日本の明治維新を模範として清朝からの独立、
朝鮮の近代化を目指した人。
日本に有る金玉均の墓

凌遅刑(体を生きたまま皮を少しずつ剥ぎバラバラに切り刻まれる処刑)に処せられた金玉均の遺髪と衣服の一部を複数の日本人が密かに持ち帰り(正式な遺体引渡しは拒否された)埋葬し、丁重に弔っている事、日本各地に金玉均の功績を称える碑文が今も残っている。

金玉均は、日本の明治維新を模範とした清朝からの独立、朝鮮の近代化を目指した人。
1884年12月、清がベトナムを巡ってフランスと清仏戦争を開始したのを好機とみて、日本公使の協力も得て閔氏政権打倒のクーデター、「甲申事変」を起こすも清朝の介入で失敗、政権はわずか3日間で終わった。
その後日本に亡命、東京や札幌、小笠原諸島などを転々とした後、上海に渡る。1894年3月28日上海で閔妃の刺客、洪鐘宇に暗殺された。しかし怒りに狂った閔妃は、それだけでは満足できず、遺体は清国軍艦咸靖号で本国朝鮮に運ばれ凌遅刑に処された。さらに閔妃は遺体をバラバラに解体し、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で曝された。

遺髪と衣服の一部は金玉均を敬愛していた日本人和田延次郎が密かに日本に持ち帰り、葬儀を浅草寺で営んだ。さらに、犬養毅らの支援で東京の青山霊園の外人墓地に墓が建てられた。
独立党の金王均らは閔妃を追放しない限り、朝鮮の近代化は実現しないとして来日し、「甲申政変」を起こし、一時は政権を獲得しました。しかし閔妃の画策で清 の大軍を導入し、金玉均の革命は三日天下で終わってしまいました。二度ならず、三度までも閔妃によって清軍を大量に導入したのです。「閔妃を亡きものにし ない限り、開化も独立も実現しない」というのが心ある朝鮮人の願いであり、「閔妃撃つべし」は日本人の声ともなりました。
日本が日清戦争に勝利し、下関条約に調印したのが4月17日。その直後の四月二十九日には早くも日本は露・独・仏の三国干渉に屈従し、遼東半島を手放さざるを得ませんで した。閔妃は西欧列強にはとてもかなわない日本の姿を見ると、掌を返したようにロシアに擦り寄ってゆきました。
日本の顧問官が日夜心血を注いで作った法律や勅令を悉く無効にする詔勅を下し、閣僚は閔派、親露・米派で固めてゆきます。更には日本軍が育成した朝鮮の訓練隊も、解散させようとしました。このまま推移したら日清戦争の成果は全て無駄になってしまいます。閔妃暗殺に参加した小早川秀雄の手記『閔妃暗殺』によれば、「朝鮮とロシアの関係を放置するならば、朝鮮はロシアのものになり、これは東洋の危機であり、日本の危機である。宮中の中心である閔妃を除けば、ロシアは相手を失う」とありま す。
当時既に西欧列強は虎視眈々とアジアを狙っていました。イギリスはアヘン戦争によって清国を半植民地にし、インドを支配下に置いて、一八八六 年にはビルマ全土を領有。フランスは清仏戦争に勝つと、カンボジア・ラオス・ベトナムを領有し(1885年)、ドイツも東方侵略を目指しています。ロシア はアイグン条約(1858年)によって沿海州を手に入れ、朝鮮にまで手をのばしています。このままゆけば朝鮮はロシアの支配下に置かれ、日本はロシアと戦 わねばならなくなる。この際、閔妃一人を犠牲にすればこれが防げる、という思惑が働いた事も事実だったのかもしれません。
■石塚英蔵の記録

「守備隊の警護の制止を突破し、城内に侵入し、野次馬は深く建物の内部に入り王妃(閔妃)に傷を負わせ、裸にし、念入りに局部の検査をし(笑いながら、また、怒りながら)、最後に油をかけて焼き殺した…」

■閔妃の夫、高宗の発言(1896年の勅令)
「王妃を殺害した張本人である禹範善たちを死刑にして、ロシア公館に来て、首を私に見せろ」「王妃を殺したのは自分の部下だ。復讐する。国が滅んでもかまわない」
李周會、尹錫禹、朴銑の裁判官報


朝鮮での(リ、ユン、パク、朝鮮人3人の)裁判官報に、李周會(リ・シュウカイ)が「王妃殺害を今回計画したのは、私です」と証言した記載がある。
■殺害現場にいた閔妃の子、純宗の発言(往電31号)
「国母を殺したのは、禹範善だ」 ※その後、純宗は刺客で禹範善を暗殺
■禹範善の発言
(在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件)
「王妃を殺害した実行犯は、私です」

■高宗と閔妃が売り払った利権
1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権
豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権
1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権
軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権
1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権
1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権
1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権
1901年
フランスに平北・昌城金鉱採掘権