Hideyoshiの朝鮮征伐に関する
朝鮮軍の実態。
注意)暦は全て旧暦
1592年4月12日
日本軍釜山上陸
最後通牒を朝鮮側に渡す。
朝鮮側からの返事はなかった。
1592年4月13日
釜山鎮の戦い
早朝、日本軍側は無益な戦争を望んでいなかった為、攻撃前に城内に書状を送り降伏勧めたが、朝鮮側指揮者鄭撥が黙殺。戦闘が始まる。
朝鮮軍は戦闘開始から後退に継ぐ後退で、僅か数時間後には鄭撥が戦死。
午前9時頃には釜山城内に攻め入られ、釜山は陥落した。
戦争が終結するまで、釜山は日本の輸送基地となり、海から釜山へ兵員や食料を輸送し続けた。
1592年4月14日
東莱城の戦い
釜山の北方数kmには東莱城という城塞があった。
日本軍は釜山で一晩休息した翌日午前6時に釜山を出発し、2時間後に東莱に着陣した。
日本軍は東莱城に対して「戦うなら相手になろう、戦わなければ道を通せ」と書かれた木札を投入。
東莱府使宋象賢は「死するは易し、道を通すは難し」と木札を投げ返した。
これをもって東莱城の戦いは開始された。
戦闘は2時間ほどで終了、日本軍は東莱城を制圧。
日本側指揮官は、敵将は生け捕りにするよう命令していたが、宋象賢は戦死していた。
日本側指揮官は、東莱府使の勇敢さに感心し、彼を丁重に埋葬して、その墓には「忠臣」と書いた木製の碑を立てた。
ここまでの、「とても素敵な」朝鮮側援軍の動向
○慶尚道の全軍の指揮官である李カク将軍は、北から戦場へ向かっていた。
○しかし釜山守備隊の敗北を知り、彼は突然進軍を停止して「慶尚道全体の指揮官として、私は実際の戦闘にて自らの生命を危険にさらす訳にはいかない。むしろ、戦場から離れて指揮を執るべきだ」と主張。
○そして彼は10kmほど引き返し、ソンサンに宿営。
○用心深い李カク将軍と、それと行動をともにしていた朴泓将軍は、東莱陥落の報を聞くと逃げ出した。彼らの指揮していた軍隊も同様に逃げ出した。
○釜山鎮に続いて東莱まで陥落したという報を受け、梁山・密陽・清道・大邱などの朝鮮軍は、それぞれの城内にあった物資を持って逃走し、日本軍は難無くこれらの城塞を占領した。
1592年4月24日
尚州の戦い
巡察使李鎰は尚州の農民の中から1000人を集め、近くの小さな丘の上に兵を配置した。
使者が来て日本軍の接近を報告すると、李鎰はその情報が兵に伝わって士気が落ちないようにその使者の首を刎ねた。
戦闘は火縄銃を使用する日本側に有利に進んだ。
日本軍が朝鮮の陣地を包囲し始め、李鎰は自らの軍が敗勢にあると知ると、馬を返して残った部隊を連れて退却した。
日本軍は戦いが終わると忠州へと軍を進めた。
1592年4月28日
忠州の戦い or 弾琴台の戦い
釜山鎮の戦いで釜山を失った後、漢城の朝廷は名将申砬に望みを託した。
申砬は北方の女真との戦いで数多くの軍功を挙げた事で有名であった。
朝鮮軍は日本軍が少数である事を見て、三日月型の陣形を敷き、包囲しようとした。
日本軍は旗を上げ、朝鮮軍の両翼に砲火を集中させた。
朝鮮軍はこれを支えられず、いったん後退したが、申砬は部隊を再編成し、再度突撃した。
日本軍は火縄銃に加えて太刀で応戦し、朝鮮軍を敗走させた。
申砬は脱出したが、その後自殺した。
敗戦の報はすぐに朝鮮国王・宣祖へ届けられた。
忠州で敗北したという事は宣祖に希望を失わせ、王室と朝廷は平壌へ避難した。
ここで朝鮮昔話
○申砬の墓の近くには大きな岩があったが、その岩の前を騎乗して通り過ぎようとすると馬が動かなくなり、行人は申砬の墓の前を馬を降りて行かなければならなかった。
○馬を降りることは尊敬表す意味がある。
○ある日、馬が動かないことに腹を立てたある男が岩の前で「敗将がどうして行人をいじめるのか」と叫んだ。
○すると岩が雷に打たれて割れ、その後そのような事は起こらなくなったという。
1592年5月3日
首都漢城陥落
日本軍が漢城に到着してみると、城門は堅く閉じられていたものの守備隊はいなかった。
漢城は既に一部(例えば、奴婢の記録を保存していた掌隷院や、武器庫など)が略奪・放火されており、住民もおらず放棄されていた。
漢江防衛の任に当たっていた金命元将軍は退却していた。
王の家臣たちは王室の畜舎にいた家畜を盗んで、王よりも先に逃亡した。
村々で、王の一行は住民と出会ったが、住民たちは王が民を見捨てて逃げることを悲しみ、王を迎える礼法を守らなかった。
「宣祖実録」によると、このとき朝鮮の民衆は朝鮮政府を見限り、日本軍に協力する者が続出した。
ルイス・フロイスも、朝鮮の民は「恐怖も不安も感じずに、自ら進んで親切に誠意をもって兵士らに食物を配布し、手真似でなにか必要なものはないかと訊ねる有様で、日本人の方が面食らっていた」と記録している。
景福宮・昌徳宮・昌慶宮の三王宮は、日本軍の入城前にはすでに灰燼となっており、奴婢(奴隷の一種)は、日本軍を解放軍として迎え、奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院に火を放った、とある。
韓国人、ちゃんと歴史を習っているか?
ここまで酷いと、教えたくない政府の気持ちも分るわ・・・。

つーか、その昔話。
日本じゃ考えられんわ・・・。
お前ら腐れ外道か。
国の為に戦い、力及ばず倒れた将軍を侮辱するとか・・・

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