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日中戦争は中国が起こした

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蒋介石はなぜ終戦後に対日賠償金請求を放棄したのか? 

それは日中戦争は中国側から戦争を仕掛けたことが明らかだったからだ。 



●ナチスドイツは友好国ではなかったのだ!

 日独防共協定 (S11/11/25)成立後の盧溝橋事件(S12/7/7)、第二次上海事変(S12/8/13~11/30)においてドイツ軍事顧問団は、単なる軍事顧問ではなく、兵器の供給、作戦の立案から訓練、防御陣地の構築まで国民党軍を指導し、戦闘を指導し続けた。更に日本軍との戦闘に参加、戦死者までだしている。

ドイツ製の最新兵器で武装し、顧問団に訓練を受けた国民党軍精鋭部隊は手ごわく、第二次上海事変では日本軍は旅順攻略に匹敵する戦死傷者41,924名(旅順攻略戦59,408名)を出したのである。
同盟通信の松本重治上海支社長は月刊誌「改造」に「上海の戦いは日独戦争である」と書いていた。

 上海戦終結後も止まることの無いナチス独逸の二股外交、中国支援は続き、昭和12年11月 6日、日独伊三国同盟締結は、なんと上海戦の最中であった!
日独伊三国同盟軍事にもかかわらず、驚く事に日本軍の南京入城時(S12/12/13)国民党軍を指導していたのはドイツ軍事顧問団だったのである。


 ドイツ軍事顧問団は日独伊三国同盟を推進したリッペンドロップが外相に就任し、昭和13年7月5日副総裁へスの再三の命令で漸く顧問団29名が引き上げる最後の日まで、戦争を指導し続けたのであった。それでも元ナチ突撃隊員シュテネン大尉など残った者までいた。
南京大虐殺のと呼ばれるプロパガンダ事件において、日本軍が残虐行為を行ったと証言するジョン・ラーベは、日本の同盟国としての独逸の実業家として、日本軍の虐殺行為の中立的証言者であるかのような、虐殺肯定派は重宝がっているのだが。

ドイツは同盟国でも、中立国でもなく、日本と実質的に戦闘を行った中国軍のドイツ軍事顧問団側の証言である。
しかも、中国国民党軍を大得意客とする武器商人のシーメンス社の社員であり、南京ではナチス党員であることを公言していたことを考慮すると、ラーべの証言は客観性にかける偽証である可能性が高い。

 なぜ、同盟国ドイツの民間人が同盟国である日本を貶める偽証をしたのか永年疑問であった。
信長を除いて伝統的に虐殺を行わなかった日本の軍隊、当時の皇軍の規律を考えれば、虐殺は考えにくかったのだが、同盟国ドイツ人が証言したということは、皇軍が南京で市街戦を予防する為に便衣隊を処刑したことを誤解していたのではないかと思われていた。
中国側のプロパガンダほどではないにしても、虐殺が行われ たのではないかという疑問を持っていた。
しかし、本書を読むことで漸く納得でき、永年のつかえが取れた。
ただ、戦争なので便衣隊と誤認さ れた一般市民も処刑された可能性は否定しない。

 上海戦の国民党軍85万人のうち皇軍に旅順以来の多大な犠牲が出てはいたが、国民党軍85万人の うち戦死傷者333,500名と、精鋭部隊を致命的壊滅状態にまで追い込んだ日本軍の強さは異常であり、鉄壁の防御陣地を構築し、軍事訓練を重ねた独逸軍事顧問団ファルケンファウゼン将軍のプライドは踏みにじられた。
彼らが執拗に同盟国の日本軍攻撃にこだわったのか、単なる経済的理由だけではなかったこと が、容易に想像つく。

 第一次世界大戦は日英同盟であった為、日本はドイツに宣戦し植民地としていた青島を攻めた。
ベルサイユ条約でドイツの持っていた権益である南洋諸島、チンタオ山東省を日本が奪取した。
独逸にとってアジア=中国であり、日本=敵対国家であり続けたのである。

 日本を引き込み、長期戦に持ち込む ドイツ顧問団は日本軍との戦いも指導することになる。
 昭和七(1932)年1月、第一次上海事変が勃発した。
戦いの後半、中国軍はヴェッツェル中将ら軍事顧問団が訓練していた第87師と第88師を投入してき た。
直接ではないけれど、これが日本軍との戦いにドイツ顧問団がかかわった初めである。
昭和八年三月、日本の熱河作戦は万里の長城を挟んだ戦いとなった。
このときヴェッツェル中将は中国軍の指揮を執った。

