵があり、公州にはいたるところに百済の名残が残っている。
この古墳の中の棺おけの棺材が日本にしか自生しないコウヤマキと判明してる事からも、日本と深い繋がりがあった事がわかる。
さて、この武寧王は実は日本の佐賀県にある加唐島(かからのしま)で生まれた。そこには日韓市民が立てた記念碑が建っている。
さらに「武寧王の父の東城王は日本(倭)からやって来た」と韓国の『三国史記』にも書かれている。
東城王(とうじょうおう)という人は百済の24代の国王です。
これも『三国史記』では三斤王が479年11月に死去去したので王位についたとするだけですが、『日本書紀』雄略天皇23年(479年)4月条では、「百済文斤王(三斤王)が急死したため、日本に人質として来ていた昆支王の5人の子供のなかで、第2子の末多王が幼少ながら聡明だったので、天皇は筑紫の軍士500人を付けて末多王を百済に帰国させ、王位につけて東城王とした。と記述されています。
そうです。百済の王を誰にするかの権限は日本の天皇にあったということですね。
日本の属国であった百済。