以下、後述する、氷川丸(hikawamaru)に関する参考の投稿・関連投稿。氷川丸(hikawamaru)に関しては、特に、すぐ下でリンクを付けた、「現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他1」を参照して下さい。
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758717/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758716/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758715/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758713/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本様式(建築・インテリア史)後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3874777?&sfl=membername&stx=nnemon2
氷川丸(歴史のある文化財の客船)他後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3525528/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下の投稿の続きです。
氷川丸(歴史のある文化財の客船)他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3525529?&sfl=membername&stx=nnemon2
今月の(5月の)前半、前日に我が家に泊まった彼女と、横浜に、遊びに行って来た時(以下、この日と書きます)の物です。
この日は、電車で、横浜に遊びに出掛けました。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「横浜は、東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町です。私は、横浜は、仕事の用事でも、よく訪れますが(横浜は、仕事の用事で、よく訪れる場所の一つです)、横浜の港町の雰囲気が好きで、休日にも、よく遊びに行きます。」
この日は、まず、薔薇の花の時期の、山下(yamashita)公園を訪れ、薔薇の花を見ながら、山下(yamashita)公園を散歩しました。
山下(yamashita)公園に関しては、前回の投稿(すぐ上でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
山下(yamashita)公園を散歩した後は、氷川丸(hikawamaru)を見学しました。
写真以下3枚。向こうに停泊している船は、氷川丸(hikawamaru)。1930年代に、日本と、北米を結ぶ太平洋航路で活躍した、約11,600トン(GT)の、日本(日本郵船(Nippon
Yusen)株式会社)の豪華客船(1930年完成and使用開始。横浜船渠(かつて、横浜にあった造船所)製)です。現在は使用されておらず、横浜の港(横浜の都心部の旧市街の海沿い)に永久保存され、文化財に指定されると共に、一般公開されています。1930年代当時、アメリカとカナダの会社も、北米と日本の間に、豪華客船を走らせていましたが、日本郵船(Nippon
Yusen)株式会社(下の補足説明を参照)も、当時、太平洋航路向けの主要な豪華客船としては、氷川丸(hikawamaru)を含め6隻の豪華客船を保有し、日本の横浜と北米を結んでいました。
日本郵船(Nippon
Yusen)株式会社:第2次世界大戦前、日本は、イギリス、アメリカに次ぐ、世界第3位の海運(shipping・marine
transportation)国でした。日本郵船(Nippon Yusen)株式会社は、その世界第3位の海運(shipping・marine
transportation)国、日本の三大海運(shipping・marine
transportation)会社の内の一つでした(今でも、日本郵船(Nippon
Yusen)株式会社は、日本の三大海運(shipping・marine
transportation)会社の内の一つであると共に、世界有数の海運(shipping・marine
transportation)会社となっています)。
写真以下37枚。基本的に、氷川丸(hikawamaru)の船内にて。。。氷川丸(hikawamaru)は、1930年代当時の、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の他の日本とシアトル(seattle)、バンクーバー(Vancouver)を結ぶ、主な豪華客船2隻と同じで、1930年代当時の、同社の日本とサンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ、主な豪華客船3隻よりも小さく、また、豪華さにおいても、劣っていましたが、喜劇俳優Charlie Chaplinが、1932年に来日した際、アメリカに帰る際に、使用しました(Charlie Chaplinは、1932年に1回、1936年に2回と、第二次世界大戦前に3回来日しています)。
一等(first class)、子供室。
以下、「」内。基本的に、氷川丸(hikawamaru)の展示の説明書きより。。。
「天皇陛下(天皇)の、名代(代理)として、英国王(イギリスの国王)ジョージ6世(George
VI)の戴冠式に出席した、秩父宮(chichibunomiya)夫妻(下の補足説明を参照)は、1937年、10月2日、カナダの、ビクトリア港から横浜までの、帰路、氷川丸(hikawamaru)に乗船しました。秩父宮(chichibunomiya)夫妻は、特別扱いは望まず、一般の船客(乗客)と親しく談笑し、食事も、一般の、一等(first
class)の船客(乗客)と、同じ食事を召し上がりました(同じ食事をしました)」
秩父宮(chichibunomiya):かつての、日本の宮家(miyake)の一つ。宮家(miyake)とは、皇族(天皇の一族(親族))の内、天皇家から独立した生計を営み、且つ、天皇から称号(宮号)を賜り、代々、皇族(天皇の一族)の身分の保持を許された家(家族)で(wiki等を参考にしました)、現在は、宮家(miyake)は、4つしか存在しませんが(2014年に、当主が独身であった宮家(miyake)の当主が、亡くなられた為、それまで、5つであった宮家(miyake)が、4つとなった)、第2次世界大戦が終った直後には、日本には、秩父宮(chichibunomiya)を含む、14の宮家(miyake)が存在していました。

写真は、借り物。かつて、東京都心部にあった、秩父宮(chichibunomiya)家の邸宅。1930年頃。
