【다시, 납치를 쫓는 제9부 실행범들(5) 】
일한에 도랑, 공작원은 영웅에게
2013.9.21 08:50
배승(네의).공작원이 타인의 신분・호적을 빼앗는다고 하는 경찰 용어다.북한 공작원, 신광수(신・그스) 용의자(84)는 1980(쇼와 55) 년, 오사카시의 중화 요리점 점원, 원칙조(단지 열려)씨=납치 당시 (43)=를 미야자키현・아오시마 해안으로부터 공작선으로 북한에 납치했다.
그 후, 하라씨행세를 해, 여권등을 취득.온 세상을 날아다녔지만 85년 2월말, 첫입국한 한국에서 신병이 구속되었다.
신 용의자는 한국내에 구축한 북한 지하 조직을 지도하는 목적으로 입국했지만, 협력자의 한 명이 한국 당국에 자수.신 용의자가 들어 오는 것은 사전에 새고 있었다.
당시의 한국 정보 기관「국가안전기획부」(안기부)의 관계자는「 실은 누구의 명의로 들어 오는지 몰랐다」와 밝혔다.
안기부는 신 용의자를 체포하지 않고 이중스파이가 되도록 재촉했다.응하면 자유롭게 행동하게 해 스파이 조직을 일망타진으로 할 계획이었지만, 신 용의자는 떨어지지 않았다.
단지, 여권의 명의인인 하라씨의 납치에 대해서는 자백했다.설득은 실패에 끝나, 일본 측에 통보했던 것이었다.
하라씨납치사건도 신 용의 사람의 정보도 잡지 않았던 일본의 경찰 당국에는 충격이 달렸다.
신 용의자는 재일 한국・조선인으로 종전 후, 북한에서 대일 공작원에게 발탁(는 나무) 되었다.70년대부터 자주 공작선으로 일본에 밀입국하고 있었다.
경찰 당국은, (1) 진술의 증명반(2) 하라씨의 거주지 수사반(3) 서울에서의 청취반-의 3반을 만들었다.실행범은 확보되고 있어 자백도 하고 있다.「국외 이송 목적 탈취 용의로 구속 영장을 취득하는」와 수사진은 분발했다.
신 용의자의 공판은 85년 12월에 결심, 서울 지방 법원은 국가보안법 위반(스파이 행위) 죄로 사형 판결을 내렸다.공소・상고도 기각되었다.일본의 경찰 당국은, 한국측의 양해를 얻고, 서울에서 신 용의자를 합계 3회 청취했다.수사는 약 1년 계속 되었다.
일한은 수사 협력을 확인하고 있었다.한국은 국가보안법 위반죄, 일본은 국외 이송 목적 탈취죄로, 본래라면 같은 죄가 아니면 성립하지 않는 범죄자의 인도도, 납치 피해자가 일본인이므로 예외적으로 인정한다고 하는 합의가 성립했다.한국측은 일본의 공판에서도 북한 공작원의 실태를 폭로해, 문제가 국제화 하는 것을 바라고 있었다고 하는 배경도 있다.
하지만, 일본측은 최종적으로 신병의 이송도, 입건도 단념했다.수사 관계자가 말한다.
「신 용의자의 자백에는, 신용할 수 없는 부분이 포함되어 있다는 것이 최대의 이유였던 」
당시 , 국가보안법으로 관련되는 한국내의 스파이 사건은 수사도 재판도 무리했다.사실, 일본측이 증명 수사를 하면, 실수나 모순이 적지 않았다라고 한다.
한국측에는 큰 불만이 남았다.「우리는 북쪽과 전쟁을 하고 있기 때문에 일본에 정보를 제공했던 것이다.그러나 일본에 있어서는 단순한 형사사건.증거 능력이나 형식만에 집착했다.결국, 테러와 싸우고 있다라는 의식을 공유할 수 없었던 」
신 용의자는, 김대중 정권하에서 은사를 받아 석방이 되어, 2000년 가을, 남북 융화의 상징의「비전향 장기수의 송환」로 북한에 돌아갔다.비전향 장기수란, 정치적 사상의 전향을 거부한 복역수다.
신 용의자는 하라씨납치 이외에, 치무라 야스시씨(58), 후키 메구미씨(58) 부부의 납치도 주도했다.소가 히토미씨(54), 타구치 야에코씨=납치 당시 (22)=나, 요코타 메구미씨= 동(13)=의 교육계도 맡고 있었다.
