基本的に(「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)、無期限で、公式で、フル映画が公開される様になった様なので、リンクを、そちらの方に入れ替えました)、去年の9月の下旬に行った投稿の再掲です。
千住(senjyu)火力発電所は、足立(adachi)区(東京中心部(東京23区)の東部(下町・旧市街)に位置する区で、東京中心部(東京23区)の北東端部に位置する区)に、かつて存在していた、火力発電所です。
千住(senjyu)火力発電所は、1926年から1963年までの間、稼働していました(1963年に稼働を停止。1964年に、建物が解体されました)。
千住(senjyu)火力発電所の、高さ、約80mの、4本の巨大な煙突(3本は、1926年に、廃止された日本国内の他の火力発電所の1905年に建てられた煙突を移設、残りの1本は、1927年に増設した物)は、見る角度によって、本数が違う様に見える事から、お化け煙突と言われていました。
写真は、借り物。千住(senjyu)火力発電所の、お化け煙突。1940年代中期から1950年代前半頃。
見る角度によって、本数が違う様に見える、お化け煙突→
https://www.city.adachi.tokyo.jp/hakubutsukan/chiikibunka/hakubutsukan/shiryo-obakentotsu.html
千住(senjyu)火力発電所の、お化け煙突は、後述する、「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)に出て来ます。ちなみに、千住(senjyu)火力発電所は、「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)が公開された年(1963年)に稼働を停止し、お化け煙突は、翌年(1964年に)、千住(senjyu)火力発電所の建物の解体と共に解体されました。
橋 幸夫(hashi yukio)さんは、最近(9月4日に)、病気により、82歳で、お亡くなりになったようですね。故人の、ご冥福をお祈りいたします。
「いつでも夢を」は、1963年の、日本の、青春、恋愛映画で、橋 幸夫(hashi yukio)、吉永 小百合(yoshinaga sayuri)、浜田 光夫(hamada mitsuo)主演の映画です。
橋 幸夫(hashi yukio)(1943年生まれ)は、1960年、17歳の時に、デビュー(debut)した、日本の、歌手・俳優です。
橋
幸夫(hashi yukio)は、舟木 一夫(funaki
kazuo)(1944年生まれ。1963年、18歳の時に、デビュー(debut)した、日本の、歌手・俳優)、西郷 輝彦(saigo
teruhiko)(1947年生まれ。2022年に亡くなる。1964年、17歳の時に、デビュー(debut)した、日本の、歌手・作詞家・作曲家・俳優)と共に、1960年代において、おそらく、高校生から大学生位の年代を中心とした、10代から20代の、当時の、日本の、若い女性達に、人気があった、1960年代の、日本の、3大、男性アイドル(idol)歌手です。
橋 幸夫(hashi yukio)、舟木 一夫(funaki kazuo)、西郷 輝彦(saigo teruhiko)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
60年代3大男アイドル歌手他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/4022457?&sfl=membername&stx=nnemon2
60年代3大男アイドル歌手他(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/4022457?&sfl=membername&stx=nnemon2
吉永 小百合(yoshinaga sayuri)(1945年生まれ)は、1950年代後期から活動を行い、1960年代初めから活躍している、日本の女優です。
吉永
小百合(yoshinaga sayuri)は、松原 智恵子(matsubara
chieko)(1945年生まれ。1960年代には、主に、映画女優として活躍、1970年代以降は、主に、テレビ(TV)ドラマ(drama)の女優として活躍していた、日本の女優。2010年代頃まで活躍していて、現在は、高齢で出演は少ないものの、まだ引退はしていない様です)、和泉
雅子(izumi
masako)(1947年生まれ。比較的最近(7月9日に)、病気により(癌により)、77歳で、亡くなる。1950年代後期、子役の頃から活動を行い、1960年代初めから活躍していた、日本の女優で、若い頃(1960年代)には、アイドル(idol)的な女優として、人気を博していた女優)と共に、日活(nikkatsu)(日本の大規模映画会社の一つ)の、3大、アイドル(idol)的な女優として、売り出され、人気を博していた女優です。
