桜の解説
http://www.cha.go.kr/korea/heritage/search/Culresult_Db_View.jsp?mc=NS_04_03_01&VdkVgwKey=16,00380000,36
華厳寺の今年の桜は、年齢が約300年と推定され、高さ12m 、根元周囲4.42mである。丙子胡乱(1636)以降の仁祖(在位1623〜1649)は、野蛮人に踏みにじられた記憶を振り返って戦争に備え弓を作るのに使う桜をたくさん植えた。当時華厳のビョクアム僧侶もその意味に支持して周りに来る桜をたくさん植えたところ、そのうちの一本が生き残ったのだ。
華厳寺の今年の桜は国を守ろうとは先祖の意志が込められている木であり、生物学的資料としても価値が高く、天然記念物に指定して保護している。
丙子胡乱で虜囚となった朝鮮人60万人の苦難
記事入力 : 2007/12/30 09:46:32
http://megalodon.jp/2008-1114-1032-44/www.chosunonline.com/article/20071230000004
1636年の丙子胡乱(清が李氏朝鮮に侵入し、朝鮮を制圧した戦い)で仁祖が清の太宗に降伏した後、およそ60万人の朝鮮人が捕虜として連行さ れた。崔鳴吉(チェ・ミョンギル)は、「清軍が降伏を受け入れ、丁丑年(1637年・仁祖15年)に漢江を渡るとき、捕虜として連れて行った人は50万人 余りだった」と書いている。丁若鏞(チョン・ヤギョン)は、「瀋陽に連行されたのは60万人で、蒙古軍に捕まった人はこれに含まれず、どれだけの数になる か分からない」と記した。当時の朝鮮の人口は1000万人程度だった。全人口の6%が戦争捕虜として連行されたというわけだ。
朝鮮人捕虜の生活は凄惨を極めた。一冬の間に2000里を超える道を歩かされ、清軍から鞭で打たれ続けた。凍えた体を鞭で打たれたため、皮膚が裂けて血が滲んだ。そして捕虜は奴隷市場に売られて行った。清の人々は男女を問わず、朝鮮人捕虜の衣服を剥いで健康状態をチェックした後、代金を払って奴隷 を買っていた。奴隷を売買する市場を目にした荘献世子は、『瀋陽状啓』において「(代金を支払って捕虜の身を免れる)送還費用として要求される代価の値段 は測り知れない。多ければ数百もしくは数千両にもなり、人々は皆希望を失い、泣き叫ぶ声が通りに溢れ返っていた。毎日館所の外で泣いて訴えており、残酷で どうにも見ていられない」と記した。
著者は、『朝鮮王朝実録』をはじめ、当時のあらゆる資料に記されていた事実を土台として、朝鮮の人々の受難の歴史を語る。朝鮮の女性キム・プンナ ム、白丁(賤民の中で最下位に位置する人。と殺業などに従事)キル・ヨンボクといった下層階級の人物を登場させることで、生き生きとした情感を増したが、 すべてにおいて事実を土台に据えた。著者は「史実小説という新しいジャンルとして見てもらえたら」と述べた。
元言論人で、金永三(キム・ヨンサム)政権で政務・広報主席、文化体育部長官を務めた著者は、1980年代初め、米国ハーバード大で研修中に衝撃 的な話を聞き、研究を始めたという。大学のある人権セミナーの結論で、次のように語られたのだ。「韓国は17世紀にも清の要求に従い、自国民を供出するかのように、毎年数十人ずつ女性を献上していた国だ。時代が変わったとはいえ、このような国で今さら人権を手に入れることができるのだろうか」
イ・ハンス記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版朝鮮最古の桜は宗主国様と戦うために植えたのだ