이제 와서, 궁수 진 w
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いまさら、イテジンw
90年前3・1運動の口火になった 高宗皇帝の死が日本側の指示による毒殺だった、という情報を記録した当
時の日本の高位官僚の文書が 初めて発掘された。この文書は 1919年当時、日本宮内省の帝室会計審査局
長官だった倉富勇三郎(1853〜1948)が書いた日記で、
▲高宗毒殺の背景に 初代朝鮮総督寺内正毅(1852〜1919)と当時の朝鮮総督長谷川好道(1850〜1924)がおり
▲毒殺の理由は高宗が独立運動に係わったからだという
宮内省内の情報を記録した。
高宗毒殺の蓋然性に言及した
韓国資料は多かったが、日本政府の首脳部が介入したという
具体的情況と実
名を記録した 日本側の文書は今回が初めてだ。
李泰鎭(イ・テジン)ソ¥ウル大国史学科教授は 最近、日本の国会憲政資料室が所蔵している「倉富勇三郎日記」の該当部分の写本を入手し、この事実を27日、本紙に公開した。
李教授は京都大、永井和教授のホームページを通じて
文書の内容を知り、これに対する研究成果を来る4月23日、米国ハワイ大で開かれる学術会議で
論文発表¥する予¥定だと明らかにした。
◆「言うことを聞かなくて…隠蔽しようと殺した」
倉富は 大正8年(1919)10月26日の日記で東京大井町にある
伊藤博文の息子、博邦の家を訪問した後、帰
りの汽車で宋秉¥
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