(′∀`*) 재일 한국인을 보호하지 않으면, 이런 일은 일어나지 않았다···.
일본인 납치를 적극적으로 간 조선 범죄자 민족은, 더 이상, 일본에서 살아 나가는 가치가 있는 것입니까?
“수수께끼의 루트”로 공작선이 기다리는 일본해측에?
떠오르는 납치의 「점과선」
2월 8일 14시 13 분배신산케이신문
「오마치 루트」.북한에 의한 납치 피해자를 조사하고 있는 「특정 실종자 문제 조사회」(아라키 카즈히로 대표)이 눈을 붙이는 이상한 이치가 있다.치바로부터, 도쿄나 사이타마, 나가노를 거치고 일본해로 빠진다, 일찌기 재일 조선인등이 많이 사용하고 있던 물류 루트다.「실종자가 소식을 끊은 현장을 지도상에 떨어뜨리면, 기묘하게도 대부분이 루트상과 겹쳐진다」(조사회).종점은 북한 공작원의 상륙 포인트가 다수 설정되어 있던 일본해 연안.이“점과선”은 무엇을 이야기하고 있는 것인가….
■태평양측으로부터 실종의 수수께끼…실종자의 3할이 루트상
쇼와 37년 4월, 치바현 우나카미마치(현아사히시)의 자택에서 미용실로 나간 채로 행방불명이 된 가사 도와, 카세 텔자씨=실종 당시 (17)=는, 조사회가 「납치 농후」라고 하는 실종자다.다음날에는 신쥬쿠 코마극장에 연극구경에 갈 약속을 숙모로 하고 있었다고 해, 실종시의 소지금은 파마대만이었다.
카세씨 외에도, 주변에서는 6건의 실종 사안(미계도 포함한다)이 있었던 것이 조사회의 조사로 판명되어 있다.
하지만, 만일 이러한 실종 사안이 납치사건이라고 해도, 해상 교통량이 많은 태평양 측에, 공작선이 가까워지는 것은 사건 발각의 리스크를 수반한다.거기서, 조사회가 세운 가설이 「태평양측에서 납치해, 일본해측까지 육로에서 옮겨졌다고 하면, 어떠한 루트인가」였다.
히 트는, 현지에서의 탐문해 조사에서 발견되었다.
「여기는 물엿의 산지에서,재일 조선인의 사람들이 대부분 종사하고 있던예요」
현지조사때, 현지 주민은 항설명 했다고 한다.물엿은 소주의 맛내기를 위해, 일본해측으로부터 북한에 수출되고 있었다.그리고, 그것들을 일본해측까지 옮긴 루트가 「오마치 루트」였다.
치바를 기점으로 도쿄나 사이타마, 야마나시, 루트명이나 된 나가노·오마치를 거치고, 이토이가와 부근에서 니가타, 토야마로 나누어진다.
니가타항은 북한의 화객선, 만경봉호가 입항하고 있던 것으로 알려져 토야마의 히미항에도, 북한과의 사이를 왕복하는 화물선이 빈번히 출입하고 있었다.
조사회의 마나베정수부대표는 「( 「오마치 루트」를 사용해) 니가타, 토야마의 재일 조선인이 식육이나 해산물등을 차로 옮기고 있었다.루트 주변에는 재일의 사람들이 대부분 거주하는 지역도 있어, 중요한 루트다 다」라고 해설한다.
호쿠리쿠로부터 니가타에 걸친 일본해 측에는, 공작원의 상륙 포인트가 다수 설정되어 있었다.
「거기에는 공작원을 숨겨두거나 하는 「토대인」으로 불리는 협력자가 있었을 것이다」.납치 문제에 임하는 관계자는 그렇게 지적한다.
재일 조선인등 중(안)에서 공작원이 주목할 수 있었던 사람들이, 북한에 있는 친족의 안전과 교환에 공작 활동에의 협력을 강요받은(일)것은, 지금까지의 납치사건의 수사나 한국에서의 공판의 내용으로 밝혀지고 있다.
조사회에 의하면, 실종자가 행방불명이 된 현장이 오마치 루트상과 겹쳐지는 케이스는, 약 150건에도 오른다고 한다.
