小さく生まれて―未熟児だった私、医師に
2010年7月21日15時45分 朝日新聞特集〈はぐ〉
東京都内の大学付属病院の小児科病棟で、女性医師が、忙しいながらも生き生きと子どもを診ている。おもちゃを手に子どもと一緒に遊びながら、体の具合を聞き出すこともある。
彼女自身、未熟児だった。
都内の日本赤十字病院で1980年8月30日、妊娠27週、1050gで産まれた。当時の主治医によると、約50%の生存率だったという。肺が未熟で体重が増えず、母親は不安が募った。医師になって2年目の主治医は重圧の中、夢中で治療した。
半年後に退院。順調に育っていった彼女に、産まれた時の周囲の苦労を知っている母親は「あなたは、みんなに支えられて育ってきたのよ」と何度も諭した。
高校3年の5月12日の「看護の日」。病院で看護体験をするという学校行事があった。彼女が選んだのは、自分が産まれた日赤病院だった。新生児集中治療室(NICU)で自分と同じ千グラムの新生児を見て、実際の小ささに驚いた。医師や看護師は24時間体制で新生児の命をつなぎとめる。その中には、生まれた時の彼女を覚えている看護師もいた。どれだけ周囲に支えられてきたのかを実感した。「恩返しをしたい」。小児科を目指すと決めた。
都内の医科大学に進んだ。研修医時代には、急患が途絶えることのない小児科の当直業務を経験するなど厳しい面を実感したが、信念を貫いて小児科を選んだ。
2年前のある日、母親から主治医の名前を初めて教えられ、30年も前のことで覚えていないかも知れないと思いながら手紙を出した。「未熟児の時はお世話になりました」。しかし「詳細に記憶している」と返事があり、会いに行った。「みんなに支えてもらったんだから、今度は君の番だね」と励まされた。
半年間のNICU勤務も経験した。担当した女児の母親に、自分も未熟児だったことを伝えると「うちの子もお医者さんになれるかも」と喜んでくれた。
昨春、病院からの帰り道にある女児の家を訪ねた。「何歳?」と聞くと、指を立てて1歳と教えてくれた。大きくなった姿を見て、恩返しを少しでもできたかな、とうれしくなった。(文:沢伸也)
http://www.asahi.com/special/hug/TKY201007210363.html
以上、韓国人を(が)愛してやまない朝日新聞の記事より。
決して、未熟児=障害児ではない。
ATOMIC、わかったか?