<丶`∀´> モンゴルの弓は高句麗の弓を真似したnida
それを証明する壁画があるnida
と言うので、ちょっと歴史を調べてみた。
壁画ってこれか?
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この古墳は、高句麗時代(~668年)の408年に造られたもので、その墓誌には、この古墳の被葬者は鎮という人物で、信都(現在の博川、雲田地方)の出身であり、建威将軍、国少大兄、左将軍、龍驤将軍、遼東大守、使持節東夷校尉、幽州刺史といった官職を歴任したあと、77歳で没し、永楽18年(408年)12月25日、ここに葬られたと記されていました。
つまり、西暦408年頃の物と言うことだな。
ちなみに高句麗は、
高句麗(こうくり、紀元前37年 - 668年。高句麗語:高句麗)は、いまの中国東北部南部から朝鮮北中部にあった国家だそうだ。
ではモンゴルはどんな感じかな?
匈奴は、紀元前4世紀~後2世紀にかけてモンゴル高原に現れ、中国北方を席巻した騎馬遊牧民族です。
中国戦国時代の中期、紀元前318年に司馬遷の記した「史記」匈奴列伝に初めてその名が登場します。
「史記」匈奴列伝には、
「(匈奴は)子供でも羊に乗り、弓を引いて鳥や鼠を射ることができる。少しく成長すれば狐や兎を射て食用とする。士はみな力強く弓を引くことができ、すべて甲冑をつけて騎士となる。その風俗は、平和の時には家畜にしたがって移動し、鳥や獣を射猟して生業とするので、一旦急変あるときは、人々は功戦になれており、侵掠功伐をする。これが天性である。」
とあり、騎射に巧みな極めて好戦的な民族であったことがわかります。
おい!紀元前4世紀からって・・・
韓国人は高句麗がタイムマシンでも持っていたと考えてるんだろうか?
判ったこと。
韓国人=弩・阿・呆!!