朝鮮侵略を正当化した日本の唱歌
2012年01月29日08時20分
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「明治の帝(みかど)の大御稜威(おおみいつ)/あまねき恵の御風(みかぜ)には/とり(奚に隹。朝鮮のこと)の林もなびきふし/枝もならさぬめでたさよ」
日本による朝鮮併合直後の1911年(明治44年)、日本はこのような内容の歌集を配布した。歌詞の中には「豊太閤の遠謀も/西郷翁の先見も/今まのあた り現れて/新日本の新版図」という一節もあった。豊臣秀吉による壬辰倭乱(文禄・慶長の役)や西郷隆盛の征韓論を挙げ、朝鮮併合を合理化・美化する内容 だ。
日本が朝鮮を併合した直後、韓半島(朝鮮半島)侵略を正当化する内容を自国民に唱歌の形で広めるために作成した小冊子 『地理歴史 朝鮮唱歌』が、昨年11月20日に初めて公開された。1911年2月に富山房出版社が発行したこの歌集には、楽譜と全47番からなる歌詞が掲 載されている。タイトルは『地理歴史』だが、内容は朝鮮侵略の美化一色だ。
これらの唱歌を作詞した石原和三郎 (1865?1922)は、故郷の群馬県で「童謡の父」と呼ばれる人物だ。また、作曲を手掛けた田村虎蔵(1873?1943)は、東京高等師範学校・東 京音楽学校の教授を務め、日本の音楽教育の先駆者に挙げられる。当時の代表的な作詞家・作曲家を動員して作成したこの冊子は、1911年2月に初版が出版 され、11月に再版された。当時、日本が大々的に朝鮮併合を広報していたことが分かる。
同冊子に掲載された歌詞には、釜山、木浦から京城(現在のソウル)、開城、平壌を経て鴨緑江、白頭山に至るまでの朝鮮の地理情報が盛り込まれ、これに日本の過去の朝鮮侵略に関する事件や主要人物を絡めている。
ユタ大学のイ・ジョンミョン教授の翻訳によると、歌詞には「釜山港に来てみると、家屋の数はおよそ1万」「密陽付近は米の産地」「大邱駅での見ものは春 (2月)と秋(10月)に開かれる大きな市場」「水原の北に永登浦がある」というように、朝鮮八道の主な人文地理情報が盛り込まれている。
ソウルについては「市街を囲む城壁に/甍(いらか)も高き八つの門/さすがは李朝五百年/都したりし蹟(あと)ゆかし」(17番)と歌い、さらに「由緒に 富める宮殿や/名所旧跡数多く/倭城台より見下せば/一目に見ゆる全市街」(18番)と続き、2番にわたって紹介している。
また、東莱府を「遊べ幽静閑雅の地」(7番)と描写したり、「洛東江の川ほとり/白衣の人もなつかしく」(8番)、「仁川港に来て見れば/日に日に進む繁 栄は/林をなせるほばしらの/数をよみても知りぬべし」(36番)と記すなど、朝鮮に対する日本人の好感を誘う意図が読み取れる。
しかし主な目的は、日本の朝鮮侵略の正当化だった。「密陽付近は米産地/昔の任那はこのあたり」(10番、任那日本府説)、「乙密台の西の丘/国初の跡を 忍びつつ/箕子(きし)の廟(たまや)に詣ずれば/鵲(かささぎ)啼(な)いて日は暮れぬ」(27番、箕子朝鮮説)など、古代史をめぐり、外部勢力が朝鮮 を侵略・支配したという内容の神話・学説が登場する。
半島で日本が起こした戦争を網羅しているのも特徴だ。中でも壬辰倭乱 や日清戦争、壬午軍乱などを挙げ、中国に対する対決意識をあらわにしている。「名も徒(いたずら)の安城渡/松崎大尉を忍ぶかな」(12番。日清戦争中、 成歓の戦いで戦死した陸軍歩兵第21連隊の松崎大尉のこと。日清戦争の戦死者第1号とされる)、「碧蹄館の跡とえば/鬼神を欺く?景が/明の大軍屠(ほ ふ)りたる/武名のみこそ残りけれ」(19番。文禄の役での碧蹄館の戦いを指す。小早川?景らが明の大軍を破った)、「高峯山の峯たかく/加藤がいさおを 仰ぐかな」(20番。文禄の役で加藤清正が攻め落とした高峯山城のこと)、「臨津江と同じ名の/駅のあたりも古戦場/近くは日露の戦役に/兵站地にぞ充て られし」(21番)などがそれだ。
また、戦闘が起きた場所を列挙することで、当時の日本が満州や中国の侵略を前に戦意を鼓 舞していたかのような印象も受ける。群山港については「ここは昔の百済の地/天智の御代にわが軍が/名は白村の江水を/赤に染めたる跡ぞとよ」(38番。 天智天皇の代に起こった白村江の戦いを指す。半島に出兵した日本軍はここで唐・新羅連合軍に敗れた)と記し、東海(日本海)については「昔の新羅はこのあ たり/鬱陵島は見えねども/日本海の海戦の/大捷しのぶ勇ましさ」(42番。日露戦争での日本海海戦を指す。連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を破った) と表現している。
そして最後は「日本人は昔より/忠あり義あり、情(なさけ)あり/その義を以て、情(なさけ)もて/新附(しんぷ)の民と親しまん」という歌詞で締めくくられている。
延世大学のグ・インモ教授は「こうした自己合理化あるいは自己欺瞞(ぎまん)の修辞が、音楽と結びついて感覚的に内面化されることで、植民地支配が幼年学 習者の中で自然と正当化されていったのだろう。そのような点から、この唱歌は単なる歴史地理教科の副教材にとどまらず、理念教材と呼べる」と分析した。
この冊子の各ページには、朝鮮の主な都市や史跡の写真と共に、壬辰倭乱の中心人物だった豊臣秀吉や、伊藤博文朝鮮統監、寺内正毅朝鮮総督など日本の軍人・政治家の肖像画が掲載されている。
大きさが22センチ×12センチでポケットサイズの同冊子は、合計26ページからなり、シンナラレコード(キム・ギスン会長)が日本の古書店から入手し、本紙に公開した。
■唱歌とは
開化期に登場した新式の歌。日本は19世紀末から唱歌を教科課程に取り入れ、政策的に活用した。『地理歴史 朝鮮唱歌』は、ト長調4分の2拍子の曲で、歌 いやすい合唱曲のスタイルで構成されている。中央大学の魯棟銀(ノ・ドンウン)教授は「日本は朝鮮や満州を植民地の前進基地にする目的で、幾つもの唱歌 集・はがきなどを発行した」と説明した。
併合について違法だの不正だの言ってるのは朝鮮人だけであってw
世界の誰も不正だとか言ってないからw
言ってるなら、しっかりした証拠とともに反論してみろw こちらも反論
してやるからwwwww
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