フィリピンと奨忠体育館

このごろ若者達は分からないが私たち世代だけでもフィリピンなら
マニラという都市に代表されるバスケットボールお上手でよく暮らす
国に認識された時がありました.
そうするうちに一国は 不正祭りと腐敗で ずっとおかゆを炊いて,
また他の一国は腰巻しめくくって熱心にして
今は比較にならないほどになりました.
一国はお手伝いさん輸出して暮らす国になったし,
一国は世界先端技術製品を輸出する国で位置づけしています.
奨忠体育館
誰が作ったのかご存じですか?
奨忠体育館は我が国の最初のドムシック室内体育館として
1963年 2月 1仕事に開場をしました.
竣工式の時は当時の御前会議議長である朴正煕が直接参加して
テープを切るほどにすごいことでした.
60年代初の韓国はフィリピンは勿論です,
北朝鮮よりも住む事ができないアジア最貧国中の一つであったので
私たちの技術ではドーム屋根になった体育館を設計するとか建築する技術がなかったです.
そのため フィリピンの設計会社と建築会社がフィリピンの技術者たちを連れて来て
作ったことです. その頃フィリピンと私たちはそんな関係でした.
当時フィリピンは日本の次でアジアではよく暮らす国でした.
参照で各国の 1963年当時 GDPは次の通りです.
国家 --------- G D P
韓国 --------- 78$
フィリピン -------- 584$
日本 -------- 647$
我が国ではフィリピンに先進行政課新知識を学んで来るそんな死だったし,
マグサイサイ賞にもらいに行ったりしました. ところで今日の現実はどうですか?
フィリピンは大卒出身女性たちはお手伝いさんで, 男性は建設現場の土方で
出るしかない現実に処しているんじゃないですか?
今世界各国では何年寸の給料にあたるわいろを与えるとしても
韓国に密入国しようとする人々に並んでいます.
そんな意味で奨忠体育館一番ちゃんと見える柱に大きく
‘が建物は 1963年にフィリピン人々が作ったことだ’
と書いて付けておいたらと思います.