海戦も圧勝した日清戦争
陸戦も海戦も圧勝した日本軍。

明治27年(1894年)~明治28年(1895年)の日清戦争で日本軍は陸戦で連戦連勝しました。海戦でも9月17日の黄海海戦で北洋艦隊を撃滅。清国の残存艦隊は威海衛に集結したため日本軍は陸海より攻撃することとし、明治28年(1895年)1月末に陸軍第二軍の一部が山東半島の栄城湾に上陸。威海衛の砲台を占領しました。海軍は2月初旬に、水雷攻撃で清国の旗艦・定遠をはじめとする諸艦を撃沈しました。北洋艦隊は2月12日に降伏し、17日に日本軍は軍港威海衛を占領しました。
司馬遼太郎著「坂の上の雲」によると海戦は清国が断然有利と世界の専門家が予想していました。清国には定遠、鎮遠という本格的戦艦があるのに対し、日本艦隊は巡洋艦が主力であり、大艦巨砲が勝利の決め手になるという絶対原則から当然そう考えられていました。ところが米海軍の少将ジョージ・E・ベルナップは日本海軍の全面勝利を予想しました。ベルナップ少将は日本の司令官が22隻の艦隊を連動させているのを見て、英国艦隊となんら遜色がないことから、練度の低い清国艦隊が相手であれば、結果がどういうものか容易にわかると述べました。実際結果はその通りとなりました。
日清戦争前の明治19年(1886年)、清国海軍の定遠、鎮遠が長崎に寄港しています。その威容に日本国民は戦慄しました。東郷平八郎は呉でこの艦隊を見ています。そして「こんな国怖くない」と断言しました。呉に寄港中、清の兵士たちは洗濯物を戦艦の大砲に干していたというのです。