이러한 실태가 판명된 것은 북한초`, (이)가 일본인 납치를 인정한 02년 9월의 일·북 정상회담 이후의 일이다.
납치 공작원은「영웅」로서 개선(개선) 했다.기념 우표도 발매되었다.「신광수 탈환」도 김정일 지령(이)었던 것은과의 의념은 지금도 피어오르고 있다.
= 제9부 끝
◇
연재는 모리모토 마사히코, 마츠오카붕지, 쿠보타자, 서울・카토 타츠야가 담당했습니다.
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130921/crm13092108540000-n1.htm
일한에 도랑, 공작원은 영웅에게
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日韓に溝、工作員は英雄に
【再び、拉致を追う 第9部 実行犯たち(5)】
日韓に溝、工作員は英雄に
2013.9.21 08:50
背乗(はいの)り。工作員が他人の身分・戸籍を乗っ取るという警察用語だ。北朝鮮工作員、辛光洙(シン・グァンス)容疑者(84)は1980(昭和55)年、大阪市の中華料理店店員、原敕晁(ただあき)さん=拉致当時(43)=を宮崎県・青島海岸から工作船で北朝鮮に拉致した。
その後、原さんに成りすまし、旅券などを取得。世界中を飛び回ったが85年2月末、初入国した韓国で身柄を拘束された。
辛容疑者は韓国内に構築した北朝鮮地下組織を指導する目的で入国したが、協力者の一人が韓国当局に自首。辛容疑者が入ってくることは事前に漏れていた。
当時の韓国情報機関「国家安全企画部」(安企部)の関係者は「実は誰の名義で入ってくるのか分からなかった」と明かした。
安企部は辛容疑者を逮捕せず二重スパイになるよう促した。応じれば泳がせてスパイ組織を一網打尽にする計画だったが、辛容疑者は落ちなかった。
ただ、旅券の名義人である原さんの拉致については自供した。説得は失敗に終わり、日本側に通報したのだった。
原さん拉致事件も辛容疑者の情報もつかんでいなかった日本の警察当局には衝撃が走った。
辛容疑者は在日韓国・朝鮮人で終戦後、北朝鮮で対日工作員に抜擢(ばってき)された。70年代からしばしば工作船で日本に密入国していた。
警察当局は、(1)供述の裏付け班(2)原さんの居住地捜査班(3)ソウルでの聴取班-の3班を作った。実行犯は確保されており、自供もしている。「国外移送目的略取容疑で逮捕状を取る」と捜査陣は意気込んだ。
辛容疑者の公判は85年12月に結審、ソウル地裁は国家保安法違反(スパイ行為)罪で死刑判決を下した。控訴・上告も棄却された。日本の警察当局は、韓国側の了解を得て、ソウルで辛容疑者を計3回聴取した。捜査は約1年続いた。
日韓は捜査協力を確認していた。韓国は国家保安法違反罪、日本は国外移送目的略取罪で、本来なら同じ罪でないと成立しない犯罪者の引き渡しも、拉致被害者が日本人なので例外的に認めるという合意が成立した。韓国側は日本の公判でも北朝鮮工作員の実態を暴露し、問題が国際化することを望んでいたという背景もある。
だが、日本側は最終的に身柄の移送も、立件も断念した。捜査関係者が語る。
「辛容疑者の自供には、信用できない部分が含まれているというのが最大の理由だった」
当時、国家保安法に絡む韓国内のスパイ事件は捜査も裁判も強引だった。事実、日本側が裏付け捜査をすると、間違いや矛盾が少なくなかったという。
韓国側には大きな不満が残った。「われわれは北と戦争をやっているから日本に情報を提供したのだ。しかし日本にとってはただの刑事事件。証拠能力や形式ばかりにこだわった。結局、テロと戦っているとの意識が共有できなかった」
辛容疑者は、金大中政権下で恩赦を受けて釈放となり、2000年秋、南北融和の象徴の「非転向長期囚の送還」で北朝鮮に帰った。非転向長期囚とは、政治的思想の転向を拒否した服役囚のことだ。
辛容疑者は原さん拉致以外に、地村保志さん(58)、富貴恵さん(58)夫妻の拉致も主導した。曽我ひとみさん(54)、田口八重子さん=拉致当時(22)=や、横田めぐみさん=同(13)=の教育係も務めていた。
こうした実態が判明したのは北朝鮮側が日本人拉致を認めた02年9月の日朝首脳会談以降のことだ。
