以下、おまけ。
名所江戸百景(One Hundred Famous Views of Edo)は、歌川広重(utagawa hiroshige)(下の補足説明を参照)が、1856年から1858年に制作した、東京の、様々な名所を描いた作品です。
歌川広重(utagawa hiroshige):1797年生まれ。1858年に亡くなる。日本の、代表的な、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家の一人。
参考に、Japonismeとは、19世紀中期から20世紀初頭にかけて(特に、19世紀の後半に)、フランスを中心とした、西洋の国々(ヨーロッパ及び北米)で、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)等の日本文化が流行すると共に、当時の(近代の)ヨーロッパを中心とした西洋の芸術・工芸に強い影響を与えた現象の事を言います。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿。
Japonisme他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3806140/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2

写真は、借り物。名所江戸百景(One Hundred Famous Views of Edo)より。雪が降った日の、浅草(sensou)寺(後述します)を、描いた作品です。ちなみに、この絵(版画)に描かれている、浅草(sensou)寺の、先代の五重塔(17世紀に建てられた)は、第二次世界大戦末期(1945年)の、アメリカ軍による空襲により焼失し、現在の、浅草(sensou)寺の五重塔は、1970年代の初めに、再建されたものですが、この時と異なる場所に再建され、浅草(sensou)寺の本堂(hondo)(寺のmainの建物)に向かって左側の場所に再建されました(これは、1970年代の初めに、五重塔が再建された当時の、浅草(sensou)寺の周辺のビルとの景観の調和を図るようにした為である様です。(浅草(sensou)寺の)五重塔が、浅草(sensou)寺の周辺のビル景観に埋もれていまわない為に、五重塔が、目立つ位置に再建した)。
以上、おまけでした。
以下、基本的に、2015年の4月の中旬に行った投稿の再掲で、2015年の3月の下旬に、彼女(私の今の彼女。以下、彼女と書きます)と、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)に遊びに行って来た時の物です(投稿文は、2015年の4月の中旬の投稿を前提としています)。ちなみに、当時、まだ、私は、30代の後期、彼女は、20代の初めの大学生でした。
3月の下旬、個人的に休みであった日(以下、この日と書きます)に、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)に、遊びに行った時の事です。
この日は、浅草(asakusa)に、主に、遊びに訪れました。浅草(asakusa)(東京都心部の東部(北東部)に位置する)は、上野(ueno)と共に、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)最大級の繁華街であると共に、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)を代表する繁華街となっています。
以下、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。浅草(asakusa)について、詳しくは、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
浅草散歩・銀座線他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3926124?&sfl=membername&stx=nnemon2
写真以下2枚。前に、アップ(upload)した写真の、再利用。浅草(asakusa)の、風景例。
写真正面の、高層ビルは、アサヒ(asahi)ビール(日本の大規模ビール会社の一つ(日本の四大ビール会社の一つ)。1889年創業)の本社ビル(1989年完成。高さ約95m)です。設計・デザイン(design)は、Philippe Starck(1949年生まれ。フランスの、世界的に有名な、デザイナー(designer)。建築の分野でも活躍)等が手掛けました。ビルのデザイン(design)は、グラス(glass)に入ったビール(おそらく、生ビール)をイメージした物です。高層ビルの右下の、金色の雲にも、汚物の様にも見える物は、グラス(glass)から溢れ出た、ビールの泡でも表現しているのでしょうか。。。何とも、理解し難いです。私は、前は、この、醜悪で、おぞましいデザイン(design)の、アサヒ(asahi)ビールの本社ビル(のデザイン(design))は、大嫌い(とても嫌い)でしたが(アサヒ(asahi)ビールは、何で、この様なデザイン(design)案を、採用(承認)したのか、不思議です(私には、理解が出来ません))、今は、まあ、色々な物があって、楽しい、浅草(asakusa)areaにおいては(浅草(asakusa)areaは、雑然とした所が、大きな魅力となっています)、悪くはないのではないかと思うようになりました(このビルが、私の街にあったら、嫌だけど。。。w)。
