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本条約は締結されたとは言え、これ以前に締約された日韓併合条約や協定に対する「もはや無効であることが確認される」という条文に対して日韓両国の解釈が異なるなど、歴史認識論議が絶えない[10]。
韓国側は、本条約の締結により「過去の条約や協定は、(当時から)既に無効であることが確認される」という解釈をしているのに対し、日本側は本条約の締結により「過去の条約や協定は、(現時点から)無効になると確認される」という解釈をしている。これは、特に韓国併合に対して、韓国側は「そもそも日韓併合条約は無効であった」という立場であるのに対し、日本側は「併合自体は合法的な手続きによって行われ、併合に関する条約は有効であった(よって、本条約を持って無効化された)」という立場をとるという意味である[10]。これは、韓国側が主張した
“null and void” (無効)に already を加えて “already null and void”
(もはや無効)とし、双方の歴史認識からの解釈を可能にしたもので、事実上問題の先送りであった。
藤井賢二はこうした旧条約無効の主張は、感情的で歴史的事実とは乖離したものであり、韓国が自らを連合国(戦勝国)として位置づけようとしたことと密接な関係があると述べている[10]。韓国側公開文書「1950年10月 対日講和条約に関する基本態度とその法的根拠 対日講和調査委員会」に添付された駐日韓国代表部政務部による1951年10月25日付の説明文には、「韓国が対日平和条約に署名できなかったのは、韓国が対日戦争に参加しなかったという事実に起因すると言えるが、韓日合併条約無効論の立論が不十分であったためでもあると記されており、旧条約無効の主張は韓国が自らを連合国として位置づけるためにも妥協は許されなかった」と藤井は指摘している[10]。


(…「民族の総意」と表現している 筆者補註-) に反して行われたものであるので遡って無効としなければならぬ。」 「当方は1910年以前の条約は国民的に、 当時に遡って無効であるという強い信念、国民感情がある。」 と述べた。 一方で愈頒午は「この法理論を貫くときには、 実際には複雑な問題が起きる。」 と述べて、この主張の問題点も認めた。日本側が「旧大韓帝国が国際法上の主体として消滅している以上、それは大韓民国とは別個のもので、その間の continuity はない。 既に消滅し去っている条約の無効を今更問題とすることは凡そ意味がない。」と指摘したのに対し、 韓国側金溶植代表は「(大韓-筆者補註 - 民国は韓半島にはなくとも海外にあって、 三一宣言にもある如く民族として継続している」と述べた。
大韓帝国の消滅は1910年、 上海で大韓民国臨時政府が成立したのは 1919 年であって両者の継続性はなく、金代表の発言は感情的で論理的ではなかった。また、1905 年の第二次日韓協約や日韓併合に関する原田環の研究 (19) で明らかなように、 「1910年以前の条約」 は 「民族の総意」 に反して結ばれたという韓国側の見解は事実に反していた。
感情的で歴史的事実とは乖離した韓国側の 「旧条約の無効」 の主張は、 日韓会談において韓国側が自らを連合国と位置づけようとしたことと密接な関係があったと筆者は考えている。
1951年5月の段階で米国は英国の意見を受け入れて韓国を対日平和条約の署名国から はずす意向を固め、その意向は 1951 年 7月9日にダレス国務長官顧問から梁裕燦駐米韓国大使に直接伝えられた。「日本と戦争状態にあり、かつ 1942年1月の連合国共同宣言の署名国である国のみが条約に署名するので、韓国政府は条約の署名国にはならない」というのがその理由であった (20)。 1951年7月9日にダレス国務長官顧問と面会した梁裕燦駐米韓国大使は、韓国を対日平和条約の署名国から外すという米国の意向に対して、 「大韓民国臨時政府は、 実際、第二次世界大戦に先立つ何年も前から日本と戦争状態にあった」と反論した (24)。「朝鮮は大戦中は実質的に日本の一部として日本の軍事力に寄与したこと」 が、 韓国を対日平和条約の 署名国からはずした米国の理由の一つであった (25)。これを覆して韓国が自らを連合国と位置づけるためには、 大韓民国臨時政府はもちろん、 大韓民国臨時政府が「民族として継続し」たと主張する大韓帝国も、 日本に対してあくまでも敵対的であらねばならなかった。 愈頒午は、 1951年7月30日に発表した、 対日平和条約草案に関する論文において 「韓国を連合国から除外する今次の草案の態度自体からして不当だ。 第二次世界大戦中に韓国人で構成された組織的兵力が中国領域で日本軍と交戦した 事実(略ー筆者) は韓国を連合国の中に置かねばならないという我々の主張の正当性を証明している。」と主張した (21)。
1951年9月8日にサンフランシスコで対日平和条約に調印した52ヶ国に韓国は含まれなかった。日韓会談の代表となる愈頒午にとって、 その現実は受け入れがたいものであった。 しかし対日平和条約では、 連合国との間の諸懸案を解決するための交渉を日本は速やかに開始するという条項は日韓間にも該当するとされたため、1951年10月20日から日韓会談予備会談が開催された。韓国側公開文書の中に、 「1950年10月対日講和条約に関する基本態度とその法的根拠 対日講和調査委員会」と題された報告書に添付された、 駐日韓国代表部政務部による 1951年10月25日付の説明文がある。 その文書には、 韓国が対日平和条約に署名できなかったのは、 「韓国が対日戦争に参加しなかったという事実に起因すると言える」 が 「韓日合併 「条約無効論」の立論が不十分であったためでもあると記されている (27)。この予備会談に出席した韓国側代表たちが、連合国の一員としての意識を持って会談に臨んだことが彼らの回顧録等から確認できる (22)。
1952年2月20日に開かれた第1次日韓会談第1回請求権委員会において、 韓国側 林松本代表はあいさつで、 「日本からの解放国家である韓国と、 日本との戦争で勝利を勝ち得た連合国は、類似した方法で、日本政府や日本国民の財産を取得できる」と述べ、日韓会談の進展は日本側がこの主張を認めるか否かにかかっていると日本側に警告した (23)。第1次日韓会談で最大の焦点となった請求権問題において韓国側は、韓国が連合国と同様の権利を持つと述べて、 朝鮮半島に残された日本財産没収の正当性を主張した。対日平和条約第14条では、連合国は連合国内にある日本国および日本国民の財産を没収して戦争による被害の賠償に充当できると定められていたからである。このように、 第1次日韓会談で 韓国側は自らを連合国と位置づけることによって日本から利益を得ようとした。
よって、韓国側は
「契約などに瑕疵があって法律上全く無効」 という強い否定の意味がある null and void を 「旧条約無効」の 「無効」
の英語訳に使用した。 1952年4月21日の松本俊一日本側首席代表と金溶植韓国側交替首席代表による非公式会談で、 金代表は、 null and
void について 「われわれの内輪ではillegal という語に置きかえようとの強硬論もあった程である」と述べた(26)。韓国にとって、
日韓併合条約等の 「旧条約は無効 (null and void) である」という主張は、
日本に対して自らを連合国として位置づけることと不可分であり、妥協は許されなかったのである(28)。



日韓会談(注:日韓条約締結過程)でも散々議題にされた論点なのに、残飯は今頃何言ってるんだろうね?