 ヴェッツェル中将がかかわったのは戦術だけであったが、続くゼークト大将とファルケンハウゼン中将は戦争指導にまでかかわるようになっていた。
しかも、対日敵視政策、対日強硬策を自ら進言しだしたのだ。


「日本に対して中国が強くなるためには武器も必要であろうし、飛行機も必要であろう。けれども自分がドイツにおける国防軍を編制し、国防軍を動かした経験から するならば、今最も中国がやらねばならぬことは、中国の軍隊に対して日本に対する敵愾心を養うことだ」中国軍の強化策を蒋介石から問われたゼークトはこのように答えた。

この考えは、蒋介石だけでなく中国の軍人の思想を貫き、それが核となり、やがて中国人全体の反日感情となっていった。
このころファルケンハウゼンは、北支での戦いを主な対日戦と考えており、中国軍が近代戦に適応できないことを認めると共に、長期戦に持ちこむためには中国政府の抗日姿勢が大切だ、と説いている。

 1935年10月1日には、漢口と上海にある租界の日本軍を奇襲して主導権を握るように進言していた。
漢口と上海の租界では日本の海軍特別陸戦隊が邦人の保護のため駐屯しており、この日本軍を奇襲しようというのである。
日独防共協定締結の約一年前にドイツ人が中国にこの様に献策していたのだ。
ファルケンハウゼンは中国の敵を、日本が第一、共産党を第二と考え、日本軍を叩く過程において中国軍が勝利を収めていけば共産党を消滅させえると予測していた。

昭和11年(1936)4月1日になると、今こそ対日戦に踏み切るべきだ、と蒋介石に進言する。
「ヨーロッパに第二次世界大戦の火の手が上がって英米の手がふさがらないうちに、対日戦争に踏み切るべきだ」

●蘆溝橋開戦説そのものが中国の宣伝

 蘆溝橋で最初の一発をどちらが撃ったのか、という「敵」の設けた論点に、日本の現代史家は夢中になっている。

1937年7月の蘆溝橋事件が支那事変の始まりである、と言い始めたのは蒋介石の宣伝チームであった。

1941年に日本が米国に対して動員先制開戦し、その後、米国が同盟者となった蒋介石の宣伝に同意したことで、これが定説になる。

 蘆溝橋の衝突とは、よくある国境警備隊同士の銃撃戦にすぎない。

日支両軍に「動員先制開戦」の痕跡はない。

このような小競り合いは、今日も世界中の国境で起きている群小イベントである。

パリ不戦条約は、国境警備軍同士の衝突を「戦争」だとは想定していないのだ。

 1937年の侵略者も、8月13日にドイツ軍事顧問団が書いた開戦プログラムに基づいて数十万の将兵を動員・展開して上海の日本租界を殲滅するための一斉攻撃を仕掛けた蒋介石のシナ正規軍に他ならない。

支那事変はこの8月13日から始まる。

やはり上海に租界を維持し、シナ空軍の盲爆によって13日に死者を出している米国も、この事態を正確に知っていた。

ただし彼らは、極東での トラブルに巻き込まれる面倒を厭い、わざわざ日本人の肩を持つようなマネもしなかった。

だからその国際宣伝は、一義的にまず日本政府自身がせねばならない仕事であった。

ところが日本政府はそこでほとんど「宣伝責任」を果たさなかったのである。

 日本政府は、無法な侵略に反応して内地から邦人救出のための部隊を急派し、杭州湾に上陸し、血に飢えた侵略軍を撃退し、南京まで追いかけて蒋介石を膺懲せんとした。

 このとき派遣軍の参謀たちが、捕虜にしたシナ兵を裁判によらずに銃殺することを部隊に敢えて禁じなかった。

そして戦後に、1万人以上の便衣のシナ兵捕虜を銃 殺した責任を、すべて末端の兵隊に転嫁した。

南京郊外において日本軍内の予備役兵の素質が悪いためにハーグ条約が広範に破られたのだというストーリーは、 B級戦犯の訴追および刑死から免れたい当時の参謀たちには都合がよいが、その卑劣な責任逃れの言説が、「南京市内で民間人30万人が殺された」とするシナ 発の捏造宣伝のうらづけ材料として利用されることになった。

