A-26
1号機は昭和19(1944)年7月、新京-ハルピン-白城子を結ぶ一周865kmの三角コースを19周し16435kmの世界周回航続距離記録を樹立した。
当時大戦中であったため公認はされていない。
滞空時間は57時間12分で、800リットルの燃料を残していたと言われる。
2号機は昭和18(1943)年6月30日、福生を出発し、シンガポールで給油して長駆ドイツに向かったが行方不明となった。
インド洋上空で待ちかまえていた敵機に食われたものと思われる。
この飛行には昭和12(1937)年に東京・ロンドン間を94時間あまりで飛んで世界を驚かせた朝日新聞社の「神風」の機関士として有名であった塚越賢爾が永田機関士とともに乗り組んでいた。
この飛行は「セ号飛行」と呼ばれていた。

飛行機開発の技術は世界屈指だったんだよね。
敗戦により、現在まで停滞中。
こればかりは惜しいと思うね。