이것은, 조사회에 정보가 전해지고 있는 실종자 약 470명의 약 3할에 달해, 「우연의 일치」라고 하려면 확실히 너무 많다.현장은 관동에 집중하고 있지만, 루트 도중의 지방에도, 실종 포인트는 많이 점재한다.
「이 루트로 납치 피해자가 옮겨진 가능성은 다 버릴 수 없다」
마나베부대표는 그렇게 말한다.
조사회에는, 그“실증예”라고도 할 수 있는 증언이 전해진 적도 있었다.
■「청년을 니가타에 옮기는 것을 도왔다」…루트와 부합 하는 증언
헤세이 16년 10월말, 조사회에 한 개가 전화가 왔다.
「(치바현내에 있다) 병원의 관련 시설로부터 니가타에 옮기는 것을 수전원 되었다.조사회가 발표한 그 청년이다.후지타씨야」
남자는 당시 60세 정도.북한과 관계가 깊다고 여겨지는 도내의 병원 관계자의 운전기사를 하고 있었다고 자칭 했다고 한다. 조사회는 전화에 앞서는 동년 8월, 쇼와 51년 2월에 사이타마현 카와구치시의 자택으로부터 가드맨의 아르바이트에 가면 나간 채로 실종한 도쿄 학예 대생, 후지타 스스무씨= 동(19)=에 대해서, 「납치 농후/`v라고 발표하고 있었다.
조사회는 남자와 접촉을 거듭했다.
「야마나시를 다니며 일본해측에서 토야마 방면으로 나누어지는 곳에서 니가타에 가, 만경봉호에 실었다」 「(후지타씨는) 울고 있었다」….
남자는 그렇게 증언했다.경시청에도 「후지타씨의 납치와 관계되었다」라고 하는 취지의 진술을 했다고 한다.그“납치”루트는, 확실히 「오마치 루트」그 자체였다. 「하지만…」이라고, 마나베부대표는 톤을 떨어뜨리면서 말을 계속한다.
「유감스럽지만, 남자의 이야기의 신빙(신빙) 성을 증명하는 것은 아무것도 없다.「오마치 루트」는 어디까지나 가설에 머무르고 있다」
낡은 이야기이며, 경찰의 수사에서도, 남자의 증언 내용을 지금 확인하는 것은 불가능에 가깝기 때문이다.
■타구치 야에코씨는? 떠오르는“상황 증거”
정부 인정의 납치 피해자중에도, 어디에서 데리고 나가졌는지 모르는 피해자가 있다.타구치 야에코씨=납치 당시 (22)=다. 쇼와 53년 6월, 근무처의 도쿄·이케부쿠로의 음식점에서 알게 된 「미야모토 아키라」를 자칭하는 재일 조선인의 보조 공작원에게 「온천에 가자」라고 꾀어내졌다고 여겨지고 있다.
「가까운 시일내에 니가타로 여행하러 간다」
타구치씨는 납치되는 조금 전, 음식점의 동료에게, 와 이야기하고 있던 것을 알고 있다.니가타·사와타리섬은, 조리사를 하고 있던 타구치씨의 어머니의 고향이기도 해, 수사 당국이 「타구치씨는 니가타에서 납치되었다」라고의 견해를 강하게 했던 시기도 있었다.
조사회에 전화를 해 온 남자가 관계하고 있었다고 하는 도내의 병원.여기에는, 「미야모토 아키라」가 암으로 일시 입원하고 있었다고 여겨져 의혹의 「점과선」은, 어슴푸레하면서 납치사건과의 관련성을 떠오르게 하고 있다.
하지만, 북한측은 헤세이 16년의 일·북 실무자 협의에서, 「공작원이 「(미야자키시의) 아오시마 해안까지 가자」와 타구치씨를 유인한 다음, 아오시마 해안에서 타구치씨를 데리고 와서, 해주(헤쥬)로부터 입경 했다」라고 설명.