そして米国人も、広島と長崎への原爆投下が明瞭なハーグ条約違反たることを内心認めるがゆえに、広島と長崎の合計死者を確実に上回るハーグ条約違反の民間人殺人を日本が南京でしでかしていた とするシナの宣伝を、大いに歓迎するわけである。

 事変勃発直後における、外相(元首相)の広田弘毅の国際宣伝上の大きなしくじりは、 日本軍が上海戦線からの追撃戦を成功裡に遂行しているさなかに、蒋介石に講和を呼びかけたことだ。

勝っている側、それも侵略を撃退しつつある正義の陣営 が、凶悪な犯罪者(上海の日本人の大虐殺を企図していたことは疑いもない)に向かって講和を呼びかけるなど、近代外交の常識ではあり得べからざることだろ う。

広田は受験エリートでキャリア外交官だったが、近代精神は有していなかった。

そしてシナ式の、正邪を捨象する信じられないスタンドプレーに走ったので ある。

しかしこれを聞いた世界では、当然のことであるが、今次事変に関し、日本が何か重大な後ろ暗い負い目があるのに相違ないと信ずることになった。

 また、侵略軍隊の壊滅後、とうとう蒋介石の方から停戦講和を願ってきたときに、時の首相の近衛文麿は、「居留民の保護」ならび に「侵略者膺懲」という大目的を達成していたにもかかわらず、理由もなくこれを拒絶した。

爾来、支那事変は泥沼化し、あたかも日本がシナ全土の征服を執拗に進めているかのような「外形」を生じた。

 1948年にA級戦犯として死刑になった7人のうち、文民の広田、そして軍人の土肥原、松井、板垣の計4名は、1937年に蒋介石に恥をかかせ、また8月13日の「蒋介石の侵略」をよく知っていた者として、蒋介石からの特別な死刑要求によって東京裁判で訴追リストに加えられた冤罪者である。

蒋介石は、この4名を吊るし首にすることで、自分が侵略者であった過去を戦後世界の「正史」の上 で永久に否定できると思ったのだ。


ドイツ軍事顧問団によって訓練されドイツの最新鋭の兵器で武装していた中国軍


(私のコメント)
日中戦争が何時どのようにして始まったのかは、日本の歴史教科書でも盧溝橋事件からというのが定説になっています が、これは正しいのだろうか?

しかし盧溝橋事件は単なる偶発事件であり9日には停戦協議が成立している。

だから盧溝橋事件が日中戦争の始まりというのは 無理がある。

これ以降も25日の郎坊事件、26日の広安門事件を経て29日の通州事件など立て続けに起きているが、日本は不拡大方針で中国の挑発には乗らなかった。

日中戦争が始まったといえるのは8月13日の包囲していた中国軍と国際租界の日本海軍陸戦隊の交戦が始まりであり、わずか5000人足らずの海軍陸戦隊では 守りきれるものではなかった。

この作戦計画を立てたのはファルケンハウゼン中将らのドイツ軍事顧問団であり、上海疎開の周囲にはトーチカ陣地が築かれてい た。

これらのゼークトラインを築かせたのもドイツ軍事顧問団だ。

実態からすると日本とナチスドイツとの戦争であり実質的に戦争を指揮していたのはドイツ軍事顧問団だった。

中国軍兵士はドイツ製の最新兵器で武装された蒋介石の最精鋭部隊だった。

蒋介石から見れば攻撃を仕掛けて日本海軍陸戦隊が引き揚げてくれれば大勝利だし、日本から増援部隊を送り込んでくれば、トーチカとクリークによって防備が固 められた中国軍によって大損害を出して日本に大打撃を与える事ができると読んだのだろう。

