客観的に記録された外国人の手記にみる、真実の李氏朝鮮時代
ヘンドリック・ハメル『朝鮮幽囚記』
ヘンドリック・ハメル(生田滋訳)『朝鮮幽囚記』東洋文庫132, 平凡社, 1971.
ヘンドリック・ハメル (Hendrik Hamel) は、1653年7月に難破し済州島に漂着したデ・スペルウェール号の乗組員で、同僚七人と1666年8月、日本に脱出するまで13年間朝鮮に幽閉された。
南蛮人36名漂着の報を受けた朝廷は、1627年に慶州で捕えられたオランダ人朴延(ヤン・ヤンセ・ウェルテフレー)を派遣した。
朴延は訓錬都監で中国人・日本人からなる部隊の隊長をつとめていたが、25年を超える朝鮮生活のうちにオランダ語をほとんど忘れており、改めて漂着者たちから学び直した。
漂着翌年の1654年5月、死亡者1名を除く全員がソウルに入り、訓錬都監に配属された。
(朝鮮の)朝廷はオランダ人の存在が清国にもれることをおそれ、清使の来訪時には軟禁して監視をつけた。
しかし1655(孝宗6)年4月、オランダ人2名が清使にとりすがって帰国を訴えた。
朝鮮側は清使に多額の賄賂を贈り、この事件をもみ消した。訴え出たオランダ人2名は獄死した。
朝廷は生存者33名を全羅道に送り、兵役に従事させた。
人治主義の国らしく、温厚な長官が赴任して来たときはよかったが、冷酷な長官が来ると悲惨で、食糧も衣服も十分に供与されず、物乞いで糊口をしのぐはめになった。
1666(顯宗7)年時点で生存者は16名となっていたが、この年の8月にハメル以下8名は船で脱出し、五島列島で捕えられ長崎奉行所に送られた。
翌年(日本の)幕府はハメル一行の帰国を認め、一行は11月にバタビアに到着した。
また幕府は、残るオランダ人の引渡しを朝鮮側に求め、生存者7名は1668年6月に釜山で引き渡され、出島のオランダ商館に入った。
ハメルは手記の中間部で朝鮮の政治・社会情勢を記述しているが、当然あまり良くは言っていない。
後に朝鮮のステレオタイプとなる項目のうち、刑罰の恣行や男尊女卑や家屋の貧弱さ等が既に現われている。
後進性については、日本や清の侵略のせいだという朝鮮人の見解を伝えている。
「すなわち夫を殺した妻は、多くの人々の通る道傍に肩まで土に埋められ、その傍に木の鋸が置かれます。
そしてそこを通る人々は貴族以外は彼女の頸をその鋸で挽いて死にいたらしめなければなりません。
……夫が妻を殺した場合、それについて然るべき理由のあることが証明できる場合は、その理由が姦通であってもなくても、その罪によって訴えられることはありません。
……過失致死犯は次のようにして罰せられます。彼等は酸っぱい、濁った、鼻をさすような匂いのする水で死者の全身を洗いますが、彼等はその水をじょうごを使って罪人の喉から流し込めるだけ流し込み、それから胃の所を棒で叩いて破裂させます。
当地では盗みに対しては厳重な刑罰が課せられていますが、盗人は非常に沢山います。その刑罰は足の裏を叩いてしだいに死にいたらしめるのです。」 (p. 41)
一般の人々は彼等の偶像の前で、ある種の迷信を行います。
しかし彼等は偶像よりも自分の目上の人に対してより多くの敬意を払います。
大官や貴族は偶像に対し敬意を表するということをまったく知りません。なぜならば彼等自身がそれよりも偉いと考えているからです。 (p. 43)
大官たちの家は非常に立派ですが、一般の人々の家は粗末なものです。これは自分の考えに基づいて家を建築することは誰にも許されていませんし、総督の許可なしに屋根を瓦でふくことも許されていないからです。 (p. 46)
この国民は妻を女奴隷と同じように見なし、些細な罪で妻を追い出すことがあります。夫は子供を引き取ろうとはしませんので、子供は妻が連れて行かねばなりません。したがってこの国は人口が多いのです。 (p. 48)
教師は子供たちに対してつねに先人の学識と、高い学識のおかげで出世した人々のことを例に挙げます。子供たちは昼も夜も勉強にはげみます。こんな幼い生徒が自分の習う知識の大部分を含む書物を立派に説明することができるのは、驚くべきことです。 (p. 49)
彼等は盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。彼等をあまり信用してはなりません。他人に損害を与えることは彼等にとって手柄と考えられ、恥辱とは考えられていません。 (p. 52)
彼等は病人、特に伝染病患者を非常に嫌います。病人はただちに自分の家から町あるいは村の外に出され、そのために作られた藁ぶきの小屋に連れて行かれます。
そこには彼らを看病する者の外は誰も訪れませんし、誰も彼等と話をしません。
その傍を通る者は必ず病人に向かってつばを吐きます。病人を看病してくれる親戚を持たない人々は、病人を看病に行かないで、そのまま見捨ててしまいます。 (p. 53)
この国はタルタル人がこの国の主人となるまでは、非常に豊かで楽しい国で、人々は食事や飲酒や、その他考えられるあらゆる楽しみにふけってばかりいましたが、現在では日本人とタルタル人のために国土が非常に荒らされてしまいましたので、凶作の年には食糧が充分に行き渡るかどうか危ない状態です。
それは彼等が重い貢物を、特にタルタル人に納めなければならないからで、タルタル人は通常年に三回それを徴収に来ます。 (pp. 53-54)
・・・タルタル人?中国人のことでしょうか。
併合前の朝鮮の写真。罪人は足の骨を折られる朝鮮伝統の拷問を受けていた。