上海で暗殺された朝鮮開化派、独立党の志士金玉均の事件があった。
遺体は清国軍艦咸靖号で本国朝鮮に運ばれ凌遅刑に処された。その遺体はバラバラにされ、
胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で曝された。

「こうした残酷無比な国とは、ともに行動できないではないか」という嫌悪感と拒否感が『脱亜論』の骨子となっている
朝鮮人とは行動をともに出来ないと言う意味です
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金玉均の遺髪と衣服の一部は
金玉均を敬愛していた日本人和田延次郎が密かに日本に持ち帰り、
葬儀を浅草寺で営んだ。
さらに、犬養毅らの支援で東京の青山霊園の外人墓地に墓が建てられた。