実際に日本軍は4万人以上の戦死傷者を出して大損害を受けた。

しかし中国軍も85万の兵士が参加して33万人もの戦死傷者を出して中国の大敗北に終わった。

しかし日本を中国との全面戦争に引きずり込む 事には成功して、それが日米戦争にまで発展して行く。

まさに第二次上海事変が歴史の曲がり角であり、盧溝橋ではない。

もしあの時点で兵を引いていれば米国との戦争も避ける事が出来ただろう。

その点で近衛首相の責任は重い。

もし石原莞爾中将の言うように上海から日本人が全部引き揚げていたら困ったのは上海租界にいる欧米人たちだろう。

日中戦争が第二次上海事変から始まったとすれば、蒋介石が賠償を放棄したのは当たり前であり、蒋介石が徳を持って放棄したと言うのはプロパガンダだ。

賠償金を強引に要求すれば戦争を仕掛けたのは蒋介石の方だと言うことになりやぶ蛇になるおそれがあった。

85万もの兵士を動員するには直ぐに出来るものではなく先に動員をかけていたのは中国の方だ。

しかし戦後の日本の歴史教科書では中国共産党のプロパガンダをそのまま教えている。

NHKなどのマスコミも「アジアの一等国」の特番に見られるように中国共産とのプロパガンダをそのまま放送している。

日本の歴史学者たちはそれに迎合するか沈黙して、日中戦争は日本が仕掛けた事になってしまっている。

日本はコ ミンテルンやナチスドイツやルーズベルトの謀略に巻き込まれて嵌められたのだ。

日本の歴史教科書ではいずれも盧溝橋事件に関連付けて全面的な侵略戦争を始めたということを書いているが、全面戦争を始めたのは蒋介石の中国軍だ。

日本の歴史家はこの事をどうして主張しないのだろうか? 

最近では中国人の林思雲氏が大規模戦争は中国が始めたと指摘しているが、日本の歴史家や戦史家は思考が停止してしまったのだ。


学校の歴史教育で日中戦争は盧溝橋で始まったと教えているから、日本人は教科書に書かれている事が本当だと思い込んでしまう。

自分で考える 訓練がされていないから相手の言うペースに嵌められてしまう。

アメリカの教科書では広島長崎の原爆は戦争を早く終わらせる為だと教えているが、ならばなぜ朝鮮戦争やベトナム戦争で使用しなかったのか? 

原爆はもともと非人道的兵器でありジュネーブ条約でも禁止されている残虐な兵器であった。

日本がアメリカとの戦争を避けられないとするならば、1898年にアメリカ軍によって侵略されたハワイ王国解放戦争としてパールハーバーを攻撃したといったようなプロパガンダをなぜ打てないのだろうか? 

だまし討ちというのならハルノートをもって宣戦布告とみなしたとすればだまし討ちにはならない。

日本の外務省にはそのようなプロパガンダを打てる機関がない。

蒋介石は戦争では負け続けたがプロパガンダで勝利した。

プロパガンダにはプロパガンダで対抗するしか手はない。


<丶`∀´>長いので読めないニダが、ウリナラに有利な文意ニカ?

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중일 전쟁은 중국이 일으킨

장개석은 왜 종전 후에 대일 배상금 청구를 방폐했는가? 

그것은 중일 전쟁은 중국측으로부터 전쟁을 장치했던 것이 분명했기 때문에다. 



●나치스 독일은 우호국은 아니었던 것이다!

 일독 방공 협정 (S11/11/25) 성립후의 노구교 사건(S12/7/7), 제2차 상하이 사변(S12/8/13~11/30)에 대해 독일 군사 고문단은, 단순한 군사 고문이 아니고, 병기의 공급, 작전의 입안으로부터 훈련, 방어 진지의 구축까지 국민당군을 지도해, 전투를 계속 지도했다.더욱 일본군과의 전투에 참가, 전사자까지이고라고 있다.

독일제의 최신 병기로 무장해, 고문단에 훈련을 받은 국민당군정예 부대는 벅차고, 제2차 상하이 사변에서는 일본군은 뤼순 공략에 필적하는 전사 상처가 난 물건 41,924명(뤼순 공략전 59,408명)을 냈던 것이다.
동맹 통신의 마쓰모토 시게하루 샹하이 지사장은 월간지「개조」에「샹하이의 싸움은 일독 전쟁인」라고 쓰고 있었다.

 샹하이전 종결후도 멈추는 것이 없는 나치스 독일의 양다리 외교, 중국 지원은 계속 되어, 쇼와 12년 11월 6일, 일독이 삼국 동맹 체결은, 무려 샹하이전의 한중간이었다!
일독이 삼국 동맹 군사에도 불구하고, 놀라는 일에 일본군의 난징 입성시(S12/12/13) 국민당군을 지도하고 있던 것은 독일 군사 고문단이었던 것이다.


