朝鮮歴史書や朝鮮地図から、
韓国人が「Dokdoに関係する」と主張する部分を
整理すると、
大まかに、3つの時代に分ける事が出来ます。

1.Ullungdo = Usan国時代。
Ullungdoと言う島に、Usan国があったと記録されている時代。
大体、西暦1400年中頃までがこの時代です。
韓国人に拠れば現在のDokdoは、このUsandoの事ですので、
そもそも文献と主張がかみ合っていません。
この頃は、地図はありません。
文献に有るのみです。

文献に書いてある事をまとめると、
・三国史記1145年 Usan国、別名Ullungdo
・三国遺事13世紀 三国史記と同じ事がUllungdoの名前で書いてある
・太宗実録1417年 Usandoとしか書いていない
この様になります。
Usandoの登場1番最初から、Ullungdoの事を指すというこの現実。
韓国人が何を持って「UsandoがDokdoの事NIDA!」と言い出したのか完全に謎です。
少なくとも、まともに歴史書を読めばそんな発想は出ません。

この時期の文献に、
「Dokdo」の事と思われる記述は、
一切ありません。

2.Ullungdo と Usando 未確認時代。
UllungdoにUsan国がある、と言う話が、
Ullungdoの周辺にUsandoと言う島が有るらしい、と言う話に飛躍し、
位置も確認せず地図にUsandoを描いている時代。
これが西暦1700年頃まで続きます。

有名な八道総図(1530年)等、如何に現状を調査せず描いたか、
見れば一目瞭然です。


この時期の文献には、所謂「ターニングポイント」が存在します。
・高麗史地理志1452年 Ullungdoがある。新羅時代はUsan国と呼んだ。
-----------------------歴史の境目-----------------------
・世宗実録1454年 UllungdoとUsandoがある。
1452年から1454年の僅か2年で、存在しない島が登場してしまうのです。

なお、この時期の文献にも地図にも
「Dokdo」の事と思われる記録は
一切ありません。

3.Ullungdo と Usando 確認時代。
朝鮮政府がUllungdoに調査隊を派遣し、現在のChukdoを発見して
「これがUsandoだ」と解釈した時代。
これは西暦で1900年まで続きます。

この時期になり、ようやく朝鮮政府が、まともなUllungdo調査を始めます。
Ullungdoを描いた地図に、Chukdoが「Usando」の名称で描かれ、
ようやく、まともな地図になりました。

この時期の調査では、「日本人が松島と呼ぶ島がある」等の記述がありますが、
その島を実際に確認したと言う
記録はありません。
もちろん、地図にもDokdoと解釈できる島は
一切ありません。

この様に、3つの時代を経て見通すと、
そもそも「朝鮮人はDokdoを見つけていない」事が明白になります。
記録にある「Usan国」を「Ullungdoと異なるもう一つの島と勘違い」した様子と、
Chukdoを発見して、「この島こそUsandoである」と解釈した様子が、
はっきりと見て取れるのです。

実際、近代に入った「大韓帝国」の「勅令41号」でも、
指定領域はUllungdo周辺だけでDokdoまで含まれて居ませんし、
その後、日本国が大韓帝国に「Dokdo日本国編入の通達」を行った際も
「Dokdoは大韓帝国領土でない」と、大韓帝国政府が明言しています。
また、半島で教科書として使われた本等からも、朝鮮/大韓帝国の領域が
Ullungdo付近までと明示され、その指定は1950年代まで続きます。

この様に、歴史資料や地図を見ると、
韓国人のDokdo領土主張は、
実は1951年が歴史上「最初」と言う事が分かります。

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