松原 智恵子(matsubara chieko)と和泉 雅子(izumi masako)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
銭湯・霧子のタンゴ他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3912419/page/13?&sfl=membername&stx=nnemon2
銭湯・霧子のタンゴ他(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/3912419/page/13?&sfl=membername&stx=nnemon2
浜田
光夫(hamada
mitsuo)(1943年生まれ)は、1950年代中期(子役の頃)から、1990年代頃にかけて活躍していた日本の俳優で、1960年代初めから1960年代中期までは、(おそらく、格好良いと言うより、可愛い系の外貌で)、若い女性達に、アイドル(idol)的な人気を博すると共に、(個性はあるが、派手ではない外貌と、安定した演技力により、おそらく、ヒロイン(女性の主人公)の役を演じる、吉永
小百合(yoshinaga sayuri)の引き立て役と言った感じで)、映画で、よく、吉永 小百合(yoshinaga
sayuri)と共演していた俳優です。
以下、基本的に、wikiより(記憶頼りに加筆している部分に関して、細かい点で、間違っている部分があったら申し訳ありません)、「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)の、概要と、あらすじです(ネタバレを含む)。「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)は、東京中心部(東京23区)の東部(旧市街)の、中小規模の工場が建ち並び、(工場で働く)工場労働者達が暮らす、工場街(工場の街)を舞台とした映画です。
貧しくても、幸せを求めて、ひたむきに生きる若者たちの恋と友情と青春が描かれる。
勝利(katsutoshi)(浜田
光夫(hamada
mitsuo)が演じる。後述します)が勤務する工場、「森田(morita)機械製作所」では、一か月に一回、三原(mihara)(工場街(工場の街)で開業している医者。ずっと独身か、結婚していたが、妻が病気等で亡くなったか離婚しており、妻はいない。患者(この街に暮らす労働者等)を、安い診療費か無料で診ている為、医者であるが、裕福ではなく、むしろ貧しい)の、厚意で、無料で健康診断を行っている。共にやって来る三原(mihara)の養女(養子)で、(自宅(自分の家)で開業している)三原(mihara)の病院で、準看護婦(看護婦の見習い)として働いている、ひかる(hikaru)(吉永
小百合(yoshinaga
sayuri)が演じる。両親共、亡くなり、孤児となり、隣で暮らしていた、とても貧しい、画家の青年に引き取られたが、その青年も、病気で死んでしまい、その後、仏教の僧侶(僧)に引き取られた後、三原(mihara)の養女(養子)となり、三原(mihara)に育てられた。最終的には、(正式な)看護婦になる事を目指している)が大人気で、工員(工場に勤務する工場労働者)が、健康診断に、殺到するのであった。工員(工場に勤務する工場労働者)の1人、勝利(katsutoshi)(父親が家族を捨てて、出て行ってしまった、母が一人、弟が一人の、とても貧しい家で暮らしており、(とても若い(高校生の年齢の)工場労働者として、まだ賃金が低い)勝利(katsutoshi)が、家(家族)の家計を支えている)は、ひかる(hikaru)と夜間高校(定時制高校・夜に授業を行う高校)の同級生(同じ学校の、同じクラスの生徒)でもあった。
新任の(新しく、この地区の担当となった)、若い(20歳位の)トラック(truck)運転手、留次(tomeji)(橋
幸夫(hashi
yukio)が演じる)が工場への出入りを始め、勝利(katsutoshi)と、ひかる(hikaru)と仲良くなる。父親が、家族を捨てて、家を出て行ってしまった為、家族(母と弟)の生活を支える勝利(katsutoshi)は「全日制(普通の、昼間の高校に通う高校生達)に負けない学力をつけて、一流の会社に就職するのが(一流の大規模会社の会社員になるのが)夢だ」と留次(tomeji)に話す。留次(tomeji)は、日本の東北地方の、田舎の村で生まれた、8人兄弟・姉妹の末っ子で(一番下の子供で)、生活の為に、故郷の、日本の東北地方の、田舎の村から東京に出て来て以来、勉学(勉強・学校)に縁がなく、夢に向かう、勝利(katsutoshi)に秘かに敬意を抱く。