 독일군사 고문단은 일독이 삼국 동맹을 추진한 립펜드롭이 외상으로 취임해, 쇼와 13년 7월 5일 부총재에게 스의 재삼의 명령으로 점구고문단 29명이 끌어올리는 마지막 날까지, 전쟁을 계속 지도한 것 에서 만났다.그런데도 원나치 돌격 대원 슈테넨 대위등 남은 사람까지 있었다.
난징대학살의 것으로 불리는 선전 사건에 대하고, 일본군이 잔학행위를 실시했다고 증언하는 존・라베는, 일본의 동맹국으로서의 독일의 실업가로서 일본군의 학살 행위의 중립적 증언자일 것 같은, 학살 긍정파는 귀중한 보물이는 있지만.

독일은 동맹국에서도, 중립국도 아니고, 일본과 실질적으로 전투를 실시한 중국군의 독일 군사 고문단측의 증언이다.
게다가, 중국 국민당군을 대단골 손님으로 하는 무기 상인의 시에멘스사의 사원이며, 난징에서는 나치스 당원인 것을 공언하고 있던 것을 고려하면, 라의 증언은 객관성에 걸치는 위증일 가능성이 높다.

 왜, 동맹국 독일의 민간인이 동맹국인 일본을 깍아 내리는 위증을 했는지 오랫동안 의문이었다.
노부나가를 제외해 전통적으로 학살을 실시하지 않았던 일본의 군대, 당시의 황군의 규율을 생각하면, 학살은 생각하기 어려웠지만, 동맹국 독일인이 증언했다고 하는 것은, 황군이 난징에서 시가전을 예방하기 위해 변의대를 처형한 것을 오해하고 있던 것은 아닐까 생각되고 있었다.
중국측의 선전만큼은 아닌다고 해도, 학살을 해 것은 아닐것인가 라고 하는 의문을 가지고 있었다.
그러나, 본서를 읽는 것으로 점구납득할 수 있고 나가토시가 시중들어가 잡혔다.
단지, 전쟁이므로 변의대와 오인함 일반 시민도 처형된 가능성은 부정하지 않는다.

 샹하이전의 국민당군 85만명 중 황군에게 뤼순 이래의 다대한 희생이 나오고는 있었지만, 국민당군 85만명의 집전사 상처가 난 물건 333,500명으로 정예 부대를 치명적 괴멸 상태에까지 몰아넣은 일본군의 힘은 비정상이고, 철벽의 방어 진지를 구축해, 군사 훈련을 거듭한 독일 군사 고문단 파르켄파우젠 장군의 프라이드는 유린해졌다.
그들이 집요하게 동맹국의 일본군공격에 집착했는지, 단순한 경제적 이유 만이 아니었던 것 하지만, 용이하게 상상 붙는다.

 제1차 세계 대전은 영일 동맹인 때문, 일본은 독일에 선전해 식민지로 하고 있던 아오시마를 공격했다.
베르사이유 조약으로 독일이 가지고 있던 권익인 남양 제도, 틴타오 산둥성을 일본이 탈취했다.
독일에 있어서 아시아=중국이며, 일본=적대 국가로 계속 되었던 것이다.

 일본을 끌어 들여, 장기전에 반입하는 독일 고문단은 일본군과의 싸움도 지도하게 된다.
 쇼와7(1932) 년 1월, 제1차 상하이 사변이 발발했다.
싸움의 후반, 중국군은 베트르 중장등 군사 고문단이 훈련하고 있던 제87사와 제88사를 투입해 나무 .
직접은 아니지만, 이것이 일본군과의 싸움에 독일 고문단이 관계된 처음이다.
쇼와8년 3월, 일본의 넷카 작전은 만리장성을 사이에 둔 싸움이 되었다.
이 때 베트르 중장은 중국군의 지휘를 맡았다.

 베트르 중장이 관계된 것은 전술 뿐이었지만, 계속 되는 제이크트 대장과 파르켄하우젠 중장은 전쟁 지도에까지 관계되게 되어 있었다.
게다가, 대일 적대시 정책, 대일 강경책을 스스로 진언 하기 시작했던 것이다.


「일본에 대해서 중국이 강해지기 위해서는 무기도 필요하겠지 해, 비행기도 필요하겠지.그러나 자신이 독일에 있어서의 국방군을 편제 해, 국방군을 움직인 경험으로부터 한다면, 지금 가장 중국이 하지 않으면 되지 않는 (일)것은, 중국의 군대에 대해서 일본에 대한 적개심을 기르는 것이다」중국군의 강화책을 장개석으로부터 추궁 당한 제이크트는 이와 같이 대답했다.

