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【民族好悪の感情】
昭和14年(1939年)
1 日本人
2 独逸人
3 伊太利人
4 満州人
5 朝鮮人
6 蒙古人
7 印度人
8 米国人
9 仏蘭西人
10 土耳古人
11 黒人(アフリカ人)
12 英国人
13 支那人
14 ユダヤ人
15 露西亜人
↓ ↓ ↓
昭和24年(1949年)
1 日本人
2 米国人
3 独逸人
4 仏蘭西人
5 英国人
6 伊太利人
7 満州人
8 印度人
9 中国人
10 土耳古人
11 ユダヤ人
12 露西亜人
13 蒙古人
14 黒人(アフリカ人)
15 朝鮮人
昭和26年(1951年)
立派 醜い 清潔 不潔 狡い 正直 親切 不親切 鄭重 無礼 腹黒 腹白
朝鮮人 1 90 11 210 188 4 7 39 4 63 68 2
支那人 7 41 3 178 113 26 20 17 16 31 46 6
米国人 130 3 157 0 11 36 197 2 32 5 11 11
日本人を馬鹿に 日本人を尊敬 日本の為になる ならない 経済的にプラス マイナス
朝鮮人 105 9 17 91 56 167
支那人 56 12 33 41 113 88
米国人 16 23 199 10 282 11
昭和42年(1967年)
アメリカ人
1 陽気 54%
2 愛想が良い 36%
3 行動的 31%
4 進歩的 28%
朝鮮人
1 不潔 32%
2 狡い 29%
3 卑屈 28%
4 行儀悪い 24%
5 群集心理 23%
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上記の村田春樹先生の資料から明確に判明したことは、昭和14年(1939年)には日本人から5番目に好かれていた朝鮮人が、10年後の昭和24年(1949年)には日本人から最も嫌われる人種(民族)になったことだ。
以後、昭和42年(1967年)になっても、現在に至っても、朝鮮人・韓国人は、日本人から非常に嫌われている。
昭和14年(1939年)には日本人から5番目に好かれていた朝鮮人が、10年後の昭和24年(1949年)には日本人から最も嫌われる人種(民族)になった理由は何か?!
3月31日の村田春樹講演会「日本人はなぜ朝鮮人が嫌いになったのか」の資料には、【終戦後の朝鮮人】として朝鮮人が嫌われた理由となった出来事が幾つか示されていた。

その中から、ほんの一部を次に引用しよう。
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朝 鮮人は全ての闇市場の中核をなし、また彼らの無法な行動は今日の日本の全ての商取引や社会生活に影響を及ぼしている。彼らは警察をはばからず、輸出入禁制 品の取引を誇示し、また何らの税を払っていない。流通新円の三分の一は今や彼らの手中にあるとの風評がある。石橋湛山大蔵大臣は一週間前に国会で『500 億の流通円のうち200億円は引き揚げずに日本に残っている第三国人の手の中にある』と述べた。
(略)
事実、大阪・神戸においては全ての露店・飲食店は朝鮮人・台湾人の手中に帰したといわれている。
昭和21年(1946年)8月17日
衆議院議員 椎熊三郎の国会演説
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要するに、終戦直後に朝鮮人は、手のひら返して、無法な行動を以て日本を支配するようになったのだ。
朝鮮人には、土地所有の概念がなく、空いている土地を占領すれば、それすなわち自分の土地となる。
戦争中の空襲などで一家全員が焼け死んだ家の土地は、朝鮮人が勝手に自分の土地としていった。
中には、邪魔な日本人を始末して自分の土地にした朝鮮人も居た。
そのような在日朝鮮人の戦後における蛮行に係る史料や証言は、枚挙に暇がない。
3月31日の村田春樹講演会「日本人はなぜ朝鮮人が嫌いになったのか」の資料ではないが、ネットから分かり易い資料を一つ紹介しておく。
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▽在日朝鮮人などの戦後における行いについての証言▽
毎日新聞
日 本にいまいる朝鮮人六十万人の資産は、動産千五百億円、不動産千五百億円といわれる。戦前はほとんどゼロに近かったのだから、まるでデン助トバクみたいな ものだ。戦後数年間の混乱時代が便利な暗室になって、ぐあいよく手品のタネをかくしている。いまになって日本人からビルを買い取り、大工場をおこし、派手 なキャバレーやパチンコ店を経営している朝鮮人の話が”不思議な物語!として町に伝えられるだけである。しかも、この物語はどれもこれも、戦前のみすぼら しい状態と、戦後のにわか成り金ぶりが伝えられるだけで、かんじんの開運のキッカケはボカされてしまっている。
略)
どうして彼らが金づるを握ったのだろう。このナゾをとくためにもう一度終戦直後のことを思い出してみよう。
” もう日本人じゃあない”日本降服の直後、マッカーサー元帥が厚木に乗りこんでくると、まっ先にこう叫び出したのは在日六十万の朝鮮人たちだった。彼らの多 くは戦前出かせぎのため日本に渡ってきたか、あるいは戦時中軍部の徴用で連れてこれられたもので、内地における生活がみじめだっただけにこの強気が一度に 爆発した。彼らは敗戦国にのりこんできた戦勝の異国人と同じように、混乱につけこんでわが物顔に振舞いはじめた。米でも衣料でも砂糖でも”モノ”が不足し ていた時代に彼らは経済統制など素知らぬ顔でフルに”モノ”を動かした。当時絶対に手にはいらなかった純綿のハダ着や雑貨、菓子類、ウイスキー、外国の医 薬品など彼らのヤミ市では簡単に買う事ができた。ヒロポンや密造酒が集散されたのも主にそこだった。ゴミゴミしたマーケットから金持ちが続々と生まれて いった。完全な無警察状態ー。そのいい例が二十四年春、東京深川でおこった枝川町事件である。朝鮮人四人組が月島の織物問屋から純綿八十二反を盗み出して 巨利をせしめた。犯人の身元がわかり、深川署の刑事ふたりが逮捕状をもって枝川部落に出かけたところ、部落民から逆に”不審尋問”され、袋だたきの目に あった。当時の朝鮮人の鼻息がどんなにすさまじかったか、容易に想像できる。”見まい、聞くまい、振りむくまい”深川署の刑事たちはそんな言葉で自分たち の無力を嘆じあったという」
1956年6月『白い手黄色い手――日本人の財布は狙われている』
俺は真剣に思う。日本人だけではなく、
他の外国人も同様に
お前たち朝鮮人とは相容れないと思う。
それほどまでにお前たちは異質であり、
理解に苦しむ要素が満載だ。
勿論まともな人間もいるのは分かるが、
相対的に見た場合、朝鮮人は異質だ。
それだけは絶対に間違いない。
お前たちは普通じゃないよ。
気付かないとは思うが・・・・・。