20世紀初頭のアジアは、
オランダ(インドネシア)、
イギリス(インド、ビルマ、マレー、シンガポール、華北、揚子江流域、香港)、
フランス(ベトナム、カンボジア、ラオス、雲南省)、
ロシア(沿海州、満州、内モンゴル、樺太)、
ドイツ(ニューギニア、マーシャル群島、山東省)、
アメリカ(フィリッピン、グアム、サモア、ウエーキ)などの
列強の草刈場と化していました。
「一度ロシアの旗が掲げられた土地においては、決して降ろしてはならない」(ニコライ1世)、
特に日本とって「脅威」なのはロシアでした。
日清戦争後の「三国干渉」に成功したロシアの露骨な清への介入は、
長城以北と満州を分割支配するようになり、
ブラゴエシチェンスクの住民虐殺事件(3000名をアムール川で皆殺し)が象徴するように、
過酷な圧政を敷いていました。
1902年、日本はロシアとの対抗上イギリスと同盟関係を結びました。
このことは画期的な選択だったと言えます。(日英同盟)
それを背景に、アメリカと友好的なロシアに対して日本は、
満州での権益を認める代わりに、朝鮮での権益をロシアに認めさせるという外交交渉を進めて行きました。
しかし「ロシアは全くのところ愚弄的な態度で、徹頭徹尾日本を取り扱い、
日本側の申¥し出に対しては空々しい極みで回答を延ばし、
その間に軍隊と軍艦の強化を図っていた」(ドイツ人医師 トク・ベルツ)のです。
結局、何度も不毛の交渉を重ねながらも、
1904年2月4日の御前会議において、日本は戦争はやむを得ないと決心したのでした。
□当時のロシア側の日本への認識
「日本軍がヨーロッパの最弱小国に太刀打ちできるまでには、
数十¥年、おそらく100年はかかるであろう」 陸軍武官ゲ・バノフスキー中佐
「日本兵三人にロシア兵は一人で間に合う。われわれは13日間に40万の軍隊を
満州に集結できる。これは日本軍を敗北させるに必要な兵力の三倍である。
来るべき戦争は単に軍事的散歩に過ぎない」 クロパトキン大将
「子猿が私に戦争をしかけるなぞと、想像することもできない。
帽子の一振りでかたづけてしまうさ」 ツアー・ニコライ皇帝
「日本海軍は外国からの艦艇を購入し、物質的装備だけは整えた。
しかし、海軍軍人としての精神は到底われわれには及ばない。さらに軍艦の操縦や
運用に至っては極めて幼稚である」 グラムマチコフ大佐 巡洋艦アスコリッド艦長
「日本とは戦うに及ばざるべし、紙上の勢力に過ぎぬ」 アレキシエフ海軍大将
「われわれに対する日本の戦争は日本にとって自殺であろう。
彼らの希望の全ての破壊する」 ノヴォエ・ヴレミヤ紙
このように、ロシア人は「人種的優越感」から日本人を
ことごとく蔑視していたと言えます。
そして、同時に、大多数の日本人も戦争を望んでいませんでしたし、
ロシアに勝てるとは思っていませんでした。
日本側の多くの将校も到底戦争は出来ないと考えていたのが現実なのです。
「日本が韓国に確固たる地歩を占めようとすれば、それはロシアにとって開戦理由になる。
日本が韓国で地歩を確立することは、極東に新しい海峡問題を作りだすのと同じ意味になるので、
ロシアはそれを決して許容しない」
とツアーは語っているのです。
当時のアジアの環境では、戦争回避の道はなかったのです。
<日露軍事力比>
日露戦争は客観的に見ても大人と子供の戦争であり、
ロシア人の将校たちが日本を侮ったとしてもおかしくないほどの勢力比でした。
ロシア 人口 約1億3千万人 日本 約4千6百万人
歳入 約20億円 約2億5千万
兵力 約300万人 約20万人
軍艦 約51万トン 約26万トン
明治天皇は「開戦を望まぬが、事ここにいたってしまった。いかんともしがたいが、
もし敗北した場合にどのように祖先に詫び、国民に対することができようか」と、
涙を流して嘆息したと言われています。
「四方の海 みな同胞と 思う世に など波風の 立ち騒ぐらむ」
(四方の海は、皆同胞だと思っているのに、なぜ波風が騒ぐのか)
この時にうたわれた有名な平和への願いの御製です。
1904年2月10日 日本はロシアに宣戦布告しました。
戦死者8万4435名。
奉天の会戦では日本軍の死傷者約7万人に対して、ロシア軍9万人。
日本海海戦に勝ったものの、陸軍も海軍もぎりぎりの力を出し切っていました。
そこに、ロシア革命による混乱が重なったことと、
運よくアメリカのルーズベルト大統領による講和の斡旋が入ったことで
かろうじて勝利をおさめることが出来たのでした。
むろん、外債を発行して戦費を確保した高橋是清、日英同盟を締結させた小村寿太郎、
そして、何よりも陸軍の乃木希典、児玉源太郎や海軍の東郷平八郎、秋山真之などの
奇蹟的な活躍によって、画期的な勝利が導かれたことを忘れる訳には行きません。
「明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく、人材といえば300年の読書階級であつた旧士族しかいなかった。
この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの
対決をしたのが日露戦争である」
司馬遼太郎 『坂の上の雲』
いずれにしても、日本が近代国家として進展していく上で、
不可避的に戦争を余儀なくされた日露戦争に、
勇気と英知をもって勝利した先人の行為に、心からの感謝の誠を捧げたいと思います。