尼崎でコロシとたかりを生業としてきた角田美代子(角田の)父親は、北朝鮮出身の左官工。
実話ナックルズ報道 (ミリオン出版社)

中学生時代の美代子
尼崎「女モンスター」角田美代子五十年前
角田(旧姓月岡)美代子64歳の50年前を知る人たちの証言を「週刊新潮」が、当時の尼崎中学での担任が語っていた。
中一から中二に進級するとき、クラス替えで、ほかの先生が「月岡は私の手に負えません」と辞退するので、結局私が引き受けることになりました。二年から三年と持ち上がって卒業まで二年間受け持つことになった。
彼女はそもそも、週に半分くらしか登校して来なかった。久々に授業をうけていたので、「お前、久しぶりだな」と何の気なしに背中に触れたら、何か硬い感触があったので、「これは何だ?」と問うと、昔の銃の先につける銃剣型ナイフを忍ばせていた。月岡は「男友達に借りたのです」と、しきりに言い訳をしていました。「そんなことあるか!」と即座にそれを没収したことがありました。
同級生の男子の証言
たまに学校に出てくると、授業中に野次を飛ばすわ、隣中学のワルそうな女子を教室に呼び込み、一緒に騒いだりするわで、女の先生などは怖いから注意せんかった。校内では、けんか早そうな後輩男子らを従えて歩いていた。
時には、実力行使するときもあった。
転校していたBAKARIの女子とつかみ合いの大喧嘩をしたことがあった。「こんかい、こんかい」と怒鳴りあって、最後はど突き合い。あまり悪さが過ぎるので、途中から先生が「取り締まる側になれば収まるやろ」と、風紀委員にさせられれいたくらいです。(別の同級生証言)
元担任はいう。
素行は一向に改まらなくて、大晦日の夜、警察から担任の自宅に
「月岡と言う子を保護しているから、引き取りにきてください」と連絡があったので、パトカーに乗って警察へ彼女を引き取りに出かけた。
よく聞くと、深夜の徘徊での補導であった。連れ帰り、私の家で妻が風呂にいれてやり、飯も食わせてやると、「ああ、すっきりした」とか言って帰って行った。
そんなわけで、学校へ行けないことにはたびたびだった。
鑑別所には二回、三回、お世話になっている。中3の夏から半年ほど明石にある教護院(現・自立支援施設)に入っていた。ところが、しばらくすると、「帰っていきたわ」と、姿を現した。
なんでも、施設の便所の窓から逃げて、ヒッチハイクで尼崎まで戻ってきたという。「男一人の運ちゃんなら、簡単に乗せてくれるわ」と、涼しい顔をしていた。
翌日、「先生、(帰るから)連れて行ってや」と、言い出し、一緒に電車で(教護院へ)連れ帰りました。もしかしたら、構ってほしいという気持ちから起こした行動だったのかもしれません。
こんなこともあったという。
ある朝、いつものように遅刻して平気な顔して校門をくぐろうとしたので、「また、遅刻か」と、平手打ちをしたことがあった。そうしたら、「親にもどつかれたことないのに、先生はどついてくれた」と、急に私に心を開き始めた。
彼女の父親は職人ですが、遊郭に入り浸っているような人で、母親の方も、「先生どうにかしてください」と自分で娘を育てるという熱意が一切感じられない人でした。
角田(旧姓月岡)美代子は、両親の愛情に飢えていたのかもしれない。卒業以来50年、せっかくの恩師の愛のムチもあだ花になってしまった・・・・。
以上が、「週刊新潮」の特集の中学時代の記事である。