勝利(katsutoshi)と留次(tomeji)は、ひかる(hikaru)の家(三原(mihara)と、ひかる(hikaru)が2人で暮らしている家)に、ひかる(hikaru)の誕生日partyに呼ばれる(近所の、子供達と、ひかる(hikaru)が三原(mihara)の養女(養子)となる前に、ひかる(hikaru)を引き取っていた仏教の僧侶(僧)も、呼ばれている)。その帰途(その帰りに)、勝利(katsutoshi)と居酒屋で飲んだ際に(ちなみに、勝利(katsutoshi)は、未成年なので、お酒ではなく、お茶を飲んでいる)、留次(tomeji)は、勝利(katsutoshi)に、ひかる(hikaru)に好意を持っている事を明かす。勝利(katsutoshi)の狼狽ぶりから、同じ様に、ひかる(hikaru)に対する、勝利(katsutoshi)の恋心を、見て取った留次(tomeji)は、「これからは、彼女への態度は、五分で張り合おうじゃないか(対等に勝負しよう)。」と告げ、友情を保ったまま、恋のライバル(rival)関係となる。
そんな中、勝利(katsutoshi)の弟が父に偶然再会し、父が、(勝利(katsutoshi)が、母、弟と共に暮らす)家に訪れていた事を知った、勝利(katsutoshi)(家族を捨てて、家を出て行った父を恨んでいる)は、怒り、母に対して、父を家に入れるなと言ったじゃないか(父を家に入れるなと言ったはずだ)と言い、弟に対して、父に買って貰った物を父に返すように言う。
勝利(katsutoshi)は、学校での良い成績が認められ、志望する、大規模、商社(総合的な商品の仲介会社・貿易会社)の、(おそらく大学卒業者では無く、高校卒業者の採用枠の)入社試験に臨むが、夜間高校(定時制高校・夜に授業を行う高校)出身者に対する偏見により不採用となる。勝利(katsutoshi)は落ち込み、工場にも夜間高校(定時制高校・夜に授業を行う高校)にも現れなくなる。心配した、ひかる(hikaru)が、自宅(自分の家)に、引きこもる、勝利(katsutoshi)を外に連れ出し、「私達は、どんな目に遭っても、いつでも夢を見ていなければいけない」と力付ける。そこに留次(tomeji)も現れる。「もう高校へは行かない。工場労働者には、学問は、必要ない。」と口走る勝利(katsutoshi)を留次(tomeji)は殴り飛ばし、「試験に1回落ちたぐらいで、甘えるな」と叫ぶ。
勝利(katsutoshi)の弟が、息せき切って(慌てて)現れ、父が交通事故で重傷を負い入院していることが分かったと告げる。三人は、病院に急ぐ。父は、これまでの身勝手な(自分勝手な)行動を、家族に謝罪する。それを聞いた勝利(katsutoshi)は黙って病院を去ろうとする。呼び止めた、ひかる(hikaru)と留次(tomeji)に、勝利(katsutoshi)は、「工場に行く。今からなら夜勤(夜の勤務)に間に合うだろう。」と告げる。ひかる(hikaru)と留次(tomeji)は、元気を取り戻した勝利(katsutoshi)を見て喜ぶ。3人は手を握り合う。
以上、「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)の、概要と、あらすじでした。
現在、「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)が、you tubeで、期間限定で(9月18日の21時から10月5日の21時まで)、公式で、公開中です。

写真は、借り物。現在、you
tubeで、期間限定で、公式で公開中の、「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)のサムネイル画像。左から、勝利(katsutoshi)の役を演じる、浜田
光夫(hamada mitsuo)、ひかる(hikaru)の役を演じる、吉永 小百合(yoshinaga
sayuri)、留次(tomeji)の役を演じる、橋 幸夫(hashi yukio)。
ちなみに、「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)において、吉永
小百合(yoshinaga sayuri)が演じる、ひかる(hikaru)と、浜田 光夫(hamada
mitsuo)が演じる、勝利(katsutoshi)の、夜間高校(定時制高校・夜に授業を行う高校)の同級生(同じ学校の、同じクラスの生徒)であり、母子家庭(父親がいない母と子供だけの家庭)の、とても貧しい家の、慢性の病気を抱えながらも、工場で働いている、ひかる(hikaru)の親友の少女(自分達の生活には、オフィス(office)街で働く人達には、分からない夢や希望が、たくさんあるのではと、明るく、言っていたが、紡績工場で働いている途中で、血を吐き、自宅(自分の家)で、療養した後、(ひかる(hikaru)が医療保護の手続きを行い)、長期的な、病気の治療・療養為、病気の療養所に入る)の役を、前述した、松原
智恵子(matsubara chieko)が演じています。
松原 智恵子(matsubara chieko)に関しては、上でもリンクを付けましたが、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