浅草(asakusa)を含む、東京の下町(shitamachi)(東京の旧市街。東京都心部の東部)は、第二次世界大戦末期の、アメリカ軍による空襲により、壊滅的な被害を受けた為、下町(shitamachi)(旧市街)とは言っても、ほとんどの建物は、第二次世界大戦後に建てられた物です。もっとも、第二次世界大戦前(1930年代以前)に建てられた建物も、少しは残っています。写真は、浅草(asakusa)に残る、1920年代から1930年代頃に建てられたと思われる建物の例。。。ちなみに、写真右端の、日本伝統式の建物は、この日の、昼食(この日の、追加の、遅い朝食兼昼食)を食べた、蕎麦食堂、「並木(namiki)藪(yabu)蕎麦」の建物です。
この日は、朝寝坊をし、11時過ぎ位に、我が家で、遅い朝食兼昼食(内容は、普段、働いている日に食べている朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と同じでした)を食べた後、我が家を出たのですが、浅草(asakusa)にある、1913年創業の蕎麦食堂、「並木(namiki)藪(yabu)蕎麦」で、追加の、遅い朝食兼昼食として、軽食の蕎麦を食べました。「並木(namiki)藪(yabu)蕎麦」は、神田(kanda)(東京都心部でも、中心的な地域に位置する)の、1880年創業の蕎麦食堂、「神田(kanda)藪(yabu)蕎麦」の系統の店です。
江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)には、蕎麦、寿司、天麩羅等は、東京において、庶民・大衆の為のファーストフード(fast
food)でした(日本料理における、握り寿司(所謂、世界的に、一般的に知られている、日本の寿司)、天麩羅は、元々、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に、東京において、庶民・大衆の為のファーストフード(fast
food)として、発展・流行した食べ物です)。「並木(namiki)藪(yabu)蕎麦」は、その様な、東京の、昔ながらの(伝統的な)蕎麦を、現在に伝える店の一つであると思います(おそらく。。。)。
写真以下3枚。「並木(namiki)藪(yabu)蕎麦」で食べた、この日の、追加の、遅い朝食兼昼食。蕎麦(東京の、伝統的な、ファーストフード(fast food))。蕎麦の、汁(soup)は、昔ながらの、東京の蕎麦と言った感じで、濃い味です(おそらく、薄い、繊細な味付けに慣れた、関西(kansai)(大阪や京都(kyoto)を中心とする大都市圏。東京圏に次ぐ、日本、第二の都市圏人口を有する、大都市圏。日本の西側に位置する)の人々が食べたら、少し、濃過ぎて、田舎臭い(粗野な)味と感じる味です)。
写真以下2枚。私が食べた、おかめ(okame)蕎麦(蒲鉾(kamaboko)(魚の練り物)を、主体とした具の、蕎麦)。
蕎麦の具は、上から、湯葉(yuba)(豆乳から出来る食材)、松茸(matsutake)(茸の一種。日本料理において、高級食材となっている)の形を模した麩(fu)(グルテン
(gluten)を、主な、原料とした、加工食品(食材))、蒲鉾(kamaboko)(魚の練り物)。
彼女が食べた、玉子とじ蕎麦。
写真以下7枚。前に、アップ(upload)した写真の、再利用。浅草(asakusa)areaの、風景例。
写真以下3枚。浅草(sensou)寺の、雷門(kaminari)門(浅草(sensou)寺と、雷門(kaminari)門については、後で、説明します)の向かいにある、台東(taito)区(東京中心部(東京23区)を構成する、23の区の内の一つ。浅草(asakusa)が位置している)が運営する、割と最近(2012年に)、完成した、新しい、観光案内所の建物(8階建て。高さ、約40m)。設計は、隈
研吾(kuma
kengo)(1954年生まれ。日本の、世界的に有名な建築家)が手掛けました。周囲の景色と調和しながらも、個性がある建物、また、奇抜な(風変わりな)なデザイン(design)の建物でないのにもかかわらず(厳密に見れば、奇抜な(風変わりな)なデザイン(design)の建物であるが、建築家の技量により、奇抜な(風変わりな)なデザイン(design)の建物に見せない)、個性的な建物で、優れた建築であると思います(現代において建てられる建物の、理想的なデザイン(design)の形の一つであると思います)。
写真以下2枚。この写真を撮影した日は、残念ながら、天気が悪かったのですが、この、観光案内所の、最上階の、屋外展望台から見た景色。
写真以下2枚。写真中央に見える、高いtowerは、東京sky
tree。東京sky
treeは、東京の下町(shitamachi)(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)の、浅草(asakusa)areaに近い場所にあるTV電波塔です。東京ski
tree(2012年完成)は、東京tower(下の補足説明参照)に代わり、東京areaにTV電波を送信する為の、(東京圏の)主力TV電波塔となった、TV電波塔で、東京tower同様、展望台を有し、観光施設の側面も有しています。高さは、634mあり、日本で最も高い、また、世界でも、Burj
