戦艦大和は戦後高度経済成長の礎となった 家電、光学、建設…
2013.11.21 16:30
戦艦大和の10分の1スケールの模型=広島県呉市の大和ミュージアム
戦前は日本を代表する軍港であり、造船の町として知られる広島県呉市に行った。小覧担務の大阪特派員は西日本全域が一応カバーエリアということに なっており、少し足を伸ばした。アフリカ北東部のソマリア沖アデン湾で展開されている海賊対処の任務に向かう海上自衛隊第17次水上隊を編成する護衛艦二 隻の出港を取材するためだった。取材を終え、「呉といえば、いつかは…」という場所を訪れた。「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)だ。初めての訪 問だった。そして、戦艦大和の造船技術全般が、戦後の復興、高度経済成長を成し遂げたさまざまな日本産業の技術力につながっていたことを思い知らされた。
戦艦大和の建造は、欧米列強に軍事力で対抗するための、まさに一大国家プロジェクトだった。
国家プロジェクトの結実をマイルストーンし、その過程で多種多様な技術、素材、動力、通信方法などが飛躍的に進歩することがある。米国のアポロ計画などもその代表例といえよう。
冷暖房、巨大な冷凍冷蔵庫…「大艦巨砲主義」揶揄する嘘
大和は、「時代遅れの大艦巨砲、無用の長物」などと揶揄(やゆ)する向きも建造時からあったが、当時の最新技術のまさに結晶だった。その建造過程で得られたものは、その後の日本を文字通り大きく支えることとなった。
大和ミュージアムの展示資料などによると、大和は士官室などに冷暖房が整備されており、巨大な冷凍冷蔵庫もあった。こうした技術は戦後、日本の輸出品の代表格ともなった高品質な家電製品の技術につながっていった。
また、大和の15メートル測距儀は世界一の性能を誇り、敵目標を正確に捉えていた。この技術は戦後、カメラなどの精密光学機器の開発技術に大きく役立ち、日本光学機器ブランドの世界的伸張に役立った。
船体の組み立てには、同時進行で艤装(ぎそう)を行う先行艤装を実施し、この工法は、戦後、造船だけでなく、高層ビル建設にも応用されたという。 建造方式には、工数制御方式が本格的に取り入れられ、より少ない工数、低コストによる建造が可能になった。この方式は、戦後間もなく日本が造船大国となっ ていくことに受け継がれていった。
大和の主砲は約1・5トンの砲弾を発射し、その砲塔は重量が2760トンもあった。主砲などを製造した工作機械は、戦後、大型船舶の製造などに使用された。
このほか、大型スクリューの製造は、高度な鋳物技術として受け継がれ、装甲板の製造技術は特殊鋼や、大型発電機開発周辺技術の基礎にもなった。
大和を「昭和の三大バカ査定」などと皮肉った大蔵官僚(後に接待問題で失脚)がいた。この言葉は「無駄な国家予算」「国の誤った施策」の決まり文句のよう
に使われるようになった。だが、大和については、その歴史的価値を甚だ知らない指摘であり、戦前を全否定するかのような思考性にもあらためて無益の感を強
めた。
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