物理学の教科書を書き換える業績
画期的な測定・制御技術に道を開く可能性がある。
ドイツの天才物理学者ウェルナー・ハイゼンベルクが打ち立てた「不確定性原理」を、日本の研究者が約80年ぶりに破ることに成功した。名古屋大学教授で数学者の小澤正直氏。今回の成果は「全く新しいサイエンスの誕生をもたらすだろう」という。小澤氏に研究の意義や波及効果を語ってもらった。
「ハイゼンベルクの不確定性原理はその定義自体があいまいで、科学理論としての要件を欠いていました。長いこと、その実証や反証をしようにもできないものでした」
ハイゼンベルクが1927年に発表した不確定性原理の関係式は現代風にはこう書かれる。
ΔqΔp≧h/4π (hはプランク定数、πは円周率)
想定されているのは、電子などの粒子の位置と運動量(質量×速度)を同時に測ること。ミクロの世界は直接観察ができないため、粒子に光を当ててその反射の具合から調べるという思考実験から導かれた式だ。
左辺のΔqは測定する粒子の位置の誤差、Δpは光を当てることによって生じる粒子の運動量の乱れをそれぞれ表す。もし、位置を正確に(誤差ゼロで)測定できれば、運動量の乱れが無限大になってしまう。位置と運動量を同時に測ることはできない。これが不確定性原理の意味だ。
しかし小澤氏はいう。
「測定の乱れによって誤差が制約を受けるという主張だが、その測定とはどんなものか、誤差とは何かという科学的定義がハイゼンベルクにはありません。これらを理論的に扱える形にすることが最初の取り組みでした」
「測定というものを数学的に定義できたのが1984年。誤差を定義できたのが90年前後。そして誤差の間の関係を式として完成させたのが2003年でした」小澤氏が03年に発表した「小澤の不等式」はこういう形だ。
ΔqΔp+σqΔp+σpΔq≧h/4π
ハイゼンベルクの式と比べると、左辺に2つの項が加わっている。σqは位置の、σpは運動量のそれぞれの「ゆらぎ」を指す。いずれも測定前の粒子の状態から決まる項だ。ここではΔqあるいはΔpをゼロに、つまり誤差をゼロにすることができる。条件次第では、その両方をゼロにすることもできる。
しかし、この関係式を実証するには、実験で確かめる必要があった。
「式を発表した翌04年に、誤差や乱れを詳しく計測する方法を見いだしました。これで私の式を確認する実験が可能になりました。それは同時に、ハイゼンベルクの式が初めて反証可能になったことも意味します」
共同研究者として、実験に取り組んだのはウィーン工科大学准教授の長谷川祐司氏。粒子の位置や運動量をそのまま測るのは難しいため、それに代わる物理量として中性子の持つスピンと呼ばれる磁石の向きを測定した。結果は、「小澤の不等式」が成り立ち、ハイゼンベルクの式が成り立たないことを示していた。
不確定性原理が「破れていた」ということは何を意味するのか。
「量子物理量を測定する際の誤差の理論ができあがったことが大きい。これまでは不可能と見られていた、誤差や乱れの定量的な計測や制御の道が開ける」
量子測定理論は、超高速計算が可能な量子コンピューターを開発したり、絶対に解読されない量子暗号の技術を高度化したりするのに役立つ。この分野の研究者はすでに、小澤氏の理論をもとに研究を進めているという。小澤氏自身も次の研究の目標をそこに置いている。
「これまでずっと量子測定理論を研究してきた中で、色々なアイデアがある。誤差の理論をさらに発展させて、量子情報技術の応用面につなぐような研究を進めていきたい」
(編集委員 吉川和輝)
小澤正直氏(おざわ・まさなお) 1974年東京工業大理学部卒、79年博士課程修了。名古屋大助教授、教授、東北大教授をへて2008年から名大教授。10年に「量子測定理論の先駆的研究」で文部科学大臣表彰科学技術賞。東京都生まれ。61歳。