ヨーロッパで称賛されてたはずの「韓国式防疫」、蓋を開けてみたら「韓国は抑圧国家」の再確認のために使われただけだった……
2020年04月28日
韓国を称え、かつ毀損するヨーロッパ、そこで踊る韓国(メディアトゥデイ・朝鮮語)
多方面に渡って欧州の苦悩が深い。コロナ19が蔓延し、システムそのものの「失敗」が明らかになったためだ。ドイツでも1日の新規感染者が7000人まで増えたものの、現在では混乱の時期が過ぎて状況が安定に入っている。ドイツのメディアは、初期韓国の防疫方法を積極的に紹介して賞賛した。「ロールモデル」とまで表現され、これを聞いた韓国人の胸いっぱいさ加減ときたら!
しかし、時間が経つにつれて微細な変化が生じはじめた。ドイツが「韓国式防疫」を導入しようとする頃である。ドイツは個人情報保護法を世界で初めて制定した国である。
感染者情報を大衆に公開するのではなく、保健当局から警察に情報を渡すことについて違法論議があった。最終的に警察は感染者情報を削除した。結局のところ、ドイツは個人情報をすべて公開する韓国式防疫を受け入れなかった。その代替案として移動の自由を制限した。現在、暗号化されたコードでBluetoothを利用する方式を準備しているという。
ドイツで個人情報保護の議論が起こり、韓国式への「再照明」が始まった。「韓国では個人情報は重要な扱いを受けていないのではないだろうか?」、
「なぜすべての国民がそこまで政府の言葉をよく聞き入れるのか?」、「なぜあのように防疫がうまくいったのか」といった問いで、いわゆるアジアの専門家の分析が続いた。そして今、韓国式防疫を紹介するたびに、「儒教」と「権威主義」という言葉が欠かせない状況だ。ここでは西欧社会からアジアを見る典型的なオリエンタリズム、すなわち西欧優越主義が渦巻いている。
西欧人にとって儒教思想はアジアを分析する主要な窓といえる。言及すること自体が「アジアの専門家性」を示すキーワードとなっている。それゆえに誰も彼もが言及する。それだけで知った顔ができるのだ。さらにアジアの概要を書いたこれらの文章が、先入観に貢献している。
韓国でも有名な哲学者であるハン・ビョンチョル ベルリン芸術大教授は、ドイツのメディア「ビルト」への寄稿文を通じて「アジア諸国は権威主義的人々であり、国家権力に従順だ」と儒教文化と共に言及した。この教授は儒教という言葉を括弧内に注意を入れたが、発行媒体は、この言葉をサブタイトルに選んだ。
この寄稿文を寄せた教授は、欧州方式についても厳しく批判した。しかし、有料の記事であったために支払いをしていないほとんどの読者は「儒教」という単語のみを強く認識してしまった。このようにして先入観はさらに強化されているというわけだ。
ヨーロッパにおいて微妙に変化する韓国への視線を追っていくと一緒に見えるものがある。欧州での評価に一喜一憂する韓国の姿だ。
ドイツが韓国をロールモデルと評価した際には韓国のメディアと多くの韓国人たちが、いわゆる「グクポン」に陥った。「(先進国である)ドイツも認める韓国!」と。私もそうだった。もちろん、民間ではそうしてもいい。ところが韓国政府までが「グクポン」を煽りはじめた。韓国を賞賛する外信を整理して広報し、韓国で人気のある外国人を利用して広報映像を撮った。海外文化広報院まで参加した。さらに外交部はもちろんのこと、法務部までもが加勢した。
そのような状況下で、外信で韓国を批判する文が出てきたら過剰反応を起こすしかない。フランスで弁護士が書いた寄稿文に対して駐フランス韓国大使館が抗議したことがその典型例だ。寄稿者は韓国を「監視と抑圧で世界第二の国」と、アジア全体を批判する文章を書いた。これに韓国大使館が対応したことは、韓国でも広く知られている。韓国ではその媒体、さらにフランスを対象に激しい非難が相次いだ。
フランス政府の公式の立場でもなく、媒体の社説でもない外部からの寄稿に政府がここまで反応するべきことだろうか。さらには韓国国民までもが加わって抗議する姿は、まさに西欧のオリエンタリズムへの再確認のために燃料をくべるような行為だ。
韓国を賞賛する記事が韓国のすべてを見ていると判断するのは間違いだ。韓国を批判する記事ひとつで、韓国のすべてが批判されていると判断するのも間違いだ。外信の記事ひとつに一喜一憂するのは、一般市民に任せておけばいい。政府は異なる役割をすべきだ。生半可なアジアの専門家を片付け、しっかりとした分析をこなす韓国専門家を育てることである。
寄稿文には寄稿文で対抗すればよい。しかし、政府自らの寄稿文であれば、それは「国政広報」そのものとなってしまう。欧米で中国政府がやっていることと完全に一致してしまっている。現地で談話を導いていくのは専門家が取り組むことで、政府が乗り出すことではない。そしてそのような専門家は、一日二日で促成栽培できるものではない。外信記者を呼んでK-POPツアーをしても無駄なようなものだ。そのような「K-POPツアー」はもうやめるべきだ。
コロナ19事態でヨーロッパとアジアのフレーム闘争が始まった。戦うこと自体がすでに価値のある出来事だといえる。韓国にとっては今こそがよい機会である。ただし、この過程で「グクポン」ばかりを踊らないように願う。ヨーロッパが演奏する音楽に合わせて踊るのではなく、韓国が自ら音楽そのものを変える能力が必要となるのだ。
(引用ここまで)
当初、ヨーロッパは「韓国凄い!K防疫だ!」と思ったかもしれない。ところが蓋を開けてみれば、韓国は国民全員に犬のように鎖をつけていたと言うことが解り、
「それなら当たり前だ。民主主義ではそれが不可能だから困っているのに」となり、更に「韓国はそのような危険な行為をするべきでなない」に変わってしまったのだ。
私は個人的には、非常事態だからやむを得ないと思っているが、ヨーロピアンは国家が国民のプライバシーを侵害すること自体が反民主主義だと思っている。
だから韓国人がヨーロッパ起源の「デモクラシー」を誇ればヨーロピアンは嘲笑する。こいつらはデモクラシーの意味が解ってないぞと。これから韓国人はデモクラシーを誇ってはいけないということだ。
私からの提案だが、韓国人がデモクラシーを誇りたいときには、「Kデモクラシー」と言えばいいのではないかな^^;