韓国核武装, 6ヶ月なら十分だ
レーザー濃縮など超一流技術にプルトニウムも多くて
短期間に起爆装置-トバルスダン取り揃えた核武装する首都
- 最終編集 2011.05.29 12:39:29
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世界 5対ウォン前強国という韓国の核開発能力はどの位もなるか?
北核に備えて韓国も自慰手段で核武装をしようという世論が拡散している中に韓国の核開発能力を評価した専門家の診断が出た.
▲去る 2009年 5月北朝鮮の核実験場所衛星撮影写真.c。連合ニュース ソギュンリョルソウル大原子核工学と教授は NKビジョン 6月号寄稿を通じて韓国がその気になれば 6ヶ月以内に起爆装置とトバルスダンを取り揃えた核武装が可能だと明らかにした.で教授は “韓国はもう掛けがね, 月城, 光栄などに 21個原子力発展所を運営して申告里などに 7育てる建設して 4育てる建設準備中の世界 5大原子力強国”と説明した. またひいてはチェルノブイリと福島に搖れたロシアと日本を追い抜いて世界 3大原子力強国で進んでいると付け加えた.
で教授は “韓国に核兵器はないがレーザー再処理ウラン濃縮技術とプルトニウム抽出技術, 原審分離技術を開発している”と “特にレーザー濃縮技術は世界が刮目するほどの境地に至っていて有事時短期間に核武装ができる財政的技術的力量が十分だ”と評価した.
であって “我が国の原典に積もった使用後核燃料は 1万トンを超えてこの中プルトニウムが数十トンで プルトニウム爆弾を大量生産することができる”と強調した. 核爆弾一足にはプルトニウムが 10kg 程度必要なことと知られた.
で教授は “公式的に表明しないが核武装に必要な故濃縮核物質製造技術は天然ウラン濃縮で核燃料再処理施設を通じるプルトニウム濃縮に至るまで大量生産が可能な水準”で “最小限 6ヶ月以内に起爆装置とトバルスダンを取り揃えた核武装が可能だ”と強調した.
彼は “核爆弾実験を通じる物理的空間が必要だが世界超一流デジタル手術を保有した大韓民国の能力ではスーパコンピュータを使った仮想実験を通じて十分に代替が可能で仮想空間で核爆弾実験を具現することができる”と付け加えた.
[Why] どの事業家の告白私が ICBM (大陸間弾道ミサイル)韓国に持ちこんだ
| 記事入力 2011-06-25 14:38 | 最終修正 2011-06-25 20:08 キム・デジュン政権時代ロシア極東地域に配置された大陸間弾道ミサである(ICBM)を古鉄で偽装して韓国に持って来ました. 命をかけて働いたが, 私が困境に処したら国家は私をあきらめますね. 中堅企業人でこの間まで国内ある体育団体の会長を引き受けた Kさんの発言だった. 国家情報院に確認した結果, そんな事があったが彼が持ちこんだのは古鉄水準に過ぎなかったと言った. 生をあきらめたという Kさんに何の事があったのだろう.
◆ICBM プロジェクトに参加する
Kさんは 1996年から韓国とロシアを行き交って事業をした. カムチァカ半島の都市ペトロパブルロプスクカムチァツキに彼の会社があった. Kさんは使えなくなった船舶を切断して古鉄形態で作ってポスコなどに納品した. サハリン北東の方に位したカムチァカはアメリカ本土に向けた大陸間弾道ミサである這わあるなど戦略的要衝地だった. 軍事装備をたくさん扱った Kさんはロシア軍部人士と近く過ごした.
1997年ロシア国防省は彼の会社に大陸間弾道ミサである廃棄用役を任せた. 長さ 30m まわり 5mが過ぎる弾道ミサイルを 30cm 以下で細かく粉碎する事だったが固体燃料のため非常に危ない作業だったと言う. ミサイル残骸はロシア側が全量回収して太平洋など第3の場所にやきもちすることと知られた. 当時ロシアはアメリカと結んだ戦略武器減縮協定によってカムチァカ海岸に配置された一部弾道ミサイルを無くす事にした. 廃棄されるミサイルたちは元々ウクライナ基地でヨーロッパ全域をカバーしたが 1991年ウクライナが独立しながらカムチァカに移動配置されたのだった. 1956年アメリカより先に大陸間弾道ミサイルを開発したロシアは当時射程距離 5500km 以上の SS-18, SS-19, SS-25 位を保有していた.
Kさんはソウルで国政院要員たちに自分が引き受けた用役を説明したし, この時から国政院と彼は極秘プロジェクトを進行する. Kさんは国政院の取り持ちで専門家たちを連鎖接触した. 当時国政院側は弾道ミサイル模型を見せてくれて毀損を最小化して必ず確保しなければならない部位を知らせてくれた.
