자신으로부터 일본에 도망하고 있는 주제에 강제 노동을 주장!w
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JA
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kerorin
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2017년 08월 16일 중앙 일보
「운명적이다면 밖에 말할 수 없다.1989년, 도쿄가 있는 헌책방에서 「원폭과 조선인」이라고 하는 책자를 만났다.일본인 인권 운동가 오카 마사하루 목사(1994년 사망)가 대표를 맡고 있던 「나가사키·재일 조선인의 인권을 지키는 회」로부터 나와 있던 것으로, 일본인 특유의 끈질김으로, 나가사키 원폭에 의해서 사망한 조선인이 1만~1만 2000명이라고 하는 추산치를 산출해 제시하고 있었다」
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自分から日本に逃亡してるくせに強制労働を主張!w
80年代に自分から韓国を捨て日本に逃亡した韓国人が戦前の強制労働を主張w
戦前の朝鮮は日本より豊かでよほど進んだ国だったと妄想してるのでしょうwww
「逃げるように選んだ日本行き、そこで出会った軍艦島…すべて運命」
2017年08月16日 中央日報
「運命的だとしか言いようがない。1989年、東京のある古本屋で『原爆と朝鮮人』という冊子に出会った。日本人人権運動家の岡正治牧師(1994年死去)が代表を務めていた『長崎・在日朝鮮人の人権を守る会』から出されていたもので、日本人特有の粘り強さで、長崎原爆によって死亡した朝鮮人が1万~1万2000人という推算値を算出して提示していた」
韓氏は「そのような歴史を知らなかったという自責の念にかられて小説の執筆に必要な取材を始めた」と話した。韓氏は当時、日本に住んでいた。81年に中央日報に連載していた小説『欲望の街』の内容の一部がきっかけで保安司令部(保安司)に連行されて拷問を受けたが、その時保安司令官だった盧泰愚(ノ・テウ)氏が87年に大統領に当選してすぐ翌年、故国に背を向けたところだった。「途方もない巨悪に目を開き、歴史と社会に対する関心の幅を広めていった頃、ちょうど軍艦島について知った」と話した。当時、軍艦島は最近と比べると出入りははるかに自由だった。徴用被害者の年齢も70代が多く、一緒に島に入って現場調査ができた。「そのような偶然的な要素は、今考えると運命的に感じられる」ということだった。
なぜ軍艦島だったのだろうか。映画とは違い、小説は長崎の原爆被害を大きく扱っている。当時、長崎は日本の軍需財閥・三菱の根拠地だった。太平洋戦争で使われた日本軍の魚雷の80%が長崎の三菱製作所で製造された。兵器製作所だけで朝鮮人徴用者が2000人以上が連れてこられて働いていた。このため朝鮮人の原爆被害が大きくならざるをえなかった。それに比べて軍艦島と呼ばれた瑞島の朝鮮人徴用者は500~800人に過ぎなかった。だが、地獄島と呼ばれた。周辺の海流は激しく、一度島に足を踏み入れれば脱出は不可能だった。長崎刑務所の囚人を苛酷に働かせて軍艦島の炭鉱を開拓した時期の名残が残っていたため、殴打が日常的だったほど朝鮮人徴用者は手ひどく扱われた。韓氏は「一言で、軍艦島は日本軍国主義が圧縮された場所だった」と話した。
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