連合国最高司令官だったマッカーサー将軍は 1946年 1月 29日スカーピン 677号を通じて独島を済州島, 鬱陵島とともに日本領土から除いた.
これは 48ヶ国連合国が全世界を対象で ‘独島は韓国地’と記録した国際法的公認文書と称えられる. 我が政府が独島領有権紛争で根拠で立てたりした文件だ.
日本を含めた一刻では ‘スカーピンはこれを下がった軍政が終わることと同時に無效化された’と駁する. 何より軍政で考慮したすべての措置たちは最終的にサンフランシスコ強化条約で確定されたというのだ.
サンフランシスコ強化条約は 1951年 9月8日締結された. この条約でスカーピンが無效化されたことなら当時連合国司令部で 1951年 9月8日以後追加的なスカーピンを発令する必要がなかったはずだ.
だからスカーピン 677-1号はサンフランシスコ強化条約締結 3ヶ月後人 1951年 12月5日発令された. 独島と北方領土 4個島を日本政府から分離する内容を記している.
著者と一部学界ではスカーピン 677-1呼値 “正確に独島は日本領土ではないと規定したこと”と主張する.
サンフランシスコ強化条約締結以後発令されたことだから連合国が日本領土に対して最終的に下した決定で見られるし国際法を根拠にすれば韓国も日本刀この指令に従わなければならないと強調している.