Kさんは 1997年夏都市真ん中にあるカムチァカ刑務所で弾道ミサイルを初めに見た. 胴が 3, 4個端くれで切られていたし, エンジンなど推進体部位は別途空間に保管されていた. 機密維持次元で刑務所一部を作業空間で利用していた. 当時カムチァカにはミサイル廃棄を確認するアメリカ監視要員もいた.
Kさんは正常方法ではミサイルを抜き取るのが不可能に見えたとしながらその頃ベトナムでも弾道ミサイルを密搬入しようとしたが摘発されてここに協調した海軍提督が首切りされた事件があったと言った.
Kさんもロシア軍部人士を活用する事にした. 廃棄作業を関与するミサ日記だ司令官(大領)と情報将校たちが主要接触対象だった. これらとよく交わったし小遣いも与えた. おかげさまで彼の会社車は刑務所出入りが自由になった.
プロジェクト進行状況が随時に国政院に伝達したし指示も伝われた. 国際担当局長とロシア課長に会って会議も開いた. 国政院幹部である妻男もそんなに遠いではないウラジオストックで Kさんの活動を支援した.
◆古鉄ダミーに隠して来た弾道ミサイル
1998年 ¥"作戦¥"が本格的に始まった. 彼は月明りない夜明けにだけ動いた. カムチァカ上空を随時に過ぎ去るアメリカとロシアの人工衛星を避けるためだ. 破鎖しない弾道ミサイル部品をトラックに積んで 12kmほど離れたブドッが野積場で運んだ. Kさん会社所有であるこの野積場には韓国に納品する数千tの古鉄が積もっていた. 彼は古鉄ダミーの間で弾道ミサイル部品を素早く隠した. こういうのを 10余回, 弾道ミサイル 1期にあたる部品が彼の会社野積場で移された. ¥"包攝¥"一余分の幹部たちには弾道ミサイルに使われた非鉄金属を韓国企業に八面お金がかなりなると繰り合わせた.
問題はエンジンなどがある推進体部位だった. この部品を持って行くと言えばいくら親しみいる余分の幹部だと言っても用途を疑うのが確かだった. それにウラジオストックに駐屯中のロシア極東艦隊司令部の保安部隊と FSB(KGBの後身)が Kさんの動線(動線)を見詰めていた. Kさんが総領事館所属韓国情報要員と接触する姿が目撃されたから.
Kさんはドルを準備した. ミサ日記だ司令官など 4人に皆 70万ドル(約 8億ウォン)を与えながらエンジンに対してこれ以上問わないでくれと言った. 当時 70万ドルは巨金だった. 部屋 3個のカムチァカアパート一軒が 6000ドル(約 700万ウォン) する時であった.
このようにしてエンジン 2個など弾道ミサイル 1期分量の核心部位が刑務所で野積場に運びされた. ここまで 6ヶ月がかかったし 1998年 6月頃だった. もうミサイルを韓国で移す順番だった. カムチァカ港を発つ荷船ごとにロシア情報要員が上船するなど次の作戦も難しいのは同じ.
Kさんは野積場に古鉄が皆集まるまで待った. 通常古鉄 1回船積み分量は 5000t 位になるのに羊をすべて満たす前に積んで去れば疑心を受けるからだった.
1998年 11月下旬出港が決まったし, 長さ 130m になるロシア船積み(船籍)の荷船を借りた. Kさん会社の専用波止場で船積みが始まった. 15階建物体積の古鉄 5000tを船に積むことにぶっ通しで五日がかかった. Kさんは古鉄ダミーに隠されたミサイル部品位置を目にしっかり盛っておいた. 韓国での迅速な荷役のためだった. ロシア情報要員たちが船積み作業を察しに来る度に胸がどんどんとときめいたが幸いに疑心を受けなかった.
いよいよ荷船錨が上がった. オホーツク海とサハリン南端を通った滲む東海に進入したし韓半島を回って一週間ぶりの 11月 30日午後仁川港に近付いた. 滲む無事に東国製鋼専用波止場に接岸した. Kさんは出港直後ウラジオストックに移動, 航空便を利用して韓国に入って来て船を待った.
◆作戦は皆三回
国政院も緊迫に動いた. 1961年国政院創設であると言う最大のプロジェクトが成事になる直前だった. 要員たちが遠い足元で息を殺して荷役作業を見守った. Kさんは弾道ミサイルが隠匿された部分と純粋古鉄部分を速かに分離荷役した. 三日ぶりに古鉄を皆解いておいた荷船が港を発った. 国政院は Kさんに弾道ミサイル部品を大田ハングウヨンまで直接運送してくれることを注文した. 国政院が ¥"品物¥"を引き継ぎ受ける場合周辺列強の監視衛星に見付かる恐れがあるからだと言った. 19tの大韓通運トラック 2台に弾道ミサイル部品がぎゅっと立ちこんだ. トラック 2台が京仁高速道路と京釜高速道路を経って大田を向けて全速力で走ったし, 国政院のヘリコプターが決まった距離を置いてトラックの後を追った. 4時間ぶりにトラックは大田隣近にある国政院建物に吸い込まれた. 1998年 12月 2日日の暮れる頃だった.