이 생각은, 장개석 뿐만이 아니라 중국의 군인의 사상을 관철해, 그것이 핵이 되어, 이윽고 중국인 전체의 반일 감정이 되어 갔다.
요즘 파르켄하우젠은, 북지로의 싸움을 주된 대일전으로 생각하고 있어 중국군이 근대전에 적응할 수 없는 것을 인정함과 동시에, 장기전에 가지고 오기 위해서는 중국 정부의 항일 자세가 중요하다, 라고 말하고 있다.

 1935년 10월 1일에는, 한구와 샹하이에 있는 조계의 일본군을 기습하고 주도권을 잡도록(듯이) 진언 하고 있었다.
한구와 샹하이의 조계에서는 일본의 해군 특별 육전대가 해외주재 일본인의 보호를 위해 주둔 하고 있어, 이 일본군을 기습하자고 하는 것이다.
일독 방공 협정 체결의 약일년전에 독일인이 중국에 이와 같게 헌책하고 있었던 것이다.
파르켄하우젠은 중국의 적을, 일본이 제일, 공산당을 제2라고 생각해 일본군을 두드리는 과정에 대하고 중국군이 승리를 거두어 가면 공산당을 소멸시킬 수 있다고 예측하고 있었다.

쇼와 11년(1936) 4월 1일이 되면, 이제야말로 대일전을 단행해야 한다, 라고 장개석에게 진언 한다.
「유럽에 제이차 세계대전의 불길이 올라 영미의 손이 차기 전에, 대일 전쟁을 단행해야 한다 」

●노구교개전설 그 자체가 중국의 선전

 노구교로 최초의 일발을 어느 쪽이 공격했는지, 라고 하는「적」가 마련한 논점에, 일본의 현대사가는 푹 빠져 있다.

1937년 7월의 노구교사건이 중일전쟁의 시작이다, 라고 말하기 시작한 것은 장개석의 선전 팀이었다.

1941년에 일본이 미국에 대해서 동원 선제 개전 해, 그 후, 미국이 동맹자가 된 장개석의 선전으로 동의 한 것으로, 이것이 정설이 된다.

 노구교의 충돌이란, 자주 있는 국경 경비대끼리의 총격전에 지나지 않는다.

일지양군에「동원 선제 개전」의 흔적은 없다.

이러한 소규모 전투는, 오늘도 온 세상의 국경에서 일어나고 있는 군소 이벤트이다.

파리 부전 조약은, 국경 경비군끼리의 충돌을「전쟁」라고는 상정하고 있지 않는 것이다.

 1937년의 침략자도, 8월 13일에 독일 군사 고문단이 쓴 개전 프로그램에 근거해 수십만의 장병을 동원・전개해 샹하이의 일본 조계를 섬멸하기 위한 일제 공격을 건 장개석의 세멘시나 정규군과 다름없다.

중일전쟁은 이 8월 13일부터 시작된다.

역시 샹하이에 조계를 유지해, 세멘시나 공군의 맹폭에 의해서 13일에 사망자를 내고 있는 미국도, 이 사태를 정확하게 알고 있었다.

다만 그들은, 극동에서의 트러블에 말려 들어가는 귀찮음을 싫어해, 일부러 일본인이 편을 듣는 흉내도 하지 않았다.

그러니까 그 국제 선전은, 일의적으로 우선 일본 정부 자신이하지 않으면 안 되는 일이었다.

그런데 일본 정부는 거기서 거의「선전 책임」를 완수하지 않았던 것이다.

 일본 정부는, 무법인 침략에 반응해 내지로부터 해외주재 일본인 구출을 위한 부대를 급파해, 항주만에 상륙해, 피에 굶은 침략군을 격퇴해, 난징까지 뒤쫓아 장개석을 응징 천도했다.

 이 때 파견군의 참모들이, 포로로 한 세멘시나병을 재판에 의하지 않고 총살하는 것을 부대에 감히 금지하지 않았다.

그리고 전후에, 1만명 이상의 변의의 세멘시나병 포로를 총 죽인 책임을, 모두 말단의 군인에게 전가했다.

난징 교외에 있어 일본군내의 예비역병의 소질이 나쁘기 위해(때문에) 헤이그 조약이 광범위하게 찢어졌던 것이라고 하는 스토리는, B급 전범의 소추 및 형사로부터 면하고 싶은 당시의 참모들에게는 형편이 좋지만, 그 비열한 책임 피하기의 언설이, 「남경시내에서 민간인 30만명이 살해당한」로 하는 세멘시나 발의 날조 선전의 뒷받침 재료로서 이용되게 되었다.

