JumongR君が「高句麗の百済渡海戦の根拠」とやらを説明しようとしているようです。
彼の目的は好太王の碑文にある「海を渡った主体」を高句麗であると言いたいわけです。
それは彼の元スレに
■韓国 - 日本人が海に現われよう (日本と同盟である) 百済を高句麗が 海を渡って壊して 東進して 新羅を臣民にして保護した
■日本 - 大和が海を渡って百済新羅を壊して臣民にした.
とお互いに支配国家が誰なのか違うように解釈します.
という文章から明確に示しております。
そこで、下の「冬十月・・・」なる記録を示して「高句麗が海を渡った」証拠にしたつもりのようです。
彼の出した「根拠」なるものには出典が「高句麗本記391年」と書いてありますが、彼は「高句麗本記391年」を信じております。
でも「高句麗本記391年」にはいくら探しても見つからないわけですね。これこそ彼が意味も解らず間違った説を強弁しようとしている証拠です。(高句麗本記391年ではなく好太王の碑文)
まぁ彼の提示した文は丁寧に日本語訳が出てますが、關彌城は海水で覆われたという事を説明しておりますが、どこにも「高句麗が海を渡った」なんて書いてありません。
彼はこの意味を理解できず、「海水」という文字を持って「高句麗が海を渡った」と勘違いしているわけです。