타구치씨의 형(오빠), 이이즈카 시게오씨(70)도, 귀국한 피해자, 치무라 후키 메구미씨(53)로부터 「타구치씨는 아오시마로부터 배에 실리고 남포(난포)에 데려 올 수 있었다고 (들)물었다」라고 (듣)묻고 있다. 입키타바소는 다르지만, 「아오시마 해안」이라고 하는 포인트는 공통된다.
아오시마 해안은 납치 피해자, 원칙조(단지 열려)씨= 동(43)=가, 오사카로부터 취직 면접의 명목으로 꾀어내져 납치된 현장이기도 해, 공작원이 출입국을 반복하는 포인트였다. 니가타인가, 미야자키인가-.타구치씨가 동반출자세한 것은 확실하게 되지 않았다.
「납치 현장 근처에 직접 공작선이 오면 발각되기 쉽다.현장으로부터 멀어진 장소에 대상자를 데리고 가, 공작선에 싣는 것이 북한에 있어서는 안전한 방법이다」
마나베부대표는, 복수의 「납치 루트」가 존재한 가능성을 지적한 다음, 「그 중의 하나가 「오마치 루트」이며, 대상자나 납치 현장, 실행범의 지시 계통등에 의해서, 구분하여 사용할 수 있고 있었을지도 모른다」라고 이야기한다. 오마치 루트의 어둠의 해명이 납치사건을 전진시키는 계기가 된다.
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090208-00000530-san-soci
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재일 한국인은, 범죄자 집단의 소굴입니다
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sensenfukoku
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在日韓国人は、犯罪者集団の巣窟です
(´∀`*) 在日韓国人を保護しなければ、こんなことは起こらなかった・・・。
日本人拉致を積極的に行った朝鮮犯罪者民族は、これ以上、日本で生き続ける価値があるのでしょうか?
“謎のルート”で工作船の待つ日本海側へ?
浮かび上がる拉致の「点と線」
2月8日14時13分配信 産経新聞
「大町ルート」。北朝鮮による拉致被害者を調べている「特定失踪者問題調査会」(荒木和博代表¥)が目を付ける不思議な道筋がある。千葉から、東京や埼玉、長野を経て日本海へと抜ける、かつて在日朝鮮人らが多く使っていた物流ルートのことだ。「失踪者が消息を絶った現場を地図上に落とすと、奇妙にも多くがルート上に重なる」(調査会)。終点は北朝鮮工作員の上陸ポイントが多数設定されていた日本海沿岸。この“点と線”は何を物語っているのか…。
■太平洋側から失踪の謎…失踪者の3割がルート上
昭和37年4月、千葉県海上町(現旭市)の自宅から美容院に出かけたまま行方不明となった家事手伝い、加瀬テル子さん=失跡当時(17)=は、調査会が「拉致濃厚」とする失踪者だ。翌日には新宿コマ劇場へ観劇へ行く約束を叔母としていたといい、失踪時の所持金はパーマ代のみだった。
加瀬さんのほかにも、周辺では6件の失踪事案(未届も含む)があったことが調査会の調べで判明している。
だが、仮にこれらの失跡事案が拉致事件だとしても、海上交通量が多い太平洋側に、工作船が近づくことは事件発覚のリスクを伴う。そこで、調査会が立てた仮説が「太平洋側で拉致し、日本海側まで陸路で運ばれたとすれば、どのようなルートか」だった。
ヒントは、現地での聞き込み調査でみつかった。
「ここは水あめの産地で、在日朝鮮人の人々が多く従事していたんですよ」
現地調査の際、地元住民はこう説明したという。水あめは焼酎の味付けのため、日本海側から北朝鮮へ輸出されていた。そして、それらを日本海側まで運んだルートが「大町ルート」だった。
千葉を起点に東京や埼玉、山梨、ルート名ともなった長野・大町を経て、糸魚川付近で新潟、富山に分かれる。
新潟港は北朝鮮の貨客船、万景峰号が入港していたことで知られ、富山の氷見港にも、北朝鮮との間を往復する貨物船が頻繁に出入りしていた。
調査会の真鍋貞樹副代表¥は「(『大町ルート』を使って)新潟、富山の在日朝鮮人が食肉や海産物などを車で運んでいた。ルート周辺には在日の人々が多く居住する地域もあり、大切なルートだっだ」と解説する。
北陸から新潟にかけての日本海側には、工作員の上陸ポイントが多数設定されていた。
「そこには工作員をかくまったりする『土台人』と呼ばれる協力者がいたはずだ」。拉致問題に取り組む関係者はそう指摘する。
