江戸幕末滞在記(1867年)
アドアルド・スエンソン(フランス海軍士官)

日本人の性質
祖国と家族から遠く離れて使命を果たすのが普通な英仏の軍人は、この美しい国日本、陽気で親切な住民に立ち交じって暮らすのが幸せで、充分に満足している。日本の和やかな空の下、微笑む人々や自然の懐に包まれて軍人は重労働を忘れ、厳しい船員生活と熱帯の気候がもたらした数々の病や傷をいやしているのである。
裕福な家では必ずといって良いほど、執事を勤める中国人が一人いた。こういった中国人は、ずる賢こく「可哀想な日本人たち」を軽蔑の目で見下げ、奸知と抜け目のなさでもって主人に自分を不可欠の存在にしてしまうのである。その狡智、計算高さ、商売上手において日本人などは足許にも及ばない。
けれども日本人は、こうしたずるい性質の不在を、正直と率直、疲れを知らぬ我慢強さで補っている。中国人は、見かけこそ賢そうな顔をしていても、厭わしい印象を与えるのが普通だが、その点日本人は、ちょっと見には見窄らしく、彫りの深い顔をしていても、外国人には好感を与えるのである。
日本女性
日本女性は中国の女性と比べて、作法や習慣がひどく違っている。シナの女性は外国人の顔を見ると、すぐに逃げ出すのが常識になっているが、日本女性はこれに反して、我々に対して、いささかも疑惑や恐れを見せない。彼女らは茶屋に笑顔でやって来て、お客の周りに集まり、客の洋服に触ったり、平気で握手する。彼女達の作法は中国人よりはずっと自由であるとはいえ、私は、彼女達の行儀作法が、海の向こうの内気な姉妹よりも劣っているとは思わない。
日本の住宅
あらゆる方面で発達している日本人の美的センスは、どんな種類の塗料、ラッカーよりも白木の自然な色を好むのである。新しい家は紙(障子)と白さを競い合い、古い家は樫の木のような艶を帯びて、こちらの美しさも捨てがたい。外観も内部も、日本の家は人形の家のようで、店で売っている小さくて洒落たスイスの田舎家を思わせる。
日本人は天真爛漫で陽気
日本人は何ひとつ隠そうとせず、自前の天真爛漫さでもって、欧米人ならできるだけ人の目を避けようとする行為でさえ、他人の目にさらしてはばからない。
日本の大衆食堂
大衆食堂では娘たちが何人も働いていて、煮物や揚げ物の給仕をしたりで忙しい。少し年のいった女性が監督で、陽気すぎる娘たちを制し、若い男たちとおしゃべりしたりふざけたりするのを止めさせようとしているが、一向に利き目がない。
通りにはひっきりなしに屋台の食べ物屋が行き交っている。屋台は四角い木の箱二個で出来ていて、前面の方に板(俎板)があって主人がその後ろに立ち、屋台全体を紙の衝立がおおっている。箱の一つには炭火と炭が、もう一つには卵、ご飯、カニ、魚などの材料が入っている。真ん中の板には料理の逸品が並べてあり、どれも清潔で見事にこしらえていて、思わず食指を動かされる。中でも魚のケーキ(握り鮨)はなんともいえぬほどに見た目に美しく、魅了させられてしまう。
日本人の容姿
一見したところ日本人は、白人と比べて好ましい外観をしているとはとてもいえない。ところがそれも、栗色に輝く瞳から伝わってくる知性、顔の表情全体からにじみ出てくる善良さと陽気さに接して思わず抱いてしまう共感によって、たちまちのうちに吹き飛ばされてしまうのである。
大部分はわれわれ北欧人と同じくらい色白といってよく、概して醜い大多数の中、少数の例外は気高く人品の良さそうな顔つきをしているので、コーカサス(白色)の人種の血が混じっているのではないかと思われる。
日本人社会
社会秩序、ならびに諸階級の間で非常に良く発達した独立心は、日本人がなぜ中国人やほかのアジアの民族よりすぐれているかを説明して余りある。日本という国は、その構成員がたとえどんなに抑圧されているにしろ、誰であろうと他人にやすやすと屈服するようなことはない。彼らが文句なしに認める唯一のもの、大君から大名、乞食から日雇いに至るまで共通なその唯一のもの、それは法である。
日本人の風呂好きと混浴
日本人の清潔好きはオランダ人よりはるかに発達していて、これは家屋だけではなく、人物一般についてもいえるのである。仕事が終わると公衆浴場に行かないと一日が終わらない。公衆浴場で何時間も湯を浴び、下着を洗って、おしゃべりの欲求も満足させる。
男女の浴槽は、麻縄が境界線として使われているが、男女を隔てるのに衝立はない。男も女もおたがいの視線にさらされているが、恥らったり抵抗を感じたりすることなど少しもない。西洋人から見た場合、女性の慎み深さを欠いている具合は並大抵ではない。とはいえ、それは本当に倫理的な意味での不道徳というより、むしろごく自然な稚拙さによる、自然から与えられたものを隠す理由が何もないからなのであるのだろう。
私見では、男女の混浴が慎み深さを欠いているという非難があるなら、むしろ、それら裸体の光景を避けるかわりにしげしげと見に通って行き、野卑な視線で眺めては、これはみだらだ、叱責すべきだと恥知らずにも非難している外国人の方に向けられるべきであると思う。
日本人が嫌う不潔な西洋人
日本人はわれわれを不潔だといって非難し、その証拠のひとつとしてハンカチの使い方あげてくる。日本人が鼻をかむときはその目的にかなった小さな紙片を使用し、使用後はただちに捨てる。
それに反し、我々西洋人は一日中不潔なハンカチをポケットに入れて持ち歩く。それがどうしてもわからぬと日本人は言うのである。確かにその言い分には一理あるのは否めない。
日本の田舎
小さな村落に、ぽつんと立った農家が華やかな色に輝く畠のあちこちに点在していた。男も女も子供らも野良仕事に精を出し、近づいて行くと陽気に「オヘイヨ」(おはよう)と挨拶してくる。町と同じくここでも家は人形の家のようだが、柱は光沢を放ち、紙(障子)も白く輝いている。住民は健康そのもの、満足な様子がまぶしいほどに見えた。快活さが一目でわかる表情で、老若を問わずわれわれに話しかけてきて、一番見晴らしの良い散歩道を指し示してくれたり、花咲く椿の茂みを抜けて半分崩れかかっている謎めいたお堂に案内してくれたりする。