Khalifaに次いで、二番目に高い建造物であり、世界一高い塔です。ちなみに、東京ski
treeの、デザイン(design)は、現在において建てられる建築のデザイン(design)としては、あまりに保守的で(古臭く)、平凡で、嫌いです。写真右下に見えるのは、アサヒ(asahi)ビールの本社ビル。
東京tower:来るべきTVの大衆化時代(日本では、TV放送は、1953年に始まり、当初は、TVは、庶民にとっては、中々、手が届かない贅沢品であったが、1950年代末には、テレビ(TV)が、庶民の家庭にも普及する様になった)に備えて、東京areaにTV電波を大量に送信する為に建てられたTV電波塔。東京都心部でも、中心的な地域に位置する。高さは約333mで、1958年に完成した当時は、パリのEiffel
tower(約324m)を抜かし、世界一高い、(観光用の展望台の付いた)塔でした。
写真下側の川を走っている船は、松本
零士(matsumoto
reiji)(下の補足説明参照)がデザイン(design)した、東京の、水上バスです(海にも出ます)。浅草(asakusa)と、お台場(odaiba)(1980年代から開発が始まった(本格的な、開発は、1990年代に入ってから。特に、ほぼ現在の形に整ったのは、1990年代半ばの事)、東京中心部の海沿いにある、規模の大きな、住宅・商業・ビジネス(business)の複合地区。東京で、最も、未来的な景観を有する地域の一つ)等を、結んでいます。2004年から運行されています。 松本
零士(matsumoto reiji):1938年生まれ。日本の、有名な漫画家。代表作、「銀河鉄道999(Galaxy Express
999)」(1977年(漫画)。1978年から1981年にかけて、アニメ(anime)テレビシリーズ(television
series)として放映)、「宇宙戦艦ヤマト(Space Battleship Yamato・Star
Blazers)」(アニメ(anime)テレビシリーズ(television series))(1974年)。
写真以下2枚は、桜の花の時期に撮影した写真で(この写真を撮影した日も、天気が悪かったです)、浅草(asakusa)周辺の、隅田(sumida)川沿いに位置する、元々、水戸(mito)徳川(tokugawa)家(江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に、現在の茨城(ibaraki)県(東京圏の北東端に位置する県)の中部及び北部を統治していた地方領主の家。非常に有力な地方領主の家であった)の、東京(当時は、江戸(edo)と呼ばれていた)の別荘の一つの敷地の一部(半分弱位かな。。。)であった場所(現在は、公園として整備されています)から、撮影した、桜の花と、東京sky tree。桜の花は、おそらく日本人に最も親しまれている花であり、菊(皇室(天皇家)の紋章(coat of arms)となっている花)と共に、日本の実質的な国家となっている花です。春には、日本各地で、所々に、多くの桜の花が咲きます(もっとも、日本は、国土が、南北に細長く伸びた国である為、桜の花の見頃の時期は、日本の各地域で異なります)。水戸(mito)徳川(tokugawa)家は、近代日本において、貴族(侯爵)となりました(封建制時代の地方領主達は、近代に入ると、地方領主としての地位を失うと供に、封建制時代の城(castle)等を失ったものの、多くの地方領主達は、貴族階級に組み入れられ、近代社会(19世紀末から第2次世界大戦後、間も無くまで)においても、日本の上流階級としての地位と富は、維持しました)。この、水戸(mito)徳川(tokugawa)家の、東京の別荘の一つは、近代に入り、水戸(mito)徳川(tokugawa)家の本邸(メイン(main)の家)となりましたが、関東大震災(1923年に東京areaを襲った巨大地震。東京等が、非常に大きな被害を受けた)及び、それに伴う火災により、壊滅的な被害を受けました。それにより、水戸(mito)徳川(tokugawa)家は、この土地を手放し、その一部(半分弱位かな。。。)が、1931年に公園として整備され、現在に至っています。


この日は、浅草(asakusa)を散歩途中、二軒のカフェ(cafe)で、のんびりとしたのですが、写真以下3枚は、この日、浅草(asakusa)で入った、カフェ(cafe)の一つ。適当に目に付いて、入ったカフェ(cafe)・喫茶店(日本式coffee shop)です。
写真以下2枚。この、カフェ(cafe)・喫茶店(日本式coffee shop)の内装例。
私が、この時、この、カフェ(cafe)・喫茶店(日本式coffee shop)で飲んだ、飲み物。オレンジ(orange)アイスティー(冷たい紅茶)。
写真以下14枚。浅草(asakusa)の、風景例。
写真以下13枚(写真以下9枚は、前にアップ(upload)した写真の、再利用)。浅草(sensou)寺。浅草(sensou)寺は、浅草(asakusa)にある、仏教の寺で、古くから、東京の庶民に、親しまれて来た寺です。浅草(sensou)寺は、仲見世(nakamise)通りと共に、古くから、浅草(asakusa)の観光の中心地となっています。浅草(sensou)寺は、とても歴史の古い寺で、歴史自体は、7世紀まで遡りますが、現在の建物の、ほとんどが、第2次世界大戦後(1950年代から1970年代初め)に、鉄筋コンクリートにより、再建された物です。第2次世界大戦後に、再建された、浅草(sensou)寺の建物については、外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を、再現しています。