拉致工作員は「英雄」として凱旋(がいせん)した。記念切手も発売された。「辛光洙奪還」も金正日指令だったのではとの疑念はいまもくすぶっている。
=第9部おわり
◇
連載は森本昌彦、松岡朋枝、久保田るり子、ソウル・加藤達也が担当しました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130921/crm13092108540000-n1.htm
日韓に溝、工作員は英雄に
2013.9.21 08:50
背乗(はいの)り。工作員が他人の身分・戸籍を乗っ取るという警察用語だ。北朝鮮工作員、辛光洙(シン・グァンス)容疑者(84)は1980(昭和55)年、大阪市の中華料理店店員、原敕晁(ただあき)さん=拉致当時(43)=を宮崎県・青島海岸から工作船で北朝鮮に拉致した。
その後、原さんに成りすまし、旅券などを取得。世界中を飛び回ったが85年2月末、初入国した韓国で身柄を拘束された。
辛容疑者は韓国内に構築した北朝鮮地下組織を指導する目的で入国したが、協力者の一人が韓国当局に自首。辛容疑者が入ってくることは事前に漏れていた。
当時の韓国情報機関「国家安全企画部」(安企部)の関係者は「実は誰の名義で入ってくるのか分からなかった」と明かした。
安企部は辛容疑者を逮捕せず二重スパイになるよう促した。応じれば泳がせてスパイ組織を一網打尽にする計画だったが、辛容疑者は落ちなかった。
ただ、旅券の名義人である原さんの拉致については自供した。説得は失敗に終わり、日本側に通報したのだった。
原さん拉致事件も辛容疑者の情報もつかんでいなかった日本の警察当局には衝撃が走った。
辛容疑者は在日韓国・朝鮮人で終戦後、北朝鮮で対日工作員に抜擢(ばってき)された。70年代からしばしば工作船で日本に密入国していた。
警察当局は、(1)供述の裏付け班(2)原さんの居住地捜査班(3)ソウルでの聴取班-の3班を作った。実行犯は確保されており、自供もしている。「国外移送目的略取容疑で逮捕状を取る」と捜査陣は意気込んだ。
辛容疑者の公判は85年12月に結審、ソウル地裁は国家保安法違反(スパイ行為)罪で死刑判決を下した。控訴・上告も棄却された。日本の警察当局は、韓国側の了解を得て、ソウルで辛容疑者を計3回聴取した。捜査は約1年続いた。
日韓は捜査協力を確認していた。韓国は国家保安法違反罪、日本は国外移送目的略取罪で、本来なら同じ罪でないと成立しない犯罪者の引き渡しも、拉致被害者が日本人なので例外的に認めるという合意が成立した。韓国側は日本の公判でも北朝鮮工作員の実態を暴露し、問題が国際化することを望んでいたという背景もある。
だが、日本側は最終的に身柄の移送も、立件も断念した。捜査関係者が語る。
「辛容疑者の自供には、信用できない部分が含まれているというのが最大の理由だった」
当時、国家保安法に絡む韓国内のスパイ事件は捜査も裁判も強引だった。事実、日本側が裏付け捜査をすると、間違いや矛盾が少なくなかったという。
韓国側には大きな不満が残った。「われわれは北と戦争をやっているから日本に情報を提供したのだ。しかし日本にとってはただの刑事事件。証拠能力や形式ばかりにこだわった。結局、テロと戦っているとの意識が共有できなかった」
辛容疑者は、金大中政権下で恩赦を受けて釈放となり、2000年秋、南北融和の象徴の「非転向長期囚の送還」で北朝鮮に帰った。非転向長期囚とは、政治的思想の転向を拒否した服役囚のことだ。
辛容疑者は原さん拉致以外に、地村保志さん(58)、富貴恵さん(58)夫妻の拉致も主導した。曽我ひとみさん(54)、田口八重子さん=拉致当時(22)=や、横田めぐみさん=同(13)=の教育係も務めていた。
こうした実態が判明したのは北朝鮮側が日本人拉致を認めた02年9月の日朝首脳会談以降のことだ。
拉致工作員は「英雄」として凱旋(がいせん)した。記念切手も発売された。「辛光洙奪還」も金正日指令だったのではとの疑念はいまもくすぶっている。
=第9部おわり
◇
連載は森本昌彦、松岡朋枝、久保田るり子、ソウル・加藤達也が担当しました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130921/crm13092108540000-n1.htm
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