Kさんは忘れることができない瞬間だった. 盛大な自祝宴がつながったし国政院要員たちは空前絶後した快挙だと喜んだ. VIPにも作戦成功事実が直ちに報告されたことで分かると言った. 翌年 3月 13日当時李鍾賛国政院長は Kさんに感状を与えた. 特に国家安全保障に寄与した球が大きいという内容が書いていた.
Kさんと国政院のプロジェクトは以後二度もっと進行された. 2000年 12月 2日には弾道ミサイル詳細連結部品を持って来たし 2001年 11月 10日にはエンジン 3個とノズル連結部品を持ちこんだ. Kさんは国政院側は当時搬入した弾道ミサイルを修復して衛星開発に参考したことで分かると言った.
国政院はロシアの他の戦略武器も持って来て甘いと要求したが Kさんは応じなかったと言う. 彼は摘発されれば事業はさしおいて命まで危なげになるのに易しくすべきことではないじゃないかと言った.
Kさんは本業に専念したし社勢は栄えた. 古鉄収入と船舶切断事業外にも不動産開発及び旅行事業をした. カムチァカにホテル建立を推進するなど系列社 5個を置いた. Kさんはプロジェクトを成功して国政院で激励金 1万ドルをもらったが, あんまり事業がうまく行ったから国家のために働いたというところ満足したと言った. ロシアミサ日記だ司令官などはわいろを受けていくら後皆全域して故郷に帰ったと言う.
◆突発状況とそっぽを向く政府
そのように 6年が経った. 問題は 2007年 4月開かれた. Kさんがソウルに来て行ってウラジオストック空港に帰るのに入国が禁止されたこと. 当時ロシア極東司令部高位関係者に経緯を聞いて見たらスパとテロリスト疑いを受けているようだという話を聞いた. Kさんは系列社で置いた法務法人を通じて自体の調査に乗り出した. 韓国情報機関に協力する企業人で撮れて 5年間入国と事業行為が禁止されたことに把握された. 幸いにロシア側は弾道ミサイルプロジェクトが分からないようだった. 当時極東一帯で韓・ロシアの間に深刻な外交葛藤があったがその過程で Kさんが流れ弾(流弾)を当たったことだという解釈も出た.
彼は困り果てられた. 大部分の財産がロシアにあったから. 国政院に助けを要請すると私たちが出ればもっと誤解を受けると難色を示した. 外交通商部を尋ねたが自分の言葉をグィダムアドッヌン職員はただ一人もいなかったと言う. ロシア情報局幹部からモスクワ駐在韓国大使館でロシア外交国で公文書を送れば入国禁止が易しく解けることができるという暗示を受けたが, 外交部の入り口は高いだけだった. 国民の請願室職員たちは内容を具体的に言わなければ上級者に会うことができないという話を繰り返した. それでも末端職員に極秘事項を公開することもできないことだった.
彼は早い時間内にロシアに帰って 200億ウォンほどになる資産を処分したかったが, 現地職員月給だけ減らす時間が続いた. 国内金融機関では資金圧迫が始まった.
彼は 2009年 12月 28日青瓦台申聞鼓に正式請願を入れた. 弾道ミサイルプロジェクトを言及しながら入国禁止を緩めてくれと言ってした. しかし請願は法務省に移行されてから, 一週間後国民権益委員会で移ったし, また大統領外交安保首席室, 外交通商部に再割当された. 請願はピンポン・ボールのように来て行ったのを繰り返したし政府は担当部処がどこかも知れなかった. 最後に請願が割当された国政院ではインターネットサイトに ¥"処理完了¥"というメッセージが見えていた.
彼はかんしゃくが裂けて国政院に抗議したら請願担当職員が詳しく説明して見なさいと要求するなど 2年間外交部で経験した事がそのまま繰り返されたと私の身分と請願受付番号を知らせてくれて返事を待ったが反応がなかったしその後からは電話さえ受けなかったと言った.
彼は最近国政院で通報を受けた. 入国禁止措置が弾道ミサイル搬入と無関係なことと見えて国政院で実質的に手伝ってくれる方法がなくてその担当部処も外交部というのだった. Kさんがロシアに入って行く事ができないか 4年目, 最近彼の財産は現地銀行と競争業者に差し押えされたと言う.
彼は今年初だけでも状況が変わることができたとしながら命を捧げて働いてからも国家で捨てられる私のような国民がもっと出なければ良いと言った.
アメリカ人記者が分析する DJ 神話と偏見
[カン・フン記者 nukus@chosun.com]
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