戦艦大和に製造室もあったラムネを再現、特産品に認定
2021.5.3 08:00プレミアム
軍艦「磐手」でのラムネ製造の様子=昭和4年ごろ(中元順一朗社長提供)
5月4日は「ラムネの日」。ラムネは戦時中に旧海軍にも愛され、戦艦「大和(やまと)」でも作られていたとみられている。そんな当時の味を再現しようと試みたのが、大和を建造した場所で日本を代表する軍港があった広島県呉市にある食料品製造販売「中元本店」。同社によると、初代社長が旧海軍にラムネの製法を伝授していたというから、再現力は本物だ。当時を再現したその「大和ラムネ」は今年4月、広島市が優れた地元の特産品を全国にPRする「ザ・広島ブランド」に認定された。(嶋田知加子)
戦艦の消火設備を転用
「大和ラムネ」を製造する中元本店は大正14(1925)年創業。当時からラムネを作ってきたといい、地元で長年親しまれてきた。夏祭りや盆踊り大会の人気メニューで、中元順一朗社長(48)は「大会が終わると、父や工場長が夜の街のあちこちに捨てられたラムネの瓶を探しに歩き回っていたと聞いています」と話す。
そして、このラムネの製法を旧海軍に伝えたとされるのが、初代社長で中元社長の曽祖父、庸(いさお)さん(故人)。同社によると、昭和16年に世界最大の戦艦として竣工された大和はもちろん、旧海軍の大きな戦艦にはラムネ製造室が備わっていたという。艦内に消火設備として二酸化炭素の発生装置が設置されており、これを転用することでラムネを製造できたという。
「旧海軍への伝授は曽祖父の誇りでした」と中元社長。「戦後、旧海軍のお偉いさんが家を訪ねてきたことがあったそうです。家族は普通に対面しましたが、おじいさんは恐縮してふすま越しに話したとか…」。
元工場長は戦艦乗組員
戦艦内で作られていたラムネを再現するきっかけは平成17年の「大和ミュージアム」のオープンだった。再現の中心となった一人が、元工場長で中元社長の祖母の兄にあたる平野偉基(ひでき)さん(故人)。大和にこそ乗らなかったが、旧海軍でその他の戦艦や潜水艦の乗組員となり、艦内で製造されたラムネを愛飲していたという。
平野さんは会社に代々伝わるレシピを基に、戦中に飲んだラムネの味を思い出しながら試行錯誤。艦内で作られていたラムネは切れ味鋭く、香りにもこだわった。詳細は企業秘密だが、約1年半かけ、大和ミュージアムのオープンの約半年前に、甘く優しい香りと甘味がさっと消えていく切れ味が絶妙なバランスの大和ラムネの味が完成。平野さんは楽しみにしていた大和ミュージアムの開館を目前に亡くなったが「大和ラムネの仕上がりには納得していました」(中元社長)という。
「ラムネだけが楽しみだった」
大和ラムネは実物を知る人たちにも評価された。
中元社長によると、17歳のときに大和の乗組員だった八杉康夫さん(故人)は中元社長に「ラムネだけが楽しみじゃった。本当に懐かしい」と語った。「八杉さんはラムネについて『支給されても、もったいなくて1、2口飲んだら瓶を逆さにし、ビー玉で栓をし直して、3度に分けて飲んでいた』とも語っておられたといいます。1口目がどれほどおいしいものであったのかと…」
数年前に自衛隊が戦艦大和が沈んだ鹿児島県沖で黙祷をささげる際にも、大和ラムネが海に手向けられたという。
同社は最盛期には1日5千本のラムネを製造する。「ラムネは日本が元気だった頃の飲みもので、日本の文化。楽しいところには必ずラムネがあった」と中元社長。「呉の街で生まれ、旧海軍の乗組員たちに愛された大和ラムネの味も大切にしていきたい」と話している。
https://www.sankei.com/premium/news/210503/prm2105030003-n1.html
================================================================
( ´・ω・)飲みに行ってみようかな。