下は中央日報の今日の社説。
裁判官は「法の支配を受けよ」という社説だ。これが韓国に根付けば日本から「韓国は価値観の違う国」と言われない。でもそれは韓国の実体からは遠いし、既に信用を無くしている韓国は例えこの社説の通りに成長しても信用を得るには長い年月が必要となる。
それにしても、この社説に韓国の実体(=法より裁判官が持つ「良心」「情緒」が優先)の実例と批判に一言も触れていないことが韓国の将来を暗くしているな。
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【社説】「裁判が政治」という現職裁判官の危険な発想=韓国
2017年09月02日13時00分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
判事が自分の政治的性向で判決を出すべきだというオ判事の主張の典拠は「裁判官は憲法と法律に則り、その良心に基づいて独立して審判する」という憲法第103条だ。しかしこれは裁判官がいかなる外部の圧力も受けず、ただ憲法と法律、そして裁判官の良心に基づいて判決するという法治主義の原則を強調したものであり、自分の政治的偏向で判事の思い通りに裁けということではない。政治的中立を強調した条項であるが、あえて「独立」を重視して独自の解釈をしている。
自然人としての判事が所信や政治的性向を持つことはあるが、判決はただ憲法と法律に立脚し、司法府全体の一貫性も維持されなければいけない。そうではなく判事が各自の性向または政治色を帯びた判決を下せば、裁判が判事によって大きく変わりし、裁判所が政治に隷属する司法破壊につながりかねない。こうした判事と判決を国民が信頼して容認するという傲慢がどこで生じたのか驚かざるを得ない。そうでなくとも元世勲(ウォン・セフン)元国家情報院長に対する判決が政権によって変わる事例を見ると国民の心は複雑だ。司法府が政権を眺めることなく権力に揺れない法治を確実に構築することが積弊の清算であり司法改革だ。