慰安婦(いあんふ)とは、日中戦争、太平洋戦争、朝鮮戦争[1][2][3][4]、ベトナム戦争[5]及び韓米軍事合同訓練[6]並びにアメリカ軍[7][8][9][6]、連合国軍[10]及び国連軍[8]の駐留時などに、
当時の戦地、訓練地、駐留アメリカ軍基地周辺の基地村[6][11]などに設置された慰安所と呼ばれた施設で
日本軍、韓国軍[1][2][9][6]、アメリカ軍[8][9][6]及び国連軍[8]の軍人・軍属に対して、性的サービスを行っていた女性の総称。
慰安所営業者の半数は朝鮮人であり[22]、日本軍は誇大広告を禁止するとともに渡航する女性が本人自ら警察署で身分証明書の発給を受けて誘拐でないことを確認するよう通達を出し[23]、朝鮮では日本の官憲が日本人や朝鮮人の女性を誘拐して売買をおこなったものを取り締まっていたが[24]、河野談話以降は海外から「日本政府が数十万人の女性を強制連行して性奴隷にした」として非難され、日本国内では女性の人権などの観点をめぐって様々な議論となっている。
一方で、元慰安婦を名乗る韓国人女性たちの証言については矛盾点が多々あるため、実際に慰安婦だったか疑わしいとの指摘もある。
韓国のケースでは韓国政府やアメリカ政府による強制があったとされている[25][1][2][26]。朝鮮戦争中に韓国軍に逮捕された北朝鮮人女性は強制的に慰安婦にされることもあった[4]。さらに韓国軍の北派工作員は北朝鮮で拉致と強姦により慰安婦をおいていた[2]。
少なくとも1980年代までは韓国人女性達はアメリカ軍相手の売春を韓国政府やアメリカ人により強制されていた[25]。
韓国人女性達への強制が終わると、ロシア人女性やフィリピン人女性達が代わりとなった[10]。
1990年代以降の韓国では、アメリカ軍基地の近くで韓国人業者によりフィリピン人女性達が売春を強制されている[27][28]。
1990年代中ごろから2002年までに5000人のロシア人やフィリピン人女性達が密入国させられた上で売春を強制させられていた[27][29]。
2000年代の韓国では、韓国軍相手の女性達の90%がロシア人やフィリピン人女性などの外国人であるとされている[26]。
2009年現在のアメリカ軍基地近接地で売春を強制させられている女性に占めるロシア人女性の比率は減少しているがフィリピン人女性の比率は増加している[28]。なお、韓国では売春は違法行為である[30]。
韓国軍・アメリカ軍慰安婦
- 韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』によると韓国軍慰安婦は1952年における4小隊に限ったケースだけでも89人の慰安婦が204,560回の行為を行わされていたとされる[1][2]。総数は不明である。
- 1955年のソウル市警察局によると米軍相手の性売買女性は61,833名であった[10]。
- 1962年の韓国ではアメリカ兵相手の慰安婦として2万名以上が登録されていた[9]。
- ベトナム戦争末期にはベトナムでは30万人から50万人であった[5]。アメリカ陸軍第1師団第3旅団(将兵4000名)ではベトナム女性60人が住み込みで相手した[5]。
朝鮮半島で跋扈していた悪徳業者によって100名を超える婦女子が売り飛ばされた事件の捜査を報じる1939年8月31日付東亜日報
1983年に吉田清治が済州島で「慰安婦狩り」を自ら行ったとする「私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行」を出版[12]。
1989年に韓国でも出版され、同年中に済州島新聞[13]や済州島郷土史家の金奉玉によって虚偽であることが判明した[12][9]が、「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会」事務局長青柳敦子と在日朝鮮人宋斗会が韓国で謝罪と補償を求める訴訟の原告を募い[14][12]、吉田は韓国に渡り、謝罪碑建立と謝罪活動を始めた[12]。
1992年、朝日新聞や韓国メディアは宮沢喜一首相の訪韓を前にして、吉田の証言や韓国謝罪行脚を連日掲載し、宮沢の訪韓はデモ隊が待ち受けるなかで行われた[12]。
宮沢は事実関係の調査を経ることなく[14]何度も謝罪の発言を行った[14][12]。同年、日本の歴史家秦郁彦による現地調査でも強制連行が虚偽であることが確認された[12]。
1993年、韓国政府は日本政府に日本の教科書に慰安婦について記述するよう要求し[12]、全ての高校教科書に従軍慰安婦として記載されることとなった[12]。
同年、日本政府は韓国政府に強制性を認めるよう要求され、関係資料を調査した結果、「強制連行を行ったという資料は発見されなかった」「日本政府が強制したということは認めたわけではない」が[15][16]、河野洋平内閣官房長官の政治決断によって、「日常生活に強制性が見られた」と解釈することで[15]、日本軍の要請を受けた業者によって女性が意志に反して集められ、官憲が直接加担したこともあったとする河野談話が発表され[17]、現在にいたるまで深刻な外交・教育問題となるようになった(河野談話が国内外から出される対日非難決議の根拠とされることとなる[18][19][16])[14]。1994年には永野茂門法務大臣が「慰安婦は公娼である」と述べたことで辞任に追い込まれた[12]。
吉田は自著の虚偽を指摘された後も韓国での謝罪行脚や朝日新聞での証言を続けていたが、1995年に「自分の役目は終わった」として著書が自身の創作であったことを認め[12]、朝日新聞は1997年に「吉田証言の真偽は確認できない」との記事を掲載した[12]。
日本軍を相手にしていた慰安婦は最新ファッションに身を包んで

韓国軍兵士に拉致されてアメリカ兵の相手をされられた韓国軍従軍慰安婦

「クリスマス休暇はとくに酷く、慰安所に兵士が殺到して言うことをきかなければ電気ショックの拷問を受けました」(慰安婦談)
・・・日本にクリスマス休暇は無かった。戦後ずっとあとに出来たクリスマス習慣。