創業者の孫が「汚職からの自死」したあそこかぁ。
中島 洋次郎(なかじま ようじろう、1959年(昭和34年)7月16日 - 2001年(平成13年)1月6日)は、日本の政治家、群馬県選出の衆議院議員。第二次世界大戦前、日本最大の飛行機製作会社となった中島飛行機(現・SUBARU)創業者・中島知久平の孫に当り、文相も務めた中島源太郎の二男である。
1998年10月29日、東京地検特捜部に政党助成法違反容疑で逮捕され、同年11月19日には公職選挙法違反で再逮捕。
12月15日には海上自衛隊の救難飛行艇開発問題に絡む受託収賄容疑で3回目の逮捕。同年12月28日受託収賄罪などで起訴された。
1999年1月12日に罪状を認めた後、議員辞職(小島敏男が繰り上げ当選)。7月には東京地裁で懲役2年6ヶ月、追徴金1000万円の実刑判決を受けた。
実刑判決を受けた同じ年に二男を生後2か月で亡くす。その後ショックで精神不安定となり、カウンセリングや投薬治療を受けたものの「抜け殻」状態であったという。2000年9月には東京高裁でも懲役2年の実刑判決を受け、10月には最高裁に上告したが、最終結審前の2001年1月6日東京都内の自宅で首吊り自殺した。墓所は多磨霊園。
で、「政界のスバル」ことヘナ耳の吉田。
2010年の第22回参議院議員通常選挙に社会民主党公認で比例区から立候補し、同党の候補者の中では福島瑞穂に次ぐ2位の個人票を集めて、初当選した。
2016年7月10日に執行された第24回参議院議員通常選挙にて落選し、7月14日に社民党党首を引責辞任する意向を表明。
しかし、9月1日に開催された社民党常任幹事会での慰留を受け入れて非議員ながら党首を続投することとなった。
2018年1月に予定されていた社民党党首選挙には出馬せず、同年2月25日に任期満了に伴い退任した。
2019年7月21日に執行された第25回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、再選。3年ぶりに国政に復帰した。
この選挙における社会民主党公認候補者唯一の当選者だった。
2020年2月22日の党大会において幹事長に選出された。
吉田らは立憲民主党との合流を模索し、同年11月14日の臨時党大会では希望する党員・地方組織の離党と立憲民主党への合流を容認する議案が可決。
12月17日に吉田は「離党して立憲民主に合流する。政治を正すためには質的にも量的にもしっかりした野党を作っていかなければならず、社会民主主義的な理念政策を立憲民主の中で広げていきたい」と述べ、立憲民主党へ合流することを正式表明した。
24日に吉田と副党首の吉川元は社民党に離党届を、立憲民主党に入党届を提出し、いずれも同日受理された。
そんな「日産から盗用多」に寝返った創業者の孫が自死したスバルの様に
ミズポからヘナ耳に寝返った吉田が活性化した模様。
「そんなことより議員定数」発言で高市総理が釈明 企業・団体献金は法案審議入りも採決のめど立たず
2025年12月3日 17時25分高市総理は国会で、企業・団体献金をめぐる議論の中で「そんなことより議員定数の削減をやりましょう」と発言したことについて「議論の優先度合いを示す趣旨ではない」と釈明しました。
きょうの国会、野党が追及したのは、先週おこなわれた党首討論での高市総理の発言です。企業・団体献金をめぐる議論の最中、高市総理が…
高市総理(先月26日)
「そんなことよりも、ぜひ野田(元)総理、(議員)定数の削減やりましょうよ」
これに対し、きょう、野党は…
立憲民主党 吉田「ミズポからヘナ耳枝野等に寝返った政界のスバルこと」忠智 参院議員
「この発言によって政治資金問題や政治改革を軽視しているのではないかという批判が国民の間に広がっています。裏金問題の解決よりも議員定数削減の方が大切なのですか」
高市総理
「党首討論のもう残り時間がなくなるという寸前のときに、どうしても一言でも申し上げたかった定数削減の問題に、急いで話題を転換する際に申し上げたものでございます。(政治資金と定数削減)どちらも大切なことであり、いずれかがより大切であるというような優先度合いを示す趣旨でないことは言うまでもございません」
この企業・団体献金をめぐっては、きょう、与野党それぞれが提出した3つの法案が審議入りし、提出者が趣旨説明をおこないました。
あすは与野党がそれぞれ企業・団体献金について意見表明する予定です。
このうち、国民民主と公明が提出した企業・団体献金の受け皿を政党本部と都道府県連に限定する法案には、立憲も賛同する方針です。
ただ、委員会で企業・団体献金をめぐる法案の採決のめどは立っていません。
https://news.livedoor.com/article/detail/30128614/