在日朝鮮人らの中で工作員に目をつけられた人々が、北朝鮮にいる親族の安全と引き換えに工作活動への協力を強要されたことは、これまでの拉致事件の捜査や韓国での公判の内容で明らかになっている。
調査会によると、失踪者が行方不明となった現場が大町ルート上に重なるケースは、約150件にも上るという。
これは、調査会に情報が寄せられている失踪者約470人の約3割に達し、「偶然の一致」とするには確かに多すぎる。現場は関東に集中しているが、ルート途中の地方にも、失踪ポイントは多く点在する。
「このルートで拉致被害者が運ばれた可能¥性は捨てきれない」
真鍋副代表¥はそう語る。
調査会には、その“実証例”ともいえる証言が寄せられたこともあった。
■「青年を新潟に運ぶのを手伝った」…ルートと符合する証言
平成16年10月末、調査会に一本の電話が入った。
「(千葉県内にある)病院の関連施設から新潟に運ぶのを手伝わされた。調査会が発表¥したあの青年だ。藤田さんだよ」
男は当時60歳ぐらい。北朝鮮と関係が深いとされる都内の病院関係者の運転手をしていたと自称したという。 調査会は電話に先立つ同年8月、昭和51年2月に埼玉県川口市の自宅からガードマンのアルバイトに行くと出かけたまま失跡した東京学芸大生、藤田進さん=同(19)=について、「拉致濃厚」と発表¥していた。
調査会は男と接触を重ねた。
「山梨を通って日本海側で富山方面に分かれる所から新潟へ行き、万景峰号に乗せた」「(藤田さんは)泣いていた」…。
男はそう証言した。警視庁にも「藤田さんの拉致にかかわった」という趣旨の供述をしたという。その“拉致”ルートは、まさに「大町ルート」そのものだった。 「だが…」と、真鍋副代表¥はトーンを落としながら言葉を続ける。
「残念ながら、男の話の信憑(しんぴょう)性を裏付けるものは何もない。『大町ルート』はあくまでも仮説にとどまっている」
古い話であり、警察の捜査でも、男の証言内容を今確認するのは不可能¥に近いためだ。
■田口八重子さんは? 浮かび上がる“状況証拠”
政府認定の拉致被害者の中にも、どこから連れ出されたか分かっていない被害者がいる。田口八重子さん=拉致当時(22)=だ。 昭和53年6月、勤務先の東京・池袋の飲食店で知り合った「宮本明」を名乗る在日朝鮮人の補助工作員に「温泉に行こう」と誘い出されたとされている。
「近く新潟へ旅行に行く」
田口さんは拉致される少し前、飲食店の同僚に、こう話していたことが分かっている。新潟・佐渡島は、調理師をしていた田口さんの母の故郷でもあり、捜査当局が「田口さんは新潟で拉致された」との見方を強めた時期もあった。
調査会に電話をしてきた男が関係していたという都内の病院。ここには、「宮本明」ががんで一時入院していたとされ、疑惑の「点と線」は、おぼろげながら拉致事件との関連性を浮かび上がらせている。
だが、北朝鮮側は平成16年の日朝実務者協議で、「工作員が『(宮崎市の)青島海岸まで行こう』と田口さんを誘引した上で、青島海岸から田口さんを連れてきて、海州(ヘジュ)から入境した」と説明。
田口さんの兄、飯塚繁雄さん(70)も、帰国した被害者、地村富貴恵さん(53)から「田口さんは青島から船に乗せられ、南浦(ナンポ)に連れてこられたと聞いた」と聞いている。 入北場所は異なるものの、「青島海岸」というポイントは共通する。
青島海岸は拉致被害者、原敕晁(ただあき)さん=同(43)=が、大阪から就職面接の名目で誘い出され、拉致された現場でもあり、工作員が出入国を繰り返すポイントだった。 新潟か、宮崎か−。田口さんが連れ出された詳細は定かになっていない。
「拉致現場近くに直接工作船が来れば発覚しやすい。現場から離れた場所に対象者を連れて行き、工作船に乗せるのが北朝鮮にとっては安全な方法だ」
真鍋副代表¥は、複数の「拉致ルート」が存在した可能¥性を指摘した上で、「その中のひとつが『大町ルート』であり、対象者や拉致現場、実行犯の指示系統などによって、使い分けられていたのかもしれない」と話す。 大町ルートの闇の解明が拉致事件を前進させるきっかけになる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090208-00000530-san-soci
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日本人拉致を積極的に行った朝鮮犯罪者民族は、これ以上、日本で生き続ける価値があるのでしょうか?
