

20歳の新入社員が配属になった部署には、26歳と28歳の優秀な営業部員がいて、課長は41歳のベテランだった。不思議なことに、この課は社内の運動会になると最終種目のリレーでいつも抜群の成績を出すのだった。20歳の清水、26歳の竹内、28歳の伊東、41歳の葛西というメンバーはよほど仲が良いのだろうと社内では有名だった。
20歳の若武者、清水礼留飛は初出場の五輪ながらこれ以上はない131・5mと132・5m。堂々たる初陣だった。
ジャンプ団体戦は、4人が2回、計8回のジャンプで1回でも失敗ジャンプが出れば、勝利からは見放される厳しい戦いだ。そう考えると竹内択の1回目の127mは少し辛い結果だったが、竹内はそれを自分の力で補った。竹内の2回目は踏切のタイミングが遅れ、飛行曲線は低く、墜落曲線に向かって降下した。飛び出しの速度は91kmでも着地時の速度は120kmにもなる。それはジャンプ競技が「落下の競技」だという証明だ。落下を防ぐ唯一の方法は、地面効果を利用することだ。つまり着地寸前まで体を起こさず、体とスキーが120kmの速度で落下しながら着地斜面との間に起きる空気の圧縮からくる反発力を利用するのだ。しかし、これは強烈な恐怖との戦いになる。竹内はそれを実行した。もしその戦いをしなければ、飛距離を5m伸ばすことはできなかっただろう。だから2回目の130mは、執念の記録だ。
伊東は飄々と飛び続けた。もともと、長距離飛行には定評があり、ワールドカップでも1シーズン4勝をあげた日本のエースだ。130・5mと132mのジャンプは貢献度、殊勲甲だった。
ジャンプラージヒル銀メダリスト、葛西紀明の134mX2のジャンプは申し分ないものだ。日本のエース、世界のレジェンドジャンパーはドイツ、オーストリアに次ぐ銅メダルの位置に日本を押し上げた。
過去、ジャンプ団体はオーストリアが五輪、世界選手権、ワールドカップを通じて8連勝していた。古豪、ドイツがそれを阻止した。日本は長野五輪以来、復活の16年ぶりのメダル獲得だ。それは、満身創痍の銅メダルだった。葛西は腰を、伊東は膝を痛め2回目を飛び終え崩れ落ちた。竹内は五輪前ほとんど飛んでいない。風邪が悪化し肺炎を併発し入院したのだ。情報が入るたびに「これじゃ戦えないだろう」と思ったが、救いは日本へのスキーの伝道者オーストリアのレルヒ少佐から名をもらった清水礼留飛の笑顔だった。
「みんな頑張っていたから、メダルを取らせたかった。だから嬉しい」と葛西が泣いた。フラワーセレモニーに向かいながら、葛西は足を引きずる伊東の肩を抱いた。セレモニーの後、1位の台に3チームが乗り、全員が笑顔を見せた。金、銀、銅を合わせれば何色になるのかなと考えたとき、画面は涙で見えなくなった。