たくさんの本を読んで、フアンダメンタルズとテクニカルを総合させることやそれぞれの妥協点を見出そうとするあたりから、次第に投資の本筋を外れてゆく。しかし、当人はそれに気づかず、自分の投資に深みが加わったと錯覚する。
なにかと「勝負!」という人がいるが、勝ち負けの世界には悲壮感がただよい、どこかセンチメンタルでそれは運命論にまで進んでしまう。
なにか思いつめたような、その狐つきのような目。あんたはまだ”当てよう”という気持ちが強いみたいだね。儲けたい、儲けようという欲が先立っているからだ。それを売買に上達しようという熟意にしなければね。
なまじ経済をかじった人はどうしても相場を理屈で見てしまう。見るだけなら理屈でいいが、理屈でやってしまう。「知ってる」ことと「出来る」ことはまったく違う。
慣れないうちは「乗りそこなった」という判断ができない。そして、切る決断も慣れである。だから嫌々でも損切りを二、三回やってみる。そういう苦しい経験を積んで徐々に上手になって行く。
難易度の高い値動きに挑戦するよりも、やさしく取れる相場を回数多く取るほうがよいのである。確実性を重んじること。嵐の海では泳がないのである。
ナンピン否定論者のほとんどは評論家や無計画なナンピンで失敗した人である。彼らは計画的に実行してこそナンピンであることを知らないで、とにかくナンピンを否定する。
二兎を追いかけてはいけない。小豆をやるのなら株をおやめなさい。
日本人は自分の玉にある種の愛情を持っている。しかし、アメリカ人は愛情どころか愛着もない。彼らにとっての玉は利益を得るためのステップなのだから、用済みになったらサヨナラだ。
ニュース? 材料? 馬鹿野郎。材料で儲かったことあるかよ。
人間だから心の動揺や恐怖心、そして欲がある。それでも建て玉の処理は、欲に走りながら「区切り」をつけるものでなければならない。
値動きで強気になったり弱気になってはいけない。それでは値動きに振り回されて自主性を失う。
相場の技術とは、上がる下がるの当てものではなく、予知不可能な騰落に対する建て玉の操作である。極言すれば相場の90%は技術であり、頭をつかうのは残りの10%に過ぎない。
「初押しは買い」と言われる。上げ相場になってからはじめての押しは絶好の買い場なのだからあたりまえである。では、どこで下げ相場が上げに転換したのか判断するのかといえば、そんなことがわかればバカでも儲かるのである。
売買の自慢をする人たちと、口をきかないほうがいいですよ。その人たちは相場と喧嘩して勝とうという人ですからね。相場を敵対視すればどうしたって暴力沙汰になってしまいます。
相場をはじめたばかりの人が現物の需給も調べず、欄場の足取りも知らずに他人から聞いた「当てもの的な相場観」を鵜呑みにして資金いっぱいの建て玉をする。この勇敢は実に驚くべきことで、私の及ぶべきところではない。
売買を明示するケイ線による売買は投機家の夢であるが、理論的にそうしたケイ線はない。
下手な投資家は省略が大好きで、労力をかけたがらない。
はじめて悪い銘柄を切るときは非常に抵抗を感じるが、いちどその先礼を受けると、あとはなんでもなく出来るようになる。
必勝ソフトの当たる確率は20%~25%%だと言われている。じょうだんじゃない。デタラメにやっても確率は50%なのだ。
売買の途中でツナギの売り玉を入れても、人間の弱さはすべてカバーできるものではない。こんなときは建て玉を0(ゼロ)にして新鮮な対応策をとるべきだ。
相場のツナギは暴走を引き締める手綱の役割りをする。
「人のゆく裏に道あり花の山」こんな人を馬鹿にした格言など、相場をするうえで役にたつのだろうか。「もうはまだなり」ますます人を馬鹿にしている。「もう」と「まだ」は同じだというのだ。こんな語法を無視した格言など捨てなさい。
必勝法が存在するならば賭けそのものが成立しないのである。ところが賭けのなかに、ごくわずかでもスキルが存在するものは訓練や慣れによって利益を得ることができるのである。
場帖は鉛筆で書かないで、ボールぺンで書きなさい。鉛筆書きは相場に対して安易な取り組み方をしていることのあらわれだ。
相場は他人との競争ではなく、自分自身の欲望に打ち勝つことである。
ひとつ残らず成り行きで売ってしまうのだ。そのあとの爽快感は一生忘れられないだろう。そして、気分のよいところで考える。まことに健全で申し分のない結果が出るにちがいない。
人にはお金の入る器があって、器を大きくしなければ入ってこないし、持ちこたえられない。
評諭家の書いた本のなかにも「儲ける法」とか「儲け方」といった項目があるが、読んでみると「チヤンスに賭ける」ことが記されているだけなのだ。
プラスの結果が得られるシステムはないが、マイナスの結果が得られるシステムはゴマンとある。
下手な人ほど利益目標なる不可解な計画を立てる。しかし、技術で稼ぐものは上手になることが目標なのであり、利益はそれに付随するものである。利益は努力の結果なのであり、努力なくして成果はない。
ほとんどの投資家が焦りと欲から「いま員わないとチャンスを逃す」と急いでしまう。しかし、往々にして「ここぞ!」と焦るときはチャンスではない。
ほとんどの投資家は社会のなかでそれぞれの専門分野を持ち、すばらしい知識と能力で活躍しているのに、こと相場になると、どうしてレールを踏み外しているのか。間逮えて理解しているところを是正する。不足している部分を少しでも補う。必要な技術を身につける。これだけで見ちがえるほど変身することができるのだ。
本玉の半分を建てる緊張は日常生活で得られない心地よいスリルである。しかし、スリルを迫いかけたとき投資家は道を誤る。
相場の上手な人は 〝自分をよい環境に置くこと″を心掛ける。「勝ち癖」をつけるのも、そのひとつである。
マネーゲームに加わるためには、まずはじめに「高く売る」勉強をしなければならない。これは商売と同じで需要とは自分の好みではなく他人の好みである。多くの投資家が「わかつているよ」と言いながら、まったくわかっていないのがこの「他人の好み」である。そして高く売れる株がいい株であることを頭に叩き込むべきである。
見込みちがいの株を後生大事に持ち、たとえ下がっても希望的観測を持つ。アマチユアは例外なく、お金を大事にしない。
下手な投資家ほど、いろいろな銘柄を持っている。
林輝太郎相場人生訓より
http://www7b.biglobe.ne.jp/~chibita-ponta/personal/reference/hayashi.html