その理由はなぜなのだろうなw
韓国人は答えられるか?w
28歳で『ミシュラン』の一つ星を獲得
この連載では「世界で戦っている人々」をよく紹介している。今回はその中でも、「アウェーの舞台で、アウェーのルールで戦いながら、高く評価されている挑戦者」を紹介したい。フランス料理の松嶋啓介シェフである。
松嶋さんは、本場フランスに渡ってフランス料理で勝負し、20代で『ミシュラン』の一つ星を獲得した唯一の日本人である。以来、6年連続で星を維持してきた。
1977年、福岡県で生まれた松嶋さんは、高校卒業後、「エコール辻東京」で学ぶ。97年、20歳のときにフランスに渡り、各地で修業を重ねた。
2002年、25歳でニースにフレンチレストラン「Kei"s Passion」をオープンする。地産地消の精神で季節の素材を生かしながら、日本のテイストと融合させるという斬新な手法が評判を呼び、06年に28歳でミシュラン一つ星を獲得する。
同年、店名を、あえてフランス人に発音しにくい「KEISUKE MATSUSHIMA」に改め、拡大オープン。現在に至るまで、フランス料理界の最前線で戦い続けている。
田村 松島さんが料理の道に進もうと思ったきっかけは何ですか?
松嶋 僕は幼少の頃から味にうるさく、母から一言、「あんた、料理でもやったらどう?」と言われたのがきっかけになりました。祖父の実家が農家だったため、子供の頃から素材の良いものを食べられる機会が多かったのも幸運でした。
でも、僕は料理だけで終わろうとは思っていません。「食」に関わること全般に興味があり、「シェフ」という職業の幅を広げるパイオニアになりたいのです。
田村 なぜ、数ある世界の料理からフランス料理を選んだのですか?
松嶋 僕は子供の頃、偉人たちの生涯を描いた伝記漫画をよく読んでいました。その影響で「コロンブスみたいなことをやりたい」と思い、将来は日本を出ようと考えていました。
そんなとき、時代は1980年代のバブル真っ只中でしたが、テレビ番組でフランス料理の店の特集をやっていたんです。一緒に観ていた母が、このと きも「料理の中でも、フランス料理をやるのがいいんじゃない」と言いまして、僕はそれを聞いて「フランス料理をやるのなら、日本を出られるな」と思ったん です。
こうして、それまでは「農業大国」くらいにしか思っていなかったフランスに興味を持ち始めました。気がつけば、今では、自分がフランスに仕える料理人であるかのような気がしています。
高度経済成長があり、バブルがあったせいで、日本でもフランス料理が広く知られるようになったのだと思います。逆に言えば、日本の経済成長がなければ、僕がフランス料理と出会うことはなかったのでしょうね。
田村 私の個人的な印象ですが、福岡には「東京で一旗上げてやる!」と考える人が多いように思えます。芸能界でも、スポーツ界でも、ビジネスの世界でも・・・。松嶋さんは、さらにそこから世界へ、しかも、本場へ殴り込みをかけたわけですよね。
フランスで、しかも舌の肥えた富裕層の客が多いニースでフランス料理に挑戦しようと決意した経緯を聞かせてください。
松嶋 若い頃、東京に出てきた際は、別にここで一旗上げたいとは思っていませんでした。東京はあくまで、フランスに行く前の通過点だと考えていました。
でも今は、東京にお店を出して成功した後は、田舎に帰りたいと思っています。それは僕の中で、「東京で評価されれば、福岡ではそれ以上に高く評価される」という思いがあるからです。