日本が90年間否定してきた「関東大虐殺」の証拠見つかる
新たに発見された植民地時代の犠牲者名簿、その意味は
三・一運動当時の被害者の名前・年齢・殺害方法など具体的に記録
65年の日韓請求権協定、関東大震災と三・一運動の被害者は損害賠償対象に含まれず
徴用者名簿も発見…損害賠償請求訴訟に大きく影響か
今回公開された植民地時代の被害者名簿が持つ最大の意味は、三・一独立運動や関東大震災での被害者のリストが(韓国の施設から)初めて発見されたということだ。忠北大学史学科のパク・コルスン教授は「今回公開された資料は、韓国政府樹立直後に全国的調査を行い植民地時代の被害事例を集めたという事実と、日本に過去史反省を求める資料として利用できるという点で大きな価値がある」と語った。
■三・一運動、関東大震災の犠牲者名簿を初めて確認
これまで、三・一運動や関東大震災での犠牲者数が出てきたことはあったが、名簿が出てきたことは一度もなかった。関東大震災で虐殺された犠牲者については、約6000人(独立新聞)という見方から、最大で約2万人(ドイツ外務省)という見方まであるが、具体的な被害者名までは調査されなかった。被害の事実はあるが、被害者が誰なのかはきちんと調査されたことがなかったのだ。
しかし今回公開された資料には、三・一運動や関東大震災で死亡した被害者の名前だけでなく、年齢・住所・殺害された場所・殺害の状況まで詳細に記録されている。それぞれの名前に続いて「日本の憲兵に銃殺された」「竹やりで刺されて死んだ」「警察署の留置場に監禁され、死亡した」などと記録されている。2歳の子どもを含む一家4人が死亡したという記録もある。
柳寛順(ユ・グァンスン)については、三・一独立運動のとき日本兵につかまり、17歳で西大門刑務所に収監されて撲殺されたという記録が今回公開された。柳寛順の父親については、銃殺されたという事実が記録されている。柳寛順の母親と推定される40歳の女性も一緒に銃殺されたと書かれている。このように、殺害の手段・場所まで詳細に記録した資料は、これまで存在しなかった。
日本政府はこれまで、1923年に発生した関東大震災での朝鮮人虐殺について、警察が介入したという証言が多数あったにもかかわらず、これを徹底して否定してきた。国の責任を避けるためだ。今回の資料は、虐殺の状況を具体的に記録しているだけに、真相の究明に大いに役立つというのが専門家の見方だ。
また、65年の韓日請求権協定締結時に取り上げられた徴用者問題とは異なり、関東大震災や三・一運動の被害者については言及されなかったため、新たな損害賠償請求の対象にもなり得る。しかし、関東大震災の犠牲者の場合、時効の問題、加害者の立証の問題などが残っている。国民大学日本学研究所のチャン・バクチン研究員は「韓国政府が名簿を作っていても、韓日請求権協定のときに提示しなかったのなら、韓国政府の責任だと日本側が主張する可能性がある」と語った。
パク・スチャン記者 , キム・ドンチョル記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
********************************************************************殺し方が朝鮮人っぽいんですけどw
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