写真正面。浅草(sensou)寺の表玄関となる、雷門(kaminari)門。雷門(kaminari)門の前は、おそらく、東京で、最も人気のある、観光写真の撮影場所の一つです。先代の建物は、17世紀に建てられましたが、1865年に火事で焼失した後、長い間、仮の門でした。1960年に、およそ、100年ぶりに再建されました(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現した物)。雷門(kaminari)門の、奥に続いているのが、仲見世(nakamise)通り。仲見世(nakamise)通りは、雷門(kaminari)門から、浅草(sensou)寺の本堂(mainの建物)へと続く、参道(お参りする道)であり、歩行者専用の、買い物通り(商店街)となっています。仲見世(nakamise)通りは、商店の建物が、19世紀後半に、近代的な建物となり、より一層栄えるようになりました。仲見世(nakamise)通りは、伝統工芸品、伝統的な、お菓子、東京及び日本の、お土産品、チープで風変わりな品物を売る店等が建ち並び、常時、賑わっています。
写真以下4枚の大きな門は、17世紀に建てられた、先代の建物が、第2次世界大戦末期の空襲によって、焼失してしまった為、1964年に再建された物です(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現している)。写真以下3枚の、写真右側は、仲見世(nakamise)通りの店舗の一部です。
写真以下2枚は、正月時期に撮影した物。


写真以下3枚。浅草(sensou)寺の、五重塔。高さは、約53mあります。先代の建物は、17世紀に建てられたものですが、第二次世界大戦末期の空襲により焼失。現在の建物は、1970年代の初めに、再建されたものです(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現している。17世紀に建てられた、先代の建物は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)において、東京(当時は、江戸(edo)と呼ばれていた)で、目立つ建物の一つであった事でしょう)。
浅草(sensou)寺の本堂(hondo)(寺のmainの建物)です。先代の建物は、17世紀に建てられたものですが、第二次世界大戦末期の空襲により焼失。現在の建物は、1950年代後半に、再建された物です(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現している)。
写真以下4枚は、この日、撮影した写真。この日も、天気は、良くありませんでした。
左から、五重塔、(17世紀に建てられた、先代の建物が、第2次世界大戦末期の空襲によって、焼失してしまった為、1964年に再建された)大きな門、浅草(sensou)寺の本堂(hondo)(寺のmainの建物)。何れも、先代の建物は、17世紀に建てられた物でしたが、第二次世界大戦末期の空襲により焼失し、現在の建物は、第二次世界大戦後に、再建された物です。
17世紀に建てられた、先代の建物が、第2次世界大戦末期の空襲によって、焼失してしまった為、1964年に再建された門(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現している)。
門の奥に見えるのは、浅草(sensou)寺の本堂(hondo)(寺のmainの建物)。先代の建物は、17世紀に建てられたものですが、第二次世界大戦末期の空襲により焼失。現在の建物は、1950年代後半に、再建された物です(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現している)。
浅草(asakusa)の、路地の風景例。
おまけ。この日、浅草(asakusa)の散歩の途中に、買い食いした、浅草(asakusa)独特の、大きくて、軽い、メロン(melon)パン。写真では、分かり難いですが、通常のメロン(melon)パンと比較すると、かなり大きいです。一つ買って、二人で分けて食べました。このメロン(melon)パンは、この時、初めて食べたのですが、(大きいが、軽いと言う事は、様々な情報で分かっていたのですが)、想像していたよりも、さらに軽くて、これならば、一人、一個ずつ食べても良かったかなと言う感じでした。
メロン(melon)パン:日本発祥の、大衆的な、甘いパンで、洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)の一種とも言えます。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
浅草散歩・舟和のcafe他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3926122?&sfl=membername&stx=nnemon2