그리고 미국인도, 히로시마와 나가사키에의 원폭 투하가 명료한 헤이그 조약 위반인 일을 내심 인정하기 때문에, 히로시마와 나가사키의 합계 사망자를 확실히 웃도는 헤이그 조약 위반의 민간인 살인을 일본이 난징에서 저지르고 있었다 (으)로 하는 세멘시나의 선전을, 많이 환영하는 것으로 있다.

 사변 발발 직후에 있어서의, 외상(전 수상)의 히로타 고키의 국제 선전상의 대나무 없음구사리는, 일본군이 샹하이 전선으로부터의 추격전을 성공리에 수행하고 있기 한창일 때에, 장개석에게 강화를 호소한 것이다.

이기고 있는 측, 그것도 침략을 격퇴하고 있는 정의의 진영 하지만, 흉악한 범죄자(샹하이의 일본인의 대학살을 기도 하고 있던 것은 혐의도 없다)를 향하고 강화를 호소하는 등, 근대 외교의 상식이어 이득로부터 바구니 일이겠지 .

히로타는 수험 엘리트로 캐리어 외교관이었지만, 근대 정신은 가지지 않았었다.

그리고 세멘시나식의, 정사를 추상 하는 믿을 수 없는 스탠드프레이에 달렸으므로 있다.

그러나 이것을 (들)물은 세계에서는, 당연한 일이지만, 이번 사변에 관해, 일본이 무엇인가 중대한 떳떳치 못한 빚이 있는데 상위 없으면 믿게 되었다.

 또, 침략 군대의 괴멸 후, 드디어 장개석으로부터 정전 강화를 바라 왔을 때에, 때의 수상의 고노에 후미마로는, 「거류민의 보호」대열 에「침략자 응징」라고 하는 오메적을 달성하고 있었음에도 불구하고, 이유도 없게 이것을 거절했다.

그 이후, 중일전쟁은 수렁화해, 마치 일본이 세멘시나 전 국토의 정복을 집요하게 진행하고 있는 것 같은「외형」를 일으켰다.

 1948년에 A급 전범으로서 사형이 된 7명 가운데, 문민 히로타, 그리고 군인 도이 하라, 마츠이, 판자 울타리의 합계 4명은, 1937년에 장개석에게 창피를 주어 또 8월 13일의「장개석의 침략」를 잘 알고 있던 사람으로서 장개석으로부터의 특별한 사형 요구에 의해서 도쿄 재판으로 소추 리스트에 더해진 원죄자이다.

장개석은, 이 4명을 매달고 걱정하는 것으로, 자신이 침략자인 과거를 전후 세계의「마사시」의 위 그리고 영구히 부정할 수 있다고 생각했던 것이다.


독일 군사 고문단에 의해서 훈련되어 독일의 최신예의 병기로 무장하고 있던 중국군


( 나의 코멘트)
중일 전쟁이 몇 시 어떻게 해서 시작되었는지는, 일본의 역사 교과서에서도 노구교 사건으로부터라고 하는 것이 정설이 되어 있습니다 하지만, 이것은 올바른 것일까?

그러나 노구교 사건은 단순한 우발사건이며 9일에는 정전 협의가 성립하고 있다.

그러니까 노구교 사건이 중일 전쟁의 시작이라고 하는 것은 무리가 있다.

이 이후도 25일의 낭방사건, 26일의 히로야스문사건을 거쳐 29일의 쓰슈사건등 연달아 일어나고 있지만, 일본은 불확대 방침으로 중국의 도발에는 타지 않았다.

중일 전쟁이 시작되었다고 말할 수 있는 것은 8월 13일의 포위하고 있던 중국군과 국제 조계의 일본해군육전대의 교전이 시작이며, 불과 5000명 안 되는 해군 육전대에서는 끝까지 지킬 수 있는 것은 아니었다.

이 작전계획을 세운 것은 파르켄하우젠 중장등의 독일 군사 고문단이며, 샹하이 피난의 주위에는 토치카 진지가 쌓아 올려지고 있어 .

이러한 제이크트라인을 쌓아 올리게 했던 것도 독일 군사 고문단이다.

실태로부터 하면 일본과 나치스 독일과의 전쟁이며 실질적으로 전쟁을 지휘하고 있던 것은 독일 군사 고문단이었다.