“謎のルート”で工作船の待つ日本海側へ?
浮かび上がる拉致の「点と線」
2月8日14時13分配信 産経新聞
「大町ルート」。北朝鮮による拉致被害者を調べている「特定失踪者問題調査会」(荒木和博代表¥)が目を付ける不思議な道筋がある。千葉から、東京や埼玉、長野を経て日本海へと抜ける、かつて在日朝鮮人らが多く使っていた物流ルートのことだ。「失踪者が消息を絶った現場を地図上に落とすと、奇妙にも多くがルート上に重なる」(調査会)。終点は北朝鮮工作員の上陸ポイントが多数設定されていた日本海沿岸。この“点と線”は何を物語っているのか…。
■太平洋側から失踪の謎…失踪者の3割がルート上
昭和37年4月、千葉県海上町(現旭市)の自宅から美容院に出かけたまま行方不明となった家事手伝い、加瀬テル子さん=失跡当時(17)=は、調査会が「拉致濃厚」とする失踪者だ。翌日には新宿コマ劇場へ観劇へ行く約束を叔母としていたといい、失踪時の所持金はパーマ代のみだった。
加瀬さんのほかにも、周辺では6件の失踪事案(未届も含む)があったことが調査会の調べで判明している。
だが、仮にこれらの失跡事案が拉致事件だとしても、海上交通量が多い太平洋側に、工作船が近づくことは事件発覚のリスクを伴う。そこで、調査会が立てた仮説が「太平洋側で拉致し、日本海側まで陸路で運ばれたとすれば、どのようなルートか」だった。
ヒントは、現地での聞き込み調査でみつかった。
「ここは水あめの産地で、在日朝鮮人の人々が多く従事していたんですよ」
現地調査の際、地元住民はこう説明したという。水あめは焼酎の味付けのため、日本海側から北朝鮮へ輸出されていた。そして、それらを日本海側まで運んだルートが「大町ルート」だった。
千葉を起点に東京や埼玉、山梨、ルート名ともなった長野・大町を経て、糸魚川付近で新潟、富山に分かれる。
新潟港は北朝鮮の貨客船、万景峰号が入港していたことで知られ、富山の氷見港にも、北朝鮮との間を往復する貨物船が頻繁に出入りしていた。
調査会の真鍋貞樹副代表¥は「(『大町ルート』を使って)新潟、富山の在日朝鮮人が食肉や海産物などを車で運んでいた。ルート周辺には在日の人々が多く居住する地域もあり、大切なルートだっだ」と解説する。
北陸から新潟にかけての日本海側には、工作員の上陸ポイントが多数設定されていた。
「そこには工作員をかくまったりする『土台人』と呼ばれる協力者がいたはずだ」。拉致問題に取り組む関係者はそう指摘する。
在日朝鮮人らの中で工作員に目をつけられた人々が、北朝鮮にいる親族の安全と引き換えに工作活動への協力を強要されたことは、これまでの拉致事件の捜査や韓国での公判の内容で明らかになっている。
調査会によると、失踪者が行方不明となった現場が大町ルート上に重なるケースは、約150件にも上るという。
これは、調査会に情報が寄せられている失踪者約470人の約3割に達し、「偶然の一致」とするには確かに多すぎる。現場は関東に集中しているが、ルート途中の地方にも、失踪ポイントは多く点在する。
「このルートで拉致被害者が運ばれた可能¥性は捨てきれない」
真鍋副代表¥はそう語る。
調査会には、その“実証例”ともいえる証言が寄せられたこともあった。
■「青年を新潟に運ぶのを手伝った」…ルートと符合する証言
平成16年10月末、調査会に一本の電話が入った。
「(千葉県内にある)病院の関連施設から新潟に運ぶのを手伝わされた。調査会が発表¥したあの青年だ。藤田さんだよ」
