朝鮮を決定的に駄目にした「衛正斥邪」
衛正斥邪(えいせいせきじゃ、ウィジョンジョクサ、ハングル:위정척사)は、
朝鮮において、正当を尊び邪悪・邪心・邪道を撃退する、という閔氏政権期に盛り上がった思想である。それは近代文明を拒否する超保守的な身分秩序と華夷秩序を守ろうとする動きとして現れる。
このため、西洋諸国の武力進出に対して李氏朝鮮は強硬に撃退し、丙寅洋擾、辛未洋擾などの事件を引き起こした。これらの事件によって自信を付けた興宣大院君は、朝鮮全土八道四郡にこの思想を奨励する「斥和碑」を建立した。
この碑には、
"洋夷侵犯非戦則和、主和売国"(洋夷侵犯す、戦わざるは則ち和なり、和を主するは売国なり)
と刻まれている。
現代朝鮮においても、北と南、社会主義と資本主義を問わず、共通の社会的な倫理や意識として生きている。
以上「Wikipedia」より引用
**************************************************************************
この自己意識が、朝鮮を盲目にしていた。
世界の流れや国民国家の意味を理解できず、結果として朝鮮(李氏朝鮮)は自滅の道を歩むのである。
日本にしてみれば、隣国の朝鮮の頑固な王朝外交は、日本の安全の危機に直結しかねない切実な問題だった。
当時、日本は頑固なまでの朝鮮の「王朝外交」からの離脱、つまり華夷秩序からの脱却と朝鮮の独立・近代化は日本の安全の前提となる大問題と意識されていた。
つまり、ロシアの南下の脅威との関連である。
しかし、列強と交戦して、ほんのちょっと勝利した李朝には、高揚した気分はあっても、島夷日本の無礼な国書の受け取りなどは問題外でしかなかったのだ。
.