以下、「」内。私の前の投稿文より。
「以下、メッサーシュミット(Messerschmitt)KR200と同様の、超小型の(とても小型の)自動車の例です。この種の、超小型の(とても小型の)自動車は、ヨーロッパにおいて、第二次世界大戦の戦禍の影響から困窮が続く中、航空機(飛行機)や兵器などの軍需企業の民需転換策や、新興企業の自動車業界参入が図られていたドイツやイタリア、フランスを中心に周辺国でも生産されました(wikiを参考にしました)。ちなみに、同時代において、ヨーロッパと同様の状況にあった日本でも、後述する、富士(fuji)キャビン(cabin)等が生産されました。ちなみに、第二次世界大戦において、戦場とならなかったアメリカは、同時代において、超大国として、黄金時代の繁栄を謳歌していました(ちなみに、1950年代は、アメリカの白人、白人の中でも、特に、中流階級以上の、WASPにとって、アメリカの歴史上において、最も、繁栄し、物質的・科学技術的に、圧倒的に豊かな超大国としてのアメリカの豊かさを実感出来ていた時代であったのではないでしょうか。1960年代以降は、アメリカが、本格的に、ベトナム戦争(Vietnam War)に介入する事になります)。」
メッサーシュミット(Messerschmitt)KR200、及び、メッサーシュミット(Messerschmitt)KR200と同様の、超小型の(とても小型の)自動車の例に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
Messerschmitt KR200他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/4022999?&sfl=membername&stx=nnemon2
Messerschmitt KR200他(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_26/view/id/4022999?&sfl=membername&stx=nnemon2
後述する、フライングフェザー(Flying Feather)は、すぐ上でリンクを付けた投稿で紹介している、超小型の(とても小型の)自動車と、同時代の、超小型の(とても小型の)自動車です。
住江(suminoe)( 1883年創業)は、大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)に本社を置く、日本の、大規模、インテリア(内装)製品会社で、日本最大の、カーペット(絨毯)の会社です。住江(suminoe)は、高島屋(takashimaya)デパート(下の補足説明を参照)とは、長らくの間、業務・資本面で提携関係にあり、高島屋(takashimaya)デパートは、住江(suminoe)の株式の、約14%を保有する、住江(suminoe)の筆頭株主(最大の株主)となっています。
高島屋(takashimaya)デパート:高島屋(takashimaya)デパートは、1831年に、京都(kyoto)(日本の西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった大都市であり、日本の伝統文化の中心都市)で創業した、日本のデパートのchainで、本店は、大阪(大阪には、1898年に進出)にあり、東京へは、1922年に進出しました。ちなみに、大阪(日本の西部に位置する。東京に次ぐ、日本、第二の都市圏人口を有する都市。伝統的に、日本の商業の中心都市)にある、高島屋(takashimaya)デパートの本店の、現在の建物(1932年完成)(重厚な近代建築の建物です)は、完成当時、アジア最大のデパートでした。
ちなみに、日本橋(nihonbashi)area(東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)にある、高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店は、三越(Mitsukoshi)の本店(同じく、日本橋(nihonbashi)areaにある)等と共に、東京を代表する、高級デパートの一つとなっています。
高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
日本橋高島屋(歴史のある文化財デパート)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3519350/page/33?&sfl=membername&stx=nnemon2
三越(Mitsukoshi)の本店に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
日本橋・歴史のあるデパート他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3913019/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
住江(suminoe)は、日本の国会議事堂の建物に、2代目の建物(1891年完成)から、カーペット(絨毯)を納入しています。
日本の国会議事堂の、現在の建物は、4代目の建物で、1936年に完成した物です。
写真以下5枚(写真は、借り物)。日本の国会議事堂の、現在の建物(1936年に完成)。

写真の作者:Kakidai
写真以下4枚。写真の作者:Kestrel


写真以下2枚の、中央階段の、レッドカーペット(赤い絨毯)は、住江(suminoe)の、特注品(特別製造品)です。


住江(suminoe)工業は、京都(kyoto)(下の補足説明を参照)近郊に本社を置く、主に、(バス(bus)を含む)自動車、鉄道、船等の、乗り物の座席の製造を手掛ける、従業員、100人から200人程の、日本の、中小規模の会社です。住江(suminoe)工業は、顧客(製造を依頼する会社)の、多様な、需要・必要性に合わせた、少量多品種の製造を特徴としている会社の様です。
京都(kyoto):日本の西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった大都市であり、日本の伝統文化の中心都市。関西(kansai)大都市圏(大阪、京都(kyoto)、神戸(kobe)を中心とした大都市圏。東京圏に次ぐ、日本第二の人口を有する大都市圏)を構成する。
住江(suminoe)工業は、第二次世界大戦中の、1943年に、(前述した)住江(suminoe)の子会社として設立されました。
住江(suminoe)工業は、1954年に、住江(suminoe)から独立し、独立と共に、住江(suminoe)との資本関係は絶たれており、住江(suminoe)工業は、現在は、親会社は、存在していません。
以下、フライングフェザー(Flying Feather)に関しては、wiki等を参考にしました。
フライングフェザー(Flying Feather)は、住江(suminoe)工業が、かつて、短期間、製造・販売していた、超小型の(とても小型の)自動車です。
フライングフェザー(Flying Feather)は、合理性を求め、徹底的に無駄を省いた簡易設計の、超小型の(とても小型の)自動車として設計されましたが、設計やデザイン(design)が時流(時代や流行)に則さず、市場のニーズ(必要性)を見誤り、又、住江(suminoe)工業の、(量産自動車の会社(大量生産の、大衆自動車会社)として成立するには)企業体力の乏しさもあって、少量生産に終わりました。
フライングフェザー(Flying Feather)の、開発構想は、第二次世界大戦直後の混乱期の、1948年まで、遡ります。
フライングフェザー(Flying Feather)は、性能向上の為に、軽量化を重視し、フライングフェザー(Flying Feather)の名前も、このコンセプトに沿って命名されました。
フライングフェザー(Flying Feather)は、まだ、第二次世界大戦の荒廃からの、復興途上にあり、貧しかった、当時の日本において、国民車(庶民向けの自動車)の、住江(suminoe)工業なりの一つの提案として、合理性を求め、徹底的に無駄を省いた、簡易な設計・簡素な装備の、可能な限り、価格を抑えた自動車として開発された自動車です。
フライングフェザー(Flying Feather)は、1951年以降、試作車が年1台のペースで製作され、試行錯誤による改良を経て、1954年に発表、1955年に販売が開始されました。
フライングフェザー(Flying Feather)は、四輪独立懸架や、無駄を省いて簡素化された構造に対しては、自動車専門家の間から評価する声もありましたが、前輪ブレーキ(brake)が無い等の行き過ぎた簡易化や、あまりにも簡素すぎる装備・デザイン(design)等は、商品性に欠け、市場から受け入れられるには至りませんでした。また、住江(suminoe)工業側にも、(おそらく、親会社である、住江(suminoe)から独立し、独立と共に、住江(suminoe)との資本関係が絶たれたばかりであり)、経営面・資本(資金)面で、余裕はなく、フライングフェザー(Flying Feather)は、1956年には、生産中止となりました。

写真は、借り物。住江(suminoe)工業、フライングフェザー(Flying Feather)。1955年製。