男は当時60歳ぐらい。北朝鮮と関係が深いとされる都内の病院関係者の運転手をしていたと自称したという。 調査会は電話に先立つ同年8月、昭和51年2月に埼玉県川口市の自宅からガードマンのアルバイトに行くと出かけたまま失跡した東京学芸大生、藤田進さん=同(19)=について、「拉致濃厚」と発表¥していた。
調査会は男と接触を重ねた。
「山梨を通って日本海側で富山方面に分かれる所から新潟へ行き、万景峰号に乗せた」「(藤田さんは)泣いていた」…。
男はそう証言した。警視庁にも「藤田さんの拉致にかかわった」という趣旨の供述をしたという。その“拉致”ルートは、まさに「大町ルート」そのものだった。 「だが…」と、真鍋副代表¥はトーンを落としながら言葉を続ける。
「残念ながら、男の話の信憑(しんぴょう)性を裏付けるものは何もない。『大町ルート』はあくまでも仮説にとどまっている」
古い話であり、警察の捜査でも、男の証言内容を今確認するのは不可能¥に近いためだ。
■田口八重子さんは? 浮かび上がる“状況証拠”
政府認定の拉致被害者の中にも、どこから連れ出されたか分かっていない被害者がいる。田口八重子さん=拉致当時(22)=だ。 昭和53年6月、勤務先の東京・池袋の飲食店で知り合った「宮本明」を名乗る在日朝鮮人の補助工作員に「温泉に行こう」と誘い出されたとされている。
「近く新潟へ旅行に行く」
田口さんは拉致される少し前、飲食店の同僚に、こう話していたことが分かっている。新潟・佐渡島は、調理師をしていた田口さんの母の故郷でもあり、捜査当局が「田口さんは新潟で拉致された」との見方を強めた時期もあった。
調査会に電話をしてきた男が関係していたという都内の病院。ここには、「宮本明」ががんで一時入院していたとされ、疑惑の「点と線」は、おぼろげながら拉致事件との関連性を浮かび上がらせている。
だが、北朝鮮側は平成16年の日朝実務者協議で、「工作員が『(宮崎市の)青島海岸まで行こう』と田口さんを誘引した上で、青島海岸から田口さんを連れてきて、海州(ヘジュ)から入境した」と説明。
田口さんの兄、飯塚繁雄さん(70)も、帰国した被害者、地村富貴恵さん(53)から「田口さんは青島から船に乗せられ、南浦(ナンポ)に連れてこられたと聞いた」と聞いている。 入北場所は異なるものの、「青島海岸」というポイントは共通する。
青島海岸は拉致被害者、原敕晁(ただあき)さん=同(43)=が、大阪から就職面接の名目で誘い出され、拉致された現場でもあり、工作員が出入国を繰り返すポイントだった。 新潟か、宮崎か−。田口さんが連れ出された詳細は定かになっていない。
「拉致現場近くに直接工作船が来れば発覚しやすい。現場から離れた場所に対象者を連れて行き、工作船に乗せるのが北朝鮮にとっては安全な方法だ」
真鍋副代表¥は、複数の「拉致ルート」が存在した可能¥性を指摘した上で、「その中のひとつが『大町ルート』であり、対象者や拉致現場、実行犯の指示系統などによって、使い分けられていたのかもしれない」と話す。 大町ルートの闇の解明が拉致事件を前進させるきっかけになる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090208-00000530-san-soci
ELECT,input,DIV,form,TEXTAREA,option { font-size:0.9em; font-family: sans-serif; line-height:normal; letter-spacing:normal; }
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