중국군 병사는 독일제의 최신 병기로 무장된 장개석의 최정예 부대였다.

장개석으로부터 보면 공격을 걸어 일본해군육전대가 돌아와 준다면 대승리이고, 일본으로부터 증원 부대를 보내 오면, 토치카와 크리크에 의해서 방비가 고 중국군에 의해서 대손해를 내 일본에 대타격을 줄 수가 있다고 읽었을 것이다.

실제로 일본군은 4만명 이상의 전사 상처가 난 물건을 내 대손해를 받았다.

그러나 중국군도 85만의 병사가 참가해 33만명의 전사 상처가 난 물건을 내 중국의 대패북으로 끝났다.

그러나 일본을 중국과의 전면 전쟁에 질질 끌어 들인다 일에는 성공하고, 그것이 일·미 전쟁에까지 발전해 간다.

확실히 제2차 상하이 사변이 역사의 (*분기점)모퉁이이며, 노구교는 아니다.

만약 그 시점에서 군사를 끌어들이고 있으면 미국과의 전쟁도 피할 수가 있었을 것이다.

그 점에서 근위 수상의 책임은 무겁다.

만약 이시하라 간지 중장이 말하도록(듯이) 샹하이로부터 일본인이 전부 돌아오고 있으면 곤란한 것은 샹하이 조계에 있는 구미 사람들일 것이다.

중일 전쟁이 제2차 상하이 사변으로부터 시작되었다고 하면, 장개석이 배상을 방폐한 것은 당연하고, 장개석이 덕을 가져 방폐했다고 하는 것은 선전이다.

배상금을 억지로 요구하면 전쟁을 장치한 것은 장개석의 분이라고 하는 것에 뱀이 될 우려가 있었다.

85만의 병사를 동원하려면 곧바로 할 수 있는 것은 아니고 먼저 동원을 걸치고 있던 것은 중국쪽이다.

그러나 전후의 일본의 역사 교과서에서는 중국 공산당의 선전을 그대로 가르치고 있다.

NHK등의 매스컴도「아시아의 일등국」의 특별프로로 보여지도록(듯이) 중국 공산과의 선전을 그대로 방송하고 있다.

일본의 역사학자들은 거기에 영합 하든가 침묵하고, 중일 전쟁은 일본이 건 일이 되어 버리고 있다.

일본은 코 민테룬이나 나치스 독일이나 루즈벨트의 모략에 말려 들어가 감의 것이다.

일본의 역사 교과서에서는 모두 노구교 사건에 관련지어 전면적인 침략전쟁을 시작했다고 하는 것을 쓰고 있지만, 전면 전쟁을 시작한 것은 장개석의 중국군이다.

일본의 역사가는 이 일을 어째서 주장하지 않는 것일까? 

최근에는 중국인 림사운씨가 대규모 전쟁은 중국이 시작했다고 지적하고 있지만, 일본의 역사가나 전사가는 사고가 정지해 버렸던 것이다.


학교의 역사 교육으로 중일 전쟁은 노구교에서 시작되었다고 가르치고 있기 때문에, 일본인은 교과서에 쓰여져 있는 것이 사실이라고 믿어 버려 버린다.

스스로 생각한다 훈련이 되어 있지 않기 때문에 상대가 말하는 페이스에 감라고 끝낸다.

미국의 교과서에서는 히로시마 나가사키의 원폭은 전쟁을 빨리 끝내기 때문에(위해)라고 가르치고 있지만, 줄서 왜 한국 전쟁이나 베트남 전쟁으로 사용하지 않았던 것일까? 

원폭은 원래 사람축에 들지 못한 사람도적 병기이며 제네바 조약에서도 금지되고 있는 잔학한 병기였다.

일본이 미국과의 전쟁을 피할 수 없다고 한다면, 1898년에 미군에 의해서 침략된 하와이 왕국 해방전쟁으로서 진주만을 공격했다고 한 것 같은 선전을 왜 칠 수 없는 것일까? 

속여서 침이라고 한다면 헐 노트를 가지고 선전포고로 간주했다고 하면 속여서 침은 되지 않는다.

일본의 외무성에는 그러한 선전을 칠 수 있는 기관이 없다.

장개석은 전쟁에서는 계속 졌지만 선전으로 승리했다.

선전에는 선전으로 대항할 수 밖에 손은 없다.


<주`∀´>길기 때문에 읽을 수 없는 니다가, 우리나라에 유리한 문의 니카?

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