銭湯・霧子のタンゴ他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3912419/page/13?&sfl=membername&stx=nnemon2
銭湯・霧子のタンゴ他(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/3912419/page/13?&sfl=membername&stx=nnemon2
ちなみに、「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)において、橋 幸夫(hashi yukio)、吉永 小百合(yoshinaga sayuri)、浜田 光夫(hamada mitsuo)が、歌っている歌(曲)は、全て、本人達が歌っています。
「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)のテーマ曲となっている、橋
幸夫(hashi yukio)と吉永 小百合(yoshinaga
sayuri)が、1962年に、共同で、出した曲、「いつでも夢を」に関しては、上でもリンクを付けましたが、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
60年代3大男アイドル歌手他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/4022457?&sfl=membername&stx=nnemon2
60年代3大男アイドル歌手他(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/4022457?&sfl=membername&stx=nnemon2
https://youtu.be/YmJ0ekI0iGc?si=vuKQ4km-WsSfytrK
動画は、借り物。「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)の、予告編。予告編の最後に、前述した、千住(senjyu)火力発電所の、お化け煙突が出て来ます。ちなみに、前述の通り、千住(senjyu)火力発電所は、「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)が公開された年(1963年)に稼働を停止し、お化け煙突は、翌年(1964年に)、千住(senjyu)火力発電所の建物の解体と共に解体されました。
「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)は、庶民向けの、純粋で、健全で、素朴な、青春、友情、恋愛、アイドル(idol)娯楽映画と言った感じです。「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)において、留次(tomeji)(橋 幸夫(hashi yukio)が演じる)と、勝利(katsutoshi)(浜田 光夫(hamada mitsuo)が演じる)は、ひかる(hikaru)(吉永 小百合(yoshinaga sayuri)が演じている)の事を、(異性として)好きな一方で、おそらく、ひかる(hikaru)は、2人に対して、好意は、持っているが、まだ、親しい友人の段階で、恋愛感情を持つ(異性として気になる)には至っていないと思います。現実の世界においては、「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)の、ひかる(hikaru)の様な女性は、「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)の、留次(tomeji)と勝利(katsutoshi)の様な存在の男性達を差し置いて、突然、目の前に、現れた(全く、新たに、知り合った)、男性の事を、好きになり、交際すると言った事は、有り勝ちですがw
現在、you tubeで、期間限定で(9月18日の21時から10月5日の21時まで)、公式で、公開中の、「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)(フル映画)→
https://youtu.be/RKjLbrZ7QxU?si=KmZVhBUI76h9jgov
「いつでも夢を」(1963年の、日本の映画)、先週の土曜日の夜、彼女と、我が家のテレビで見てみましたが、個人的な感想は、普通と言いたい所ですが、現代の基準で見たら、退屈な映画と言った感じで、今一つな映画(甘めに評価すれば、普通の今一つの間位の映画)と言った感じでした。ちなみに、家族を捨てて、家を出て行った、勝利(katsutoshi)の、酷い父親に対して、勝利(katsutoshi)を含む家族は、人が良過ぎる(ちょっと、優し過ぎる)と思いましたw