写真以下3枚。一等(first class)食堂(dining room・レストラン)。
一等(first class)食堂(dining room・レストラン)に関しては、この写真も参考にして下さい→
https://hikawamaru.nyk.com/img/guide_img/deck_b_img03.jpg
写真左端。清掃の方が、少し写真に写り込んでしまいました。
写真以下2枚。一等(first class)食堂(dining room・レストラン)の天井。
夕食の、メニュー(menu)。
写真以下2枚。氷川丸(hikawamaru)の内装例。
写真以下7枚。一等(first class)社交室(乗客が、くつろいだり、交流したりする部屋)。
以下、「」内。基本的に、氷川丸(hikawamaru)の展示の説明書きより。。。「女性の社交場としての性格が強いので、優雅な装飾が施されています。夜は椅子や絨毯を片付けて、ダンスパーティーの会場にもなりました。」
写真以下3枚。氷川丸(hikawamaru)の内装例。
写真以下6枚。一等(first class)喫煙室(smoking room)。
以下、「」内。基本的に、氷川丸(hikawamaru)の展示の説明書きより。。。
「喫煙室では、世界の上級品の、お酒や煙草がそろっていました。煙草を吸いながらグラスを傾けカードゲームなどを楽しむ、主に男性の社交場でした。」
一等(first class)の、通常客室(standard room)。
氷川丸(hikawamaru)の内装例。
写真以下4枚。一等(first class)の、特別客室(deluxe room/suit)。
一等(first class)の、特別客室(deluxe room/suit)の、寝室(bedroom)。
一等(first class)の、特別客室(deluxe room/suit)の、バスルーム(bathroom)。
写真以下2枚。一等(first class)の、特別客室(deluxe room/suit)の居間(living room)。
技術面及び運賃面から、飛行機(旅客機)での、移動が、第二次世界大戦後とは、比べ物にならない位、限られていた、第二次世界大戦前においては、国際線の、豪華客船は、現代の、豪華客船と異なり、純粋な、移動手段として、現代の、国際線の旅客機と、同様の役割も、担っていました。三等(third
class)の客室は、現代の、国際線の旅客機の、最小限の値段で、海外に移動したい人向けの、エコノミークラス(economy
class)に該当すると言えますが、第二次世界大戦前の、階級社会において、最小限の値段でしか、海外に移動出来ない人向けの客室と言った感じであったと思います。
氷川丸(hikawamaru)の、三等(third class)の客室→
https://hikawamaru.nyk.com/img/guide_img/deck_cd_img03.jpg
以下、「」内。基本的に、氷川丸(hikawamaru)の展示の説明書きより。。。
「三等(third
class)の船客が、一等(first class)等の、船客エリアに行くには、(おそらく有料の)見学の申し込みが必要でした。三等(third
class)の船客の食事は、焼き魚(魚の焼き物)等、日本の、庶民的な家庭料理でした。しかし、航海中に、給仕と、仲良くなった船客が、給仕から、果物を貰ったり、ジャガイモ(potato)の皮むきを手伝う事もありました。一等(first
class)船客の、華やかさとは違いますが、三等船客の旅は、家庭的な良さがありました。」
写真右側に見える建造物は、大桟橋(oosanbashi)です。大桟橋(oosanbashi)は、横浜都心部の海際にある、大型豪華客船もよく発着する、国際passenger terminalのある、大きな桟橋です。写真左側の、一番高いビルは、横浜landmark tower。1993年完成、高さ約296mの、横浜の都心部の海沿いにある超高層ビルです。30年近く前に建てられたビルですが、未だに、日本で、2番目に高い、超高層ビルとなっています。横浜landmark towerは、大きなビルではあり、床面積は、Empire State BuildingやOne World Trade Center(2014年に完成した、アメリカで、一番、背の高いビル)を、遥かに上回り、Shanghai Tower(中国(香港を含む)で、最も背の高いビル。Burj Khalifaに次いで、世界で2番目に高いビル。2017年に完全に開業した様です)も、上回ります。
向こうに見える、大型客船は、飛鳥2(Asuka2)。飛鳥2(Asuka2)(50,444トン(GT)。元々、50,142トン(GT)だったが、最近(2020年に)改装され、50,444(GT)トンとなる)は、日本(日本郵船(Nippon
Yusen)株式会社)の豪華客船です。日本を起点とした世界一周クルーズ(cruise)等を行っています。他の日本の(日本の会社が保有する)豪華客船同様、乗客の、ほとんどは、日本人の様です。
写真左側の超高層ビルは、横浜の都心部の海沿いの規模が大きな高級ホテルの一つ、Intercontinental
Yokohama Grandホテル(1989年に着工し、1991年に完成)の建物です。ちなみに、Dubaiのホテル、Burj al
arabの建物(1994年に着工し、1999年に完成)の形が、このホテルの建物の形に似ています。
向こうに見えるtowerは、横浜マリンタワー(marine tower)。横浜マリンタワー(marine tower)は、横浜の都心部の海沿いに建つ、1961年に完成した、高さ106mの塔です。横浜を象徴する建物の一つとなっています。神戸(kobe)のポートタワー(port tower)と共に、1950年代から1960年代初めにかけての、日本の大都市における、高層タワー(tower)建設ブーム(boom)の末期に建てられたタワー(tower)です。かつては、灯台としての機能を持っていて、ギネスブック(Guiness book)に、世界一の高さの灯台として記載されていました。
操舵室。
船長室。
以下、「」内。基本的に、氷川丸(hikawamaru)の展示の説明書きより。。。
「船長室は、何か起こった時には、すばやく対応できるよう、操舵室から最も近い場所にあります。」
写真以下2枚。機関室。エンジン(engine)は、デンマーク(Denmark)の、Burmeister & Wain社(B&W社)製の、ディーゼルエンジン(diesel engine)です。Burmeister & Wain社(B&W社)は、当時、船舶(船)用の、大型の、ディーゼルエンジン(diesel engine)において、世界を、リード(lead)していた企業です。
以上、一昨年の5月の下旬に行った、「氷川丸(歴史のある文化財の客船)他後編」と言う投稿から抜粋して来た物でした。