旅客船「セウォル号」沈没事故をめぐる事実が次々と明らかになり、韓国社会の信頼は一つずつ崩れ落ちていくようだ。
乗客の安全の責任を負うべき船員は事故当時、無能力と無責任を見せ続け、何も知らず素直に指示に従った幼い生徒は命を落とした。実際、私たちは船や飛行機、さらにバスに乗る時でさえ、他人の能力と職業意識に自分の安全を任せる。
運行の責任を負う人たちが機器を安全に運行する能力があり、職業意識、責任感を持って行動するものと信じる。
ところが、今回のセウォル号の事件を見ながら、こうした信頼は崩れた。事故が発生する状況ではないところで事故が発生し、その後、船員は乗客の安全に背を向け、自分の安危のために逃げた。
事故後の政府の対応は、政府に対する信頼も失わせた。初期対応では右往左往し、乗船者の数も把握できなかった。
時間が過ぎてもこうした混乱は続き、むしろ上の人の機嫌を取るような態度ばかり見せた。国民はこのような政府を信じて、安心して日常生活を営むことができるだろうか。さらに事故前の形式的な安全点検に対する疑惑、無理がある増・改築船舶改造の承認に対する疑惑などは、公務員の天下り慣行と密接な関係があるとみられ、政府に対する国民の不信感は爆発一歩前だ。
実際、韓国社会のいわゆる「権力機関」に対する不信感はすでに危険なレベルにある。司法府はかつて権力にこびるような判決で国民の不信感を受けたが、今はとんでもない判決で国民をあきれさせている。検察の権威はすでに失墜し、国会や政界を眺める国民の眼差しは不満を通過して冷笑、さらに無関心の段階にまで達したとみられる。行政府・立法府・司法府に続き“第4府”という言論もこうした批判から自由ではない。今回もとんでもない偽民間潜水士へのインタビューで混乱を招き、その他にも健全な常識と倫理に背く報道で何度も眉をひそめさせた。
米国の政治哲学者フランシス・フクヤマ教授は1996年に出した『Trust(信頼)』(1996、Free Press)という本で、健全な自由民主主義市場経済体制が発展するためには、社会構成員の間の信頼が土台になるべきだと主張した。
社会的な信頼が大きいほど経済活動の取引費用が減り、経済の効率性が高まるということだ。当時、フクヤマ教授は韓国を社会的信頼が低い国家に分類したが、20年近く過ぎた今、韓国社会の信頼はむしろ悪化したのではないか疑われる。
社会構成員間の信頼がないため取引費用が増えるほか、社会的葛藤の調整費用も天文学的になっている。
最近の密陽送電塔をめぐる葛藤、遠隔診療などをめぐる政府と医療界の葛藤は、代表的な例だ。こうした非効率を解決できるよう社会的な信頼が築かれてこそ、韓国は先進国入りできるだろう。
このように韓国が低信頼社会になったのは、その間の成長至上主義が大きな原因だと考えられる。手続きや過程は無視しても目標さえ達成すればよいという意識、クリーンな失敗より汚い成功がよいという意識が、韓国社会に根付いてしまったのだ。
これを解決する方法は「基本に戻る(back to basic)」ことしかない。もちろん今回の事件で責任を取るべき人たちを処罰し、過去の旧態をきれいに清掃することも必要だが、最も根本的な解決策は教育を通じて健全な市民精神を吹き込むことだろう。
小中高校で他人に差をつける競争より、他人と一緒に進む共同体意識を植え付け、大学も外形的な成長至上主義を抜け出し、学生教育など本質的な任務を忠実に行う充実化と意識の転換が必要だ。
論語の『顔淵篇』に無信不立という言葉がある。子貢が政治について尋ねると、孔子は「食料を十分にし(足食)、軍隊を十分にし(足兵)、民には信頼を持たせる(民信)ことだ」と答えた。子貢がやむを得ず捨てるなら、どういう順序で捨てるのかと尋ねると、軍隊と食料の順に挙げ、「民の信頼がなければ国家の存立自体が不可能だ(民無信不立)」と答えた。このように数千年前にすでに孔子は社会的な信頼が国家社会の存立のために絶対的であることを説明した。私たちはその間、国民の信頼を得るよりも、食料と軍隊を得ることばかり考えてきたのではないだろうか。
オ・セジョン・ソウル大教授・物理学
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2: 名無しさん 2014/04/24(木)16:32:45 ID:Hr8YMRs8h え、そんなもの僅かでもあったのか?
