記事入力 : 2010/08/05 12:00:23
【コラム】亡国100年とイ・ビョンチョルの夢(上)
毎年8月になると、韓日関係をめぐる話をよく耳にする。韓国が日本に併合された「庚戌国恥(韓国併合)」から100周年を迎える今年は、日本企業側で「韓国に目を向けよう」という声がいつにも増して聞かれる。これは、韓国の貿易黒字額が昨年、初めて日本を追い越したことや、サムスン・現代自動車・ポスコ・LGといった「四天王」と呼ばれる大企業が躍進しているからだ。
「韓日企業逆転」という話が出るたびに、真っ先に頭に思い浮かぶのが、故イ・ビョンチョル・サムスン・グループ初代会長のことだ。「日本のことを知ってこそ初めて日本に勝つことができ、彼らと対等になれる」という信念を貫き通したイ・ビョンチョル氏は生涯をかけ、日本を徹底的にベンチマーキング(優良な実例に倣って目標設定すること)することで、「日本を追い越す」努力を尽くしてきた。
イ・ビョンチョル氏は、李健煕(イ・ゴンヒ)サムスン電子会長をはじめとする息子3人を全員、日本の大学に留学させた。孫に当たる李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子副社長も、日本の大学院で学んだ。自身の周辺から、徹底的に「日本探求モード」にしたのだ。一時、サムスングループの重役ポストの70%以上が日本語を使えたというほど、サムスンは全事業の目線の高さを日本に合わせていた。
同グループ系列の新羅ホテルの例を挙げると、最高のすしや天ぷらを提供するため、ホテルオークラ東京の料理長に「(握りの)ご飯粒はいくつ」「天ぷらを揚げる油の温度は」など、一つ一つ聞いて実行したという。1959年から30年にわたり毎年、正月には東京を訪れ、各界の専門家から最新の情報や意見を聞き、新事業のアイデアを模索する「東京構想」を基に自身を磨いた。
「イ・ビョンチョル氏は主に、霞ヶ関ビル内にある書店や秋葉原の電気街を訪れた。本と電気製品以外に、同氏が何か買うのを見たことがない」(経済評論家の長谷川慶太郎氏)
http://www.chosunonline.com/news/20100805000047
【コラム】亡国100年とイ・ビョンチョルの夢(下)
日本に対する彼の執拗(しつよう)なまでの関心は、ただ単に利益を上げるためや好奇心からだけではなかった。20歳だった1930年、日本留学のため釜山から下関へ向かう釜関連絡船上で、船酔いのため二等室から一等室に移ろうとした際、日本人警察官から受けたある屈辱が決定的なきっかけになったという。
「後日、わたしが事業に没頭するようになったのは、植民地支配下に置かれた民族の怒りを胸の奥深くに刻みこませた釜関連絡船での事件があったからかもしれない」(『湖巌自伝』、「湖巌」はイ・ビョンチョル氏の号)
イ・ビョンチョル氏は三洋電気や日本電気(NEC)などでそれぞれ半年間、技術研修生として過ごし、毎日夜勤しながらその日学んだことを復習し、日本の製品を数限りなく分解・組み立てた。これも、「日本からの技術独立」を目指そうとする熱意があったからこそだ。こうした努力は、1990年代初めまでソニーにカラーテレビを納品していた「下請け企業」サムスン電子を、昨年日本の有名電気メーカー10社の合計を上回る営業利益をたたき出す会社へと成長させる原動力になった。
しかし、イ・ビョンチョル氏の「夢」は未完成だ。特許登録件数・世界シェア1位商品・技術貿易収支などにおいて韓国はまだまだ、日本の相手にもならない。「韓国は半導体・造船・液晶表示装置(LCD)など、組み立てセット産業に限っては日本より優位」と皮肉る声もある。対日貿易赤字は今年上半期だけで181億ドル(約1兆5628億円)を上回り、過去最大記録を更新中だ。
イ・ビョンチョル氏は韓国の「経済克日戦争」の急先鋒(せんぽう)に立ち、初めて勝利を手にした。だが今後、同氏を上回る第2・第3の「克日戦士」が登場しなければ、勝利の知らせは一度限りで終わってしまうだろう。
宋義達(ソン・ウィダル)産業部次長待遇
http://www.chosunonline.com/news/20100805000048
克日戦士は身も心も、息子も孫も日本人化して「克日」を達成したんだね。
なぜこの人は「親日派」認定されないの